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浪漫記  作者: 一・一
14/22

提題四:その夢は誰のものかⅢ

 季節は夏。元々温暖な気候なのかイデアーロピアでもこの季節は暑い。

 昼食も終え、セミの鳴き声と風鈴の音の中で清次郎は窓際で涼んでいた。時折強いビル風が来ることもあるが、大抵は防風林が未然に防いでくれているようだ。

 ふと横に小さな気配を感じる。


「失礼します」

「琴音か」


 はい、と短く応答される。清次郎が少し横に詰めると、彼女はそこに座った。


「涼しいですね」

「ああ、涼しい」


 短い会話が途切れるが、そこに不思議と気まずさは感じない。むしろ、二人でだんまりと涼んでいるのが、清次郎にとっては心地良かった。

 扇風機やクーラーなどといった文明の利器はあるにはあるのだが、清次郎はそこまでそれらを使う必要性を感じない。窓を全開にしてさえいれば、いつでも涼しい風が来るからだった。

 沈黙の中、しばらく二人で涼んでいると琴音が口を開いた。


「兄の人。一緒に最下層まで行きませんか?」

「何、清次郎と最下層に行くの?」


 清次郎が返答するよりも早く、耳聡くも後ろのソファで伸びていた智子が反応した。


「私も行こうか?」


 智子が髪をいじりながら、アイコンタクトで暗に「清次郎一人でも大丈夫なの」と聞いてくるが、彼は首を横に振った。


「大丈夫だ、問題ない」


 一瞬二人が半目になる。見ようによっては塔にも見えるイデアーロピアではいささかキツい冗談であったらしい。


「まあ、とにかく。兄の人がいるので大丈夫です」

「そう」


 心配そうな顔をしながらも、髪を払って案外あっさり引き下がった。


「それでは、早速出かける準備してきますね」

「ああ。準備できたら声かけてくれ」


 心なしかいつもより足取りも軽やかに、琴音は準備をしに行った。

 智子がちょいちょいとこちらを手招きしてきた。珍しく神妙な顔つきだ。彼は重い腰を上げて、智子の口元に耳をやる。


「最下層って他と違ってちょっと治安が悪いから、注意して」

「スラムがあるのか」

不法定住者スコッターもね。基本的にメインストリートなら問題ないけれど……」

「わかった。そうしよう」


 頷く。手を握り込むと、いつもよりも強く力が入った。

 玄関の方から琴音の呼び声が聞こえてきた。清次郎も「ああ、今行く」と返す。


「行ってらっしゃい」


 笑顔だが、やはり心配そうな顔で姉が手を振る。彼は「ああ、行ってくる」と返し、玄関へ向かった。



 人間とは環境にある程度適応できる生物だ。時に暑さに耐え、寒さを凌ぎ、その内に環境に適するようになる。

 とはいえ、その適応にもある程度時間がかかるものだ。


「琴音……少し、休まないか?」

「そう、ですね……」


 兄の方は肩で息をし、妹の方もやはり息苦しそうだ。二人で手近なベンチに座る。時折息が詰まったのか、咳をする琴音の背を、清次郎はゆっくりと無言でさすった。

 イデアーロピア最下層。ここまで来るのに二人はかなりの時間を費やしていた。

 清次郎は言わずもがな、琴音もそこまで運動に強いわけではないらしい。当初こそ久々の兄妹水入らずの外出で二人は足取りも軽やかに最下層へと向かっていたが、次第に疲れで足の重みが増していき、息苦しくなり、遂には足が棒になる思いをした。休憩も入れたが、その回数も彼は十回から先は覚えていない。道中、彼は鉄柵の先に広がる青い海を見て、「むしろここから落ちた方が早いんじゃないか」と考えすらした。

 ふっと疲労を吐き出すように溜息をつく。気分が落ち着いてくると、ようやく周囲の様子を見る余裕ができる。


 ……へえ、水路か。


 幅三、四メートル程もある運河が、目の前に流れている。陸橋の影から、ぬっと青色の舳先が姿を現した。渡しゴンドラである。船頭がオールを漕ぐと、すいと目の前を横切って行った。


