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浪漫記  作者: 一・一
13/22

提題四:その夢は誰のものかⅡ

 この世には最高の調味料が二つある。その内の一つが、空腹だ。


「私、今すごく幸せ……」

「随分安い幸せですね」


 幸せそうに目を細めて朝食を頬張る智子。やれやれといった風に琴音は呆れ気味に溜息をつく。


「すまんな、起き抜けに」

「構いません。その、料理は私の担当みたいなものですし」


 清次郎が彼女の頭を撫でてやると、彼女は外方を向いた。もっとも、頬を真っ赤にしてはにかみながらも、俯いてこちらが撫でやすくしている辺り、満更でもなさそうなものだが。

 視線を感じる。見ると、智子がこちらをじっと眺めていた。興味深そうな――あるいは、羨ましそうな――視線である。

 気持良さそうに清次郎の愛撫を甘受していた琴音もそれに気づいたらしい。身体が若干固くなり、視線を下の方でうろうろさせ始める。顔の朱は、頬から耳まで拡がっている。


「あ、兄の人の分を、用意してきます!」


 羞恥心の限界だったのだろう。彼女はそう言い残し、ぱっと彼から離れて台所へと脱兎のごとく逃げてしまった。

 無言で彼は智子をめつける。彼女は素知らぬ顔で朝食を摂っていた。


「Old battleaxe...!」

「な、何よ……」


 清次郎のやけに鬼気迫る雰囲気に押され、智子は僅かに仰け反る。言葉とは不思議なものだ。相手がその言語を解さないと分かると、普段言えないような言葉まで出て来てしまうのだから。

 は、と一息つくと、彼は背もたれに身を預けて脱力した。


「……まあ、いい」


 この世界では今機会を逃したとしても後でいくらでも、思う存分琴音を愛でられるのだ。その事実が彼を菩薩のように寛容な心にしたのだ。


「ああ、そうだ。そういえば今日、妙な夢を見たんだ」


 ふと思いだし、彼はちょうど良い機会だと琴音に聞こえてはいないかと警戒しながらも会話の切り口をつける。しかし、智子のリアクションは実に薄いものであった。


「……先人は言いました。『他人の夢の話ほどつまらないものはない』」

朧気おぼろげなんだが、まだガキの頃の俺と、『トモ』とかって呼ばれていた女の子がいてだな――」

「ちょっと、無視しないで」


 無視して夢の話を続けた。


「――と、こういうわけだ。精神交換現象に関係していると俺は考えるのだが、これについて、お前の意見を聞きたい」

「……ええ、わかったわ」


 疲れたような、呆れたような表情で彼女は何度か頷く。頷く度に「この子の会話がマイペースなのはいつものこと」と何度も誰かに言い聞かせるように小声で繰り返していたが、彼はあえて無視した。


「関係しているのだとすれば、多分こんな感じね」


 彼女は髪の毛をいじりながら、おもむろに紙とペンを取って一つの図を描き上げる。

 昨朝、精神交換現象を説明するのに用いたのと同じような図だ。大きな二つの円に、「清次郎A」と「清次郎B」のヒトガタ。そして、両側を指した矢印で二つの円はつながっている。

 彼女はそこまで一旦描いてから、清次郎を見た。


「多分、この現象で入れ替わったのはあくまで『精神だけ』であって、二人の清次郎が持つそれぞれの『脳』は物理的に交換されていないのよ。つまり、精神はあなただけれど、その脳を含んだ肉体自体はもう一人のあなたの物。清次郎Aの肉体に、清次郎Bの精神が宿っているの」


 それぞれのヒトガタの、矢印に指される位置に小さな丸の中に書かれた「精神」という文字を追加。次にヒトガタの上に半円を描き、脳と注釈が付けられる。しかし、それには矢印がつけられていない。


「この清次郎Bの脳にある、過去の記憶が寝ている間に再生されて、Aは身に覚えのない夢を見た。つまり、そういうことなんじゃないかしら」

「……成程」


 ……俺が立てた仮説と一致する。


 考えてみれば、当たり前のことであった。入れ替わったのは精神だけで、他はもう一人の清次郎のものである。


「ただの夢だという線は?」

「多分それはない思うわ。夢の中で読んでいた『騎士物語』は清次郎がまだちっちゃかった頃、私が読み聞かせていた覚えがあるもの」

「なら、この説はほぼほぼ確実だと言うことになるな……」


 ええ、と智子が弄っていた髪を振り払い、肯定する。

 ともかく、これで一つ疑問が氷解した。この夢の現象を上手く利用すれば、こちらの過去の知識をサルベージできるのだ。

 それにしても、智子が何かを説明する時に、髪を弄っているのをよく目にする。考えている時の癖なのかと口にしようとしたところで、横合いから声がかかった。


「兄の人、できましたよ」


 朝食ができあがったらしい。琴音は清次郎の横から朝食を並べていく。


「……あなた、さっき食べたばかりなのにまだ食べるの?」

「もちろん。美味しい物はいくらでも入るタチでね」

「美味しいって、あなた……」


 呆れと怪訝で智子はやや眉を歪ませる。朝食と言っても、その内容はレトルトと簡単に作れる品だけだ。元の世界では、機会がなかったために琴音は調理実習程度の料理しか作れなかったが、こちらの世界でもそれは同じらしい。

 半目でこちらを見てくる智子をハシを向けることによって制する。


「智子。この世にある最高の調味料は二つ。空腹と、あと一つは何だかわかるか?」


 問い、しかし回答者を待たずして彼は答えた。


「――愛情だ」

「…………」


 ああやっぱりか、とコメカミに指を当てながら、智子は純粋な呆れの溜息をつく。

 彼女はふと琴音を一瞥した。やや頬が上気しているのを盆で隠す様にしてはにかんでいた。

 彼女は再度溜息をつく。今度のそれには、少しだけ疲れが混じっていた。

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