3-2.
二人が目指すショッピングセンターまで、歩いて十五分ほどの距離がある。午前十時を回り、太陽が肌を刺すようにギラギラと照り輝いている。
「付き添い、俺でよかった?」
学校を出てすぐ、映志は那菜の隣を歩きながら尋ねた。質問の意味がわからず、那菜は首を傾げる。
「なんで?」
「いや、なんとなく」
映志はそれ以上なにも言わなかった。横顔を見ても、彼が考えていることはわからない。もちろん、声を聞いていても。しいて言うなら映志の表情がいつになくこわばって見えることくらいだが、その理由ははっきりしない。
目的地まで十五分。会話がないままでは気まずいと思い、那菜から映志へ話を振った。
「ねぇ、声に色がついて見えるって、実際にはどんな感じなの?」
素直な疑問をぶつけてみる。目の前に色が広がるイメージなのか、それとも、声を発した人の口のあたりに色がついて見えるのか。
「見えるっていうか」
映志は頭の後ろに手をやった。
「この辺にぼんやりと感じる、みたいな。視覚的に見るって言うより、頭の中に色のイメージが浮かぶって感じかな」
「へぇ。じゃあ、うららは何色? うららも暖色系なんでしょ」
「山崎さんはピンク。黄色の混じってる、オレンジに近いようなピンクかな」
「ピンクなんだ。赤かと思った」
「どうして」
「なんとなく。リーダーは赤ってイメージあるから」
「なるほどね。リーダーとは少し違うけど、熱血漢タイプの人は赤っぽいことが多いかな」
「ふぅん、おもしろいね」
「そう? まぁ、一人ひとりにそれぞれイメージカラーがあるっていう考え方をするなら、おもしろいかもな」
イメージカラーか。なるほどね、と共感した那菜は、同じダンス部のみなみから聞いた話をふと思い出し、「あぁ」と納得した声を上げた。
「だからピンクが青なんだ」
「え?」
「みなみが言ってたの。岸くんが昔、戦隊ヒーローのピンクの戦士を『この子は青じゃなきゃヘンだ』って言ったって。それって、ピンクの戦士の役をやっていた人の声が青かったからってことだよね?」
「あぁ、その話ね」
映志は昔の自分を笑い飛ばすような口調で言う。
「あれは大変だったよ。役の色と声の色がぴったり一致してる人のほうが少なくて、違和感だらけのままテレビを見てた。誰も共感してくれないし、両親からも最初は『あんたはヘンな子だ』って言われたからね。でも結局、それがきっかけで俺は自分が共感覚の保持者なんだってことがわかったんだ。両親には『他人にはあまり話すな』って言われてるから、やっぱりヘンな子って思われてるのは間違いないけど」
「そんなことないでしょう。岸くんが共感覚のことでいじめられたりしないようにって心配してるんだよ」
「どうかな。親だからこそ、俺に心を見透かされるのが怖いって思っていそう」
ショッピングセンターのロゴマークが見えてくる。フロアは二階まで、三階と四階、そして屋上が立体駐車場になっている、それなりの大きさがある建物だ。
「母さんがおかしくなったの、たぶん、俺のせいなんだよね」
映志はどこか遠くを見つめるような目をした。
「俺にヘンな能力があるってだけでも精神的に負担だっただろうに、妹が生まれたらもっと大変になるに決まってる。父さんは仕事の都合で朝が早くて帰りも遅いから、家のことは母さんにまかせきりだった。そんな環境じゃ、母さんのからだがおかしくなるのも無理ないって感じでさ」
歩行者信号が点滅し始める。二人が横断歩道の前で足を止めると、交差する道路で信号待ちをしていた車の列がゆっくりと流れ出した。
「だから俺、母さんが倒れた時、迷わず父さんに言ったんだ。母さんと望美の面倒は俺が見るから、父さんは今までどおり仕事をがんばればいいって。そうやって自分から動かなきゃ、とてもじゃないけど、あの家にはいられなかった」