 ……まるでイタリアのヴェネチアだな。


 最初は全て地盤がコンクリート固めであるようなイメージがあったが、どうも違うらしい。実際の最下層は運河が縦横無尽に広がる水の都であるようだ。

 目の前を行き交う舟を眺める。ゴンドラが多いが、中には帆のあるカッターボートもちらほらと見かける。カッターボートは風で帆走できる遠海で活動するためのものか。推進方法が水底を突くようにして押し進める水竿みさおではなくオールであるのは、海上立体都市イデアーロピアがその名の通り海の上にあるからだろう。水底が深過ぎて水竿が届かないのだ。

 それにしても、と清次郎は軽く辺りを見回す。

 まず最下層での天井高が高い。場所によってまちまちではあるものの、大抵イデアーロピアの一階層の天井高は目視四メートルから七メートル程度。しかし最下層の天井高は十メートルは下らない高さなのだ。

 加えて、この階層は緑が多い。建築物を覆うツタを始めとして、運河の脇で自生する海漂樹やコンクリートを物ともせずに隙間から迫り出す樹木などがあるせいだろう。

 天井――上層の建築物群――の隙間から差し込む日光を、木の緑が遮る。木漏れ日が風でゆらゆらと揺れた。まったくの平穏である。

 ふと気になって、ちらりと横の連れを伺い見る。こちらもとうに息が落ち着いていたのか、ぼんやりと景色を眺めていた。


「……?」


 こちらからの視線を感じたのか、振り向いた琴音と目が合う。首を傾げて微笑むと、向こうも僅かに口角を釣り上げ、微笑み返してきた。


 ……一年前と同じの笑みに戻っている。


 彼は胸に何か温かい物が込み上がってきたのを感じた。間違いなく幸福と歓喜であった。


「そろそろ行こうか」


 立ち上がり、手を差し出すと彼女は無言で頷いてその手を取った。

 そのまま妹に先導されながらメインストリートを歩いて行くと、海の見える広場のように開けた場所に出た。どうやらイデアーロピア沿岸まで来たらしい。ここだけは上の階層がないらしく、青天井だ。道はしっかりと舗装整備されており、水際には鉄柵と街灯が作られている。

 向こう側にはレンガ造りの駅名標に「銀河鉄道線 イデアーロピア駅《Idealo-Pia stacio》」と書かれた駅があった。不思議なことに、あるはずの線路がない。

 しっかりと握っていたはずであった琴音の手がするりと抜ける。そのまま彼女はふらふらと吸い寄せられるかのようにある方向へと向かって行った。不思議に思ってその先へ視線を向けてみると、彼は「ああ」と苦笑気味に納得した。大型書店だった。

 二重扉――湿気防止だろう――をくぐり本屋へ入ると、心地良い冷気が二人を迎えた。兄が人心地ついて目を細めている間に、妹は構わずまたふらふらと文庫本コーナーの奥へ行ってしまう。慌てて兄はそれを追った。

 ひとまず本を物色し始めた琴音を視界に留めることに成功する。棚を見ると、背表紙が日本語のものに混じってアルファベットで書かれたものがあった。実際に手にとってぱらぱらとめくってみるが、中身も現地語だ。どうもイデアーロピアはバイリンガルらしい。

 しばらくその場で適当な本をぱらぱらと眺めていると、一通り見終わったのか琴音から声がかかった。


「兄の人はその本ですか?」

「いいや、ちょっと気になっただけだ。琴音は何か見つけたか?」

「はい。今日からの読書用にと」


 頷き、琴音が紙袋を掲げる。実に嬉しそうな顔だった。


「次、古本屋行きましょう」


 すでに先の疲れもすっかりと忘れてしまったのか、嬉々として妹は兄の手を取って書店を出る。


 ……元の世界でも、こいつが元気だったらこうして書店巡りができたのかな。


 少し残念に思いながらも、彼は今ある幸せに手を引かれていった。

次回更新日は2012/04/12です。

よろしくお願い致します。

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