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モノクロとオレンジ  作者: 貴堂水樹
第二章 カラフル

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3-3.

 歩いているうちに母親と出会えれば、という期待もしたが、叶わないままサービスカウンターについてしまう。映志が従業員の女性に事情を説明すると、その女性従業員は慣れた様子で対応してくれた。広いショッピングセンターだ。迷子になる子どもは少なくないようだった。

 女性従業員はエリに椅子を勧め、館内放送を流し始める。母親の姿が見えないせいか、エリの表情は硬い。

 那菜はスカートのポケットからスマートフォンを取り出し、エリの隣にしゃがんだ。動画を見る時のように端末を横倒しにし、イラストが描けるアプリを起動すると、スマホケースの内側に常に挟んで持ち歩いているタッチペンを右手に握った。


「エリちゃんは、なんの動物さんが好きかなぁ」


 問いかけながら、那菜の手はすでに動いている。長い耳に、まんまるな瞳としっぽ。あっという間にかわいらしいウサギを一匹描き上げた。


「じゃーん。これ、なーんだ?」

「ウサギさん!」

「正解、ウサギさんだよ。かわいい?」

「うん。エリはねぇ、パンダがすき」

「パンダかぁ。よぉし、じゃあパンダさんも描いちゃうぞ」


 ウサギの隣に、少し大きなパンダのイラストを描き足していく。「わぁ」とエリはいよいよ嬉しそうに笑った。


「エリもかきたい!」

「いいよ。はい、このペンで描いてね」


 那菜がタッチペンを手渡すと、エリは那菜のスマートフォンを(もも)の上に置き、意気揚々と絵を描き始めた。


「ネコさんかく」

「いいね、ネコさん。上手に描けるかな?」

「エリ!」


 エリがネコの頭を描き始めたところへ、エリを呼ぶ女性の焦ったような声が響いた。


「ママ!」


 エリの目が嬉しそうに大きくなり、その場にいた全員が女性の声のしたほうへ顔を向ける。カートを押し、からだの前には抱っこひもで赤ん坊をかかえたエリの母親が、エリによく似た泣きそうな顔をしてエリを迎えに来たところだった。


「よかった、エリ! もう、どこへ行っちゃったのかと思ったじゃない」

「まって、ママ。いまネコさんかいてるから」

「え?」


 那菜とエリの母親の声が揃った。エリの隣にしゃがんだままだった那菜がエリの母親を見上げると、母親はエリが那菜のスマートフォンで遊んでいることに気がつき、「ご迷惑をおかけしてすみません」と頭を下げた。

 エリは耳の尖ったかわいらしいネコを描き上げ、大満足の様子で母親に手を引かれていった。那菜と映志が手を振って見送ると、エリも笑顔で手を振ってくれた。



「よかったね、無事お母さんに会えて」


 今度こそショッピングセンターを出ると、那菜は安心した気持ちを口に出した。映志も「そうだね」と那菜と同じ気持ちでいるようだった。


「にしても、すごいな、神谷さん。あの子……エリちゃんを一瞬で懐かせちゃった」

「あぁ、絵を描いたこと?」

「うん。あのイラストアプリのことがとっさに頭に浮かんだんだろ」

「そうそう。なんとかエリちゃんを元気づけてあげたいなって思ったんだけど、わたし、イラストぐらいしか得意なことがないから、つい」


 もっとうまいやり方はいくらでもあっただろうけれど、必死なあまり、他に手段が浮かばなかった。子どもの相手も慣れているわけではない。


「本当にすごいよ」


 映志がかみしめるようにつぶやく。


「見ず知らずの人のためにサッと動けるんだから、神谷さんは。俺なんて自分のことで精いっぱいなのに」

「そんな」


 那菜は慌てて首を振った。改まって褒められるようなことをしたつもりはない。


「わたしは、別に。それに、岸くんの場合は仕方ないことでしょ。おうちのこと、大変なんだから」

「そういうことじゃなくてさ」


 映志が静かに足を止める。つられるように、那菜もその場で立ち止まった。


「きみは、俺のことも助けてくれた」


 交わる視線の中で、映志の頬がわずかに赤らむ。


「気づいたんだ。俺はきみのそういう優しいところを好きになったんだって」


 世界が不自然に切り取られ、映志の声しか聞こえなくなる。

 映志だけが瞳に映り、まっすぐ那菜に、那菜だけに微笑みかけてくる。


 那菜の視線が映志からはずれる。どこを見ていいのかわからず、ただ映志から目をそらす。

 あまりにも唐突で、どう返せばいいのかわからない。こうして困った素振りを見せることが映志に対して失礼であることはわかっているのに、言葉がうまく出てこない。


「ごめん」


 映志のからっとした声が聞こえ、那菜は再び顔を上げた。

 目の前に、映志のいつもどおりの笑みがあった。


「あんまり気にしなくていいよ、今の。応えてほしいとは思ってないから」

「岸くん」

「ほら、俺は家族優先だから。恋人を作っても、その人に恋人らしいことをしてあげられないと思うし」

「じゃあ、どうして」


 恋人を作る気がないのなら、今の告白にいったいなんの意味があったのだろう。

 那菜の疑問に、映志はためらうことなく答えた。


「きみを好きになれて嬉しかった。俺、今まで誰かを好きになれたことなかったから。……くそ、だからって告らなくてもよかったよな。なんで言っちゃったんだろ、俺」


 言わなくていいことを言った自覚はあるようだった。けれど映志は、今まで那菜が見てきた中で一番幸せそうな顔をしていた。

 なんと表現すればいいだろう。そう、はじめて手にした宝物に喜ぶ子どもみたいな顔だ。


 那菜は思わず笑ってしまった。今の映志の(たたず)まいを見ていると、なぜだかこっちまで幸せな気持ちになってくる。

 誰かに好かれたり、誰を好きになったり。

 そういう心にくすぐったさを感じる瞬間が、那菜は決して嫌いではなかった。


「ちょっと。なんで笑うの」


 映志が言う。那菜は笑いながら「ごめん」と言った。


「今の岸くん見てると、嬉しそうすぎて笑えてくる」

「はぁ?」


 ケラケラ笑い続けていると、映志まで笑い声を立て始めた。しばらく笑って、今度は那菜が映志に言葉をかけた。


「ありがと。素直に嬉しいよ、岸くんの気持ち」

「そう。なら、よかった」

「ねぇ、『那菜』って呼んでよ、わたしのこと」

「え?」


 映志は目を丸くする。ようやく自分の中で答えを出せた那菜は、今できるもっとも誠実な回答で映志の気持ちにこたえた。


「前に言ったよね、わたしには気をつかわなくていいって。カノジョを作る気はなくても、仲のいい女友達ならいても損はしないでしょ。だから」


 映志は映志の都合を守ってくれていい。けれど、那菜との距離感はこれまでよりも近づいたっていい。

 むしろ、そんな関係に彼となれたら嬉しい。

 映志のことは、信頼できる。


「那菜」


 さっきエリの前で言ったくせに、映志はなぜかものすごく緊張した様子で那菜の名を口にした。那菜は満足げにうなずく。


「今度、望美ちゃんと一緒にお絵描きさせて、映志」


 同じように、那菜も映志をファーストネームで呼んでみる。映志は「うん」とうなずいて返し、二人並んで再び学校への帰路をたどり始めた。


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