創世の黒魔女さんと白竜くん
黒の森
ジャブンっ
湖から上がると、水は細いながらも引き締まった体を伝い、玉になって落ちていく。
「あー生き返ったあ」
言いながらブルブルっと白銀の短い髪を震わせた。
万年の時を知っている巨大な木々がざわっと揺れた。
荷物から取り出した切りっぱなしの布で顔を拭い、不自然に真円の湖面へ降り立つ真っ白な妖鳥が群れで遊ぶのを、氷のような青い瞳を温かく細めて眺める。
(帰ってきたな)
美しい青の波間に見える星々は恋人が言うには「魂の輝き」だと言っていた。
人間の冒険者服も肌に馴染んだ男の名はシューラ・フローティア
白竜族の若き王子はここ50年ばかり人の姿で過ごしていた。年齢はまだ245歳と白竜としては長い長い大人の時間に足を踏み入れたばかりだ。
人間の護衛を引き受けてたまに留守にはするが帰ってくるのは白竜の住まう氷の国ではなく・・・この緑豊かな『黒の森』だった。
そしてここには________
パキンっと乾いた枝が踏まれて折れた音に振り向くと_____
「帰ってたのね」
漆黒の髪に黒い瞳、陽の光を知らないかのような白い肌の美しい魔女が立っていた。
「ただいまトルトナ」
シューラが恋人の名を呼んだ。
創世の魔女、世界を作りしその魔女の名を。
黒魔女さんと白竜くんののんびり同棲日記
「怒ってるよね」
「怒ってない」
「・・・ちゃんとお土産もあるよ」
「別にいらない」
「ほんの少し出稼ぎに行ってただけじゃないか」
「ほんの少し・・・そうね、確かに少しだわ。たったの一年ですもの。」
「・・・怒ってるよね」
「怒ってないわ」
そんな会話をしながら手を繋いで森を歩く。
明らかにむくれているトルトナはそれでもぎゅっと手を離さない。
目の前に家が見えてきた。
家・・・と言っても半分は巨大な木に飲まれていた。
赤い瓦屋根が半分崩れて木の幹に食われているようだが、その幹にガラスの窓が光っている。
トルトナが言うには共存共栄らしい。
煙突から細く煙が出て、シューラは我が家をウキウキした気持ちで見ていた。
「ただいま」
「入れるとは言ってないけど」
「ごめん、ごめんなさい、家に入れてください。」
「3日くらい仕事をしてくると言って出て行って・・・368日も帰らないなんて・・・渡り鳥の方がずっと賢い・・・そうね、うちにいたのはたぶん白いトカゲなのかも・・・」
「トカゲじゃないです・・・!」
「トカゲじゃないなら何かしら?」
あさっての方を向いて首を傾げるトルトナ。
「許して、本当に。もうしない、もうしないから!」
土下座せんばかりに地面に頭を擦り付けるシューラをトルトナはやっと(少し)許した。
木の扉を開けると、懐かしい我が家の香りにシューラは胸いっぱい空気を吸って、お湯が沸いているのを見た。
「お湯沸かしっぱなしで出かけたら危ないよ」
「だって、気配がしたから・・・」
トルトナが言いながらヤカンを火からどかす。
片手をぎゅっと閉じるとかまどの火が消えた。
「・・・愛されてる」
「誰が?」
「俺が」
トルトナが無表情で熱いヤカンをシューラの肩まで上げた。
「ストップストップ!!」
「・・・」
明らかに面白くなさそうな顔をしてヤカンをパッチワークの鍋敷の上へ置いた。
「そんな面白くなさそうな顔しないで!」
「・・・」
「火傷しちゃうでしょ!」
「これくらいの熱は平気じゃないの」
「熱いのは熱いから!」
確かに火龍のブレスくらいでなかったら火傷はしない。でも一応料理の温度や風呂の温度を楽しめるよう人間の体の作りは模している。
シューラが勝手知ったる動きでトルトナと自分のマグカップを取り出した。
トルトナも黙って缶の中のお茶をポットに入れてヤカンのお湯を注ぐ。
「・・・だっていなかったんだもの」
ぽそっと呟くそれを、ちゃんと聞いていた。
ぎゅうううっ
「あ、危ないっシューラ!」
後ろから抱きつかれてトルトナが慌ててヤカンを戻す。
「やっぱ愛されてる」
「危ない」
「ごめん」
でも離さない。
「離して」
「離さない」