からっとした口調の間から、彼の苦しみがにじみ出ているのを那菜は感じた。当時の彼はまだ小学生だったはずだ。それでも自分を犠牲にしなければ家庭内に居場所を持つことができなかったなんて、昔の那菜ならとうてい理解できなかっただろう。
けれど、今なら少しだけ、映志の選択に心を寄せることができる。
多少の犠牲を払ってでも、居場所を求めてしまう気持ちが。
「どうしてわたしに話したの」
信号が変わり、再び歩き出した那菜は映志に尋ねる。
「ご両親からは内緒にしておくように言われてるんでしょ、共感覚のこと」
「うん」
「じゃあ、なんで」
「なんとなく。神谷さん、口堅そうだし」
「どういう意味」
思わず隣の映志をにらむ。映志はただ笑うだけで明確な答えは口にしなかった。
ショッピングセンターの扉をくぐる。百円ショップは二階にあり、二人はセンターの中央にあるエスカレーターへと向かう。平日の午前中、行き交う買い物客の数は多くもなく少なくもないといった感じだ。
「でも、きっかけが神谷さんだったことは間違いないかな」
那菜は思わず映志を見た。
「わたし?」
「うん。高校で神谷さんと再会できてなかったら、誰にも話さないままだったと思う。話したところで信じてもらえるかどうかわからないから、無闇に話したりしないだろうし」
「わたしだから、話したくなったってこと?」
「かもね。そしてきみは、俺の話をちゃんと聞いてくれた。信じてくれてるかどうかは別として、バカにはしなかった」
ありがとう、と言った映志の顔はどこまでも清々しかった。理解されない苦しみが、那菜に打ち明けたことで少しは楽になれたのかもしれない。
「信じるよ、岸くんの話」
那菜は足を止め、ちゃんと映志の目を見て伝えた。
「つらいことも多いだろうけど、素敵だな、とも思う。岸くんに見えている世界は、誰よりもカラフルなんだよね」
誰かと話をするたびに、世界に色が増えていく。うらやましいとは思わないし、苦労が絶えないことも想像に難くない。
けれど、色のない世界よりはずっといい。色にあふれた世界のほうがうんと明るいに違いない。
映志も那菜の少し先で足を止め、那菜の姿を振り返った。微笑む那菜に、映志もさわやかな笑みを見せた。
「ありがとう。きみに話してよかった」
那菜はうなずき、二人は再び歩き出す。エスカレーターに乗り、二階へ上がると、百円ショップはすぐ目の前だった。
「ねぇ、わたしになにか手伝えることはない?」
映志は不思議そうに小首を傾げる。
「手伝えること?」
「そう。買い物とか、掃除とか。一人で全部の家事をやるの、大変でしょ」
「あぁ。そりゃあ、大変だけど……」
「遠慮しないで、なんでも言って。もちろん、迷惑だったら無理にとは言わないし」
少しでも彼を助けてあげられたらいいという考えが頭から消えたことは一度もなかった。彼のかかえている苦労が少しでも和らげばいい。苦しまずに済めばいい。
一人でかかえる苦しい気持ちは、那菜にも少しはわかるから。
「優しいね、神谷さん」
映志に穏やかな笑みを向けられた。
「え?」
「迷惑だとは思わないよ。むしろありがたい」
「ほんと?」
「うん。そうだな……家事よりも、妹の相手をしてあげてほしいかも」
「妹さんの?」
「うん。望美っていうんだけど、学校から帰ってくると家で絵を描いてばっかりでさ。『お兄ちゃん、見てー』ってその絵を持ってこられても、俺は家事で手いっぱいだし、母さんは寝てるし、父さんは家にいないしって感じで、なかなかゆっくりあいつの相手をしてやれないんだ」
「そうなんだ。仕方ないことかもしれないけど、かわいそうだね」
「だろ。だから、もし神谷さんがよければ、望美の遊び相手になってやってくれると嬉しいなと思って」
「もちろん。こちらこそ、わたしでよければ」
ぺこりと下げた頭を上げると、映志とまっすぐ目が合った。「ありがとう」と微笑みかけられ、急に恥ずかしさがこみ上げてくる。
那菜はそそくさと百円ショップに入っていく。DIYのコーナーへ向かい、ガムテープを探した。
吊り下げ式の表示板を頼りに、ガムテープの売り場へとたどり着く。思いのほかたくさんの種類がラインナップされていて、カラーバリエーションも豊富だった。
「えっと、黒いガムテープ……」
那菜は陳列棚の前にしゃがみ込む。紙製ではなく、布製のものの中から黒いテープを探す。
商品を手で軽く持ち上げ、商品名と説明欄をしっかりと読む。長さなども含めて見比べてから、『BLACK』と表示されたテープを手に取った。
「目、悪いの?」
不意に映志の声が降ってきた。
「え?」
「いや、顔を寄せてるからさ、こう」
映志が開いた手のひらを自分の顔に近づける。那菜がガムテープを見ていた真似をしているらしい。
那菜は首を横に振る。
「そんなことないよ。ちゃんと読もうと思っただけ、説明書きを。ちょっとでもコスパがいいほうがいいでしょ?」
那菜は立ち上がり、黒いガムテープを映志に見せた。
「これでいいよね」
「うん。普通のほうは紙のやつでよさそうだな」
「そうだね」
那菜は陳列棚に目を向ける。「紙……」とつぶやきながら該当の商品を探していると、映志がひょいと手を伸ばし、取ってくれた。
「はい」
「ありがとう」
「あとはなにを買うんだっけ」
「えっと……」
那菜がスマートフォンに残してきたメモを見ながら、二人は順調に買い出しを終え、百円ショップをあとにした。
一階へ下り、たわいない話をしながらショッピングセンターを出ようと歩いていると、那菜たちの前を小さな女の子が横切った。
「ママ」
三歳、四歳くらいだろうか。細く、消えそうな声でその子は母親を呼んだ。周りに母親らしき影はない。
建物の出入り口はすぐ目の前だった。人の往来があり、自動扉は開きっぱなしになっている。
その子が不安げな表情を浮かべて扉を見ている。なにかに引き寄せられるように、その子は扉に向かって一歩踏み出した。
那菜が走る。「神谷さん」と映志が背中越しに那菜を呼んだ。
扉をくぐろうとする女の子の前に回り込む。女の子は足を止め、泣きそうな顔で那菜を見上げた。
那菜は女の子の前にしゃがむ。今度は那菜が女の子を見上げる格好になった。
「お母さんとはぐれちゃった?」
優しく尋ねると、女の子はこくりとうなずき、静かに涙を流し始めた。
「そっか。怖かったね。お母さん、おうちに帰っちゃったと思った?」
女の子はまたうなずく。その背後に映志が近づいてきていた。
「迷子?」
「うん。お母さんとはぐれたみたい」
那菜は女の子の頭を撫で、指で涙を拭ってあげた。映志も那菜と一緒になってしゃがみ込み、優しく声をかける。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんたちと一緒にお母さんを探そう。お名前は?」
「エリ」
「エリちゃんか。俺は映志。こっちのお姉ちゃんは那菜」
「よろしくね、エリちゃん」
映志から不意にファーストネームで呼ばれたことにドキッとしつつ、那菜もエリと名乗った女の子に挨拶をした。エリはまだ不安そうだったけれど、那菜たちが悪い人ではないことはわかってくれたと信じたい。
「じゃあ、行こうか」
映志はエリと手をつなぎ、那菜に言った。
「サービスカウンターへ連れていこう。うちの妹が迷子になった時も、サービスカウンターの人に館内放送で呼ばれたから」
「そうだね。もしかしたら、この子のお母さんも同じことを考えてるかも」
三人で歩き出し、サービスカウンターへ向かう。サービスカウンターは今いる場所の真向かいにあるもう一つの出入り口を入ってすぐのところにあった。