少しの間があって、
「・・・お茶が渋くなっちゃう」
「ミルク入れたらいいよ」
「・・・」
「ねえ、トルトナ」
「なに」
「結婚しよう」
「しない」
いつも通りスッパリ断られる。
「・・・じゃあ離さない」
・・・
触れたところがだいぶ熱くなってきた。
「戸棚に・・・」
トルトナがマグカップを出した隣の棚を指差す。
「マリリアが作ってくれたベリーパイがあるけど食べられないわね」
間があって
シューラが負けたとトルトナの肩に額を乗せた。
「・・・ずるい」
ベリーのパイにミルクティー。
それに赤い缶入りのバタークッキーはお土産だった。
「ベリーパイがうまい」
木実鼠族のマリリアが作ったベリーパイはサクサクのパイ生地にカスタードとベリーの甘さが最高だった。
「1年も何してたの?」
クッキーをつまんでトルトナが黒い瞳を向ける。甘い。鮮度の良いバターやミルク、そして香り高い小麦粉の味に、トルトナは少し感心した。物流の進化を噛み締める。
「商団の護衛に雇われて、ついた先で気に入られてしばらく護衛して、ダンジョンの地図もらったから昔の仲間と合流してちょっと攻略を・・・」
ふと気がついた。
「1年もって言った。もって。」
「言ってない」
「絶対言った」
「・・・事実じゃない・・・」
この星と命を共にしている魔女が、途方もない時を生きてきた魔女が、
「1年もって」
「何その顔」
「嬉しすぎて溶けそうな顔。」
「やめて」
「いや〜やめられないなぁ〜」
ゆるむ口でお茶を飲む。
その目の前で明らかにむくれている。
「むくれてる」
「むくれてない」
「怒ってる?」
「・・・少し」
トルトナが「あ、」と言う目をして顔をそむけた。
「〜〜あ〜ダメだ、顔がゆるむ」
「その顔やめて」
「嬉しくて」
トルトナがバタークッキーを裏にしてまた表にする。
「・・・帰って来ないかと」
「なんで」
「シューラ、人が好きでしょう」
「そうだけど」
「だから・・・戻ってこないかもしれないから」
伏せた目は一見無表情だ。
・・・
シューラは反省した。
どうやら相当、1年は長かったようだ。
愛おしい魔女をその瞳に映す。
「絶対に帰ってくるよ」
「どうかしら」
「トルトナがいるから」
・・・
一瞬だけシューラを見る。
そうしてクッキーをゆっくり食んだ。
飲み込んで、
「・・・1年は長いみたい」
呟いた。
「ごめん、もうしない」
トルトナの頬が少し赤かった。
「夕飯、辛いスープ食べる」
「・・・まだ許されてなかった・・・」
辛いものは苦手だ。
作るのは俺なのに。
とほほ、と鍋を持つ。
「だって食べてなかったんだもの」
「ささやかな罰を感じる」
「罰だもの」
「罰だった」
「魚のすり身の入ったやつ」
「はいはい」
「お茶も熱いやつ」
「はいはい」
「麺を入れる」
「はいはい」
「熱いのを食べてね」
「はいは・・・」
「一緒に熱い麺を食べるの」
シューラの額に汗が垂れた。
「おれ猫舌なんだけど」
「竜でしょう」
「舌の話」
「知ってる」
「ひどい」
「1年放っておいたくせに」
「それを言われると」
クスクスとトルトナが笑う。
やっと笑ったとシューラが安心する。
「わかった一緒に食べる」
「うん」
「俺、いつになったら許されるの?」
「スープを食べたら」
ふっとシューラが笑った。
「なら残さず食べなきゃな」
赤い。
すごく赤い。
途中で唐辛子を入れる時に、トルトナが瓶を持つ手を叩いたからだ。
当然叫んだ。
魚のすり身も赤く見える。
麺は、見えない。
「いただきます」
「・・・ます」
シューラの元気がない。
トルトナが目を輝かせて一口すする。
「おいしい」
「辛い」
シューラが目をぎゅっとしている。
トルトナがテーブルをトントンっと叩くとチリチリンっとぶつかりながらビアグラスが現れる。
つうっと2つのグラスに下から上へ手を這わせると、ガラスが白く冷えて中に琥珀色のビールが泡立つ。
「はい」
「便利だなあ」
乾杯して飲む。
「冷えたビールがうまい!」
くうっと言うシューラにトルトナも笑う。
グラスのビールは無くならない。
もういいと言うとなくなる。
彼女の魔法に法則はない。
欠点は何杯目かわからないところだ。
トルトナが残しておいたツミレを食べてビールを一口。
「どんなに戦争起こしても、お酒と料理はやっぱり人間が一番上手だから・・・私の世界にはどうしてもいて欲しい」
「壮大な話だな」
「だって、美味しいものに罪はないから」
酔ってるなとシューラが微笑む。
「料理を作る種族はいっぱいいるけどな」
竜は作らないけど。
と言いながら自分が作った料理を食べる。
辛い。
ビールで流し込む。
「人間ほど雑食じゃないから」
「雑食って・・・」
「あのね、怖い話があるのよ」
「急に怪談」
「そういう怖い話じゃなくて」
同職の。
とトルトナが言う。
職だったのかとシューラは思う。
「草食動物だけで世界を作ったんですって」
「うん」
「知識をつけたら自分たちで野菜を作るようになって、」
「ほお」
「最後は食事が野菜タブレットになってしまったみたい」
「それは」
「怖いでしょう」
「自分も草食ならいいけど」
「絶対嫌だわ」
トルトナが麺をフォークで巻いて食べる。
「料理がない世界は嫌」
「それは同感」
グラスからなくならない冷たいビール
熱い
辛い
うまい
と言いながら夜が更けていく。
「ごちそうさま」
「片付けは私がする」
「一緒にやるよ」
「作ってもらったから」
トルトナが立ち上がる。
皿は洗うらしい。
たまに魔法を使わない。たまに魔法を使う。
気分だ。
「先にお風呂入りなよ」
皿を水につけて袖をまくる。
「一緒に入ろうか」
「バカ」
「バカって言われた」
「アホもつけてあげる」
「退散」
札が増える前に風呂に向かった。
「風呂だ〜」
ザンブリと浸かったシューラが幸せそうに湯に埋まる。
洗った髪から水が滴る。
「あー最高」
肩まで浸かれる湯はなかなか出会わないので貴重だ。
(もっと南へ行くと温泉地があるんだよな)
一度行ったことがある。
歩いて、数ヶ月かかった。
竜になればひとっ飛びだろうが。
(いつかまた行くことあるかな)
ないかもしれない。
川の水を引いてトルトナの魔法でお湯にする。
氷属性なのでぬるめの方がよく、ちょっと魔力を足せばちょうどいい。
夏に氷風呂にして怒られたことはある。
「一緒に入りたかったな」
ブクブク独りごちる。
すげなく断られた。
一緒に暮らして10年。
いつも断られる。
寂しい。
(まあそのうち)
そんなことを考えていたらぬるい湯なのにのぼせそうになった。
トルトナが交代で風呂に入ってあがると、ソファで昨日の新聞を読んでくつろぐシューラに首を傾げた。
「まだ起きてるの?」
「うん、待ってた」
「ふうん」
言いながらトルトナが髪をサラッとかきあげるとすっかり乾いた。
「シューラまだ濡れてる」
「トルトナのその魔法便利だよな」
「そうね、やってあげる」
すうっと白銀に下から指を通す
「ほら乾いた」
「火の魔法が使えないとできないかな」
「氷魔法も乾燥しなかった?」
「髪が傷みそうだけど」
「そうね」
「白竜が火属性の魔法を使う世界はどうかな」
「なかなか難しいわね」
クスッとトルトナが笑う。
「トルトナ」
その手をとって名前を呼ぶ。
目が合う。
その唇に唇を重ねた。
「ん」
「ただいまのキス」
シューラがニッと笑う。
そうして、その黒髪をかきあげて軽く頭を押さえてもう一度吸いに行く。
「んぅ……」
少し深いので、トルトナが抗議するようにシューラの襟を引っ張った。
ぷはっと離れる。
「・・・これは?おやすみ?」
黒い瞳にシューラが映る。
首を横に振る。
「んーん。今夜は寝かさないのキス」
言って、トルトナを抱き上げた。
「ひゃっ」
寝室に向かう。
「シューラ」
黒い瞳が揺れてる。
「嫌?」
言って額にキスをする。
「・・・嫌じゃない」
「よかった」
1年ぶりの温もりと
穏やかな世界の夜が更けていく。
創世の魔女の長い長い一年が終わる。
368日ぶりに、眠れなくてよく眠れる夜が来た。




