3-1.
「まずい。まずすぎる」
一年六組の文化祭準備を取り仕切る代表委員の女子生徒が、青ざめた顔をして立ち尽くしていた。彼女以上に青い顔をしているのは、クラスメイトのラグビー部三人組だった。
「すまん。やらかした」
彼らは大道具の係で、クラス展示の目玉の一つであるすべり台を造っていた。開催前日である今日の朝一でようやく完成したのだが、喜びもつかの間、造り上げた当人たちができたてのすべり台でふざけて遊び、一部を壊してしまったのだった。彼らの力作は、彼ら自身の巨体を支えることはできなかった。
「どうすんの! 今から造り直してたんじゃ間に合わないじゃん!」
代表委員の女子が頭をかかえながらラグビー部員たちに対して怒鳴った。彼らは返す言葉が見つからないようで、黙って顔を見合わせている。
「嘆いたって始まらないでしょ」
嫌なムードを断ち切るように、うららが声を張り上げた。
「造り直すよ、みんなで」
「でも、どうやって」
那菜が不安を口にする。
「今からやり直すって言っても、もう材料が足りないよ」
「補修する方向で考えていけばいいんじゃないかな」
珍しく映志が手を挙げて、一つの案を提示した。
「うちでもよくやるんだけど、あり合わせのもので補修しただけでも案外うまくいったりするんだ。たとえば、折れた柱は余った木材を添え木にして強化する。布の破れた部分は、外装で使った黒いガムテープでつなげば傷はそれほど目立たないはず」
「いいね。それ採用」
うららが映志の意見に乗った。映志はもう一言付け足す。
「せっかくだから、ラグビー部員が三人乗っても崩れないくらいの強度を目指して、もう少し足場の骨組みに支えになるようなものを足してもいいんじゃないかな。予算に余裕があるならなるべく折れにくい素材のつっかえ棒みたいなものを買えばいいし、なければ今ある材料をかき集めて作るとかして」
「そうだね。それも採用。ほら、あんたたち」
うららはラグビー部三人衆に目を向け、指示を出す。
「すぐに余った木材を持ってきて。岸が今言ったみたいに、折れた部分の強化と、それとは別に骨を増やせるだけ増やして」
「お、おう」
からだはデカいが、動きは機敏な男たちがさっそく作業に取りかかる。「手の空いてる人は手伝って!」とうららは教室全体に呼びかけ、いつの間にか作業現場をすっかり仕切ってしまっていた。
「さすがだね、山崎さん」
映志が那菜の隣に立ってささやいた。
「すごいリーダーシップだ」
「うん、ほんと。でも、岸くんもすごいよ」
「俺?」
「知らなかった、岸くんがアイディアマンだったなんて」
映志は少し照れたようにはにかんだ。
「父さんがDIYの好きな人でね。よく手伝わされるんだよ、家のあちこちを自前で直す作業を」
「へぇ、そうなんだ」
「俺の話はいいよ」
やはり家庭の話をするのは気が進まないのか、映志は話の筋を戻した。
「神谷さんも、どっちかっていうと山崎さんみたいなタイプでしょ」
「わたし?」
思わず映志の横顔を見やる。映志は「なんとなくだけど」と言った。
「ああいうリーダータイプの子は、声の色が暖色系のことが多いからさ。神谷さんも山崎さんと同じで、自然と周りに人が集まるタイプだと俺は思ってるんだけど、違う?」
相変わらず、映志は痛いところを突いてくる。「さぁ、どうだろう」と曖昧にしか答えられなかったのは、映志の指摘こそが那菜から大切なものを奪った本質的原因だとわかっているからだ。
ごまかすように、那菜は中学時代の話に少しだけ触れた。
「いちおう中学の頃は茶道部で部長をしてたけどね」
「へぇ。すごいじゃん、部長なんて」
「全然。茶道の先生がお稽古を見てくれるのは週に一回だけだったし、残りの日は自分たちだけでだけゆるーく練習するような部活だったもん。誰もやる人がいなかったから、仕方なくわたしがやってたって感じ」
「それでも、ある程度は場を仕切れる人じゃないとリーダーは務まらない。顧問の先生だって、無責任な人に部長をまかせたりはしないだろ」
「まぁね」
半分は映志の指摘どおりだった。活動がとにかくゆるく、やる気もあるのかないのかわからないような部員が集まる中で、なんとなく那菜が稽古を取り仕切り、そのまま部長の席に座らされた、というのが実情だった。那菜が自主的に手を挙げて部長になったわけではなく、部員の誰もが那菜が部長になってくれるものだと思っているような雰囲気で、手を挙げないわけにはいかなかった。
自分がそういう性分なのだろうなとわかった上での行動だった。力を持つ代わりに、周りの人の幸せを誰よりも強く願い、叶えようと努力する。
一方で、みんなの願いを叶えるためのアイディアを実行に移す権限を持つことは、那菜にとってとても気持ちのいいことだった。こうすればみんなが幸せになれる、そんなアイディアを披露し、同意を得た上で実行に移せた時の爽快さはなににも代えがたい。
茶道部の活動に限らず、小学生の頃まで遡って、那菜にはそんな経験が豊富にあった。映志に言われたとおり、那菜の周りにはなぜか友達が集まり、那菜が集団の中心にいることは決して少なくなかった。
我知らず、那菜は大きく息を吐き出す。思い出すだけで吐き気を覚えるあの頃の記憶が脳裏をよぎる。
あの日から、世界は百八十度変わってしまった。
目の前に提示された別れ道。右が正解だったのに、左を選び、出口の見えない真っ暗闇を進むことになってしまった。
自分の気持ちを優先したばっかりに。
肝心なところで、自分の幸せを叶えようとしてしまったばっかりに。
「黒のテープがない?」
うららが上げた信じられないと言いたげな声のおかげで、那菜はようやく我に返った。どうやら、破れた布の補修に使いたかった黒いガムテープの余りがないらしい。
うららの声に同調するように、別のクラスメイトが「普通のガムテープも足りないかも!」と叫んでいる。補修作業はさっそく暗礁に乗り上げたらしい。
「わたし、買ってくるよ」
那菜が手を挙げる。学校の北側にショッピングセンターがあり、百円ショップも入っている。文化祭の準備で必要なものはそこでたいてい手に入った。
「黒のガムテープと、普通のガムテープ。他になにかほしいものがある人いますか?」
那菜はスマートフォンにメモを取りながら尋ねる。目の前の難題のクリアを懸命に目指すことで、過去の忌まわしい記憶を断ち切ろうと努力した。
他にもいくつかリクエストを受け、文化祭代表委員から予算内に収まることを確認してもらうと、那菜は代表委員から学校祭用の財布を預かった。余った予算は打ち上げ費用になる予定だったが、そんな余裕はつゆと消えそうだ。
「俺も行くよ」
映志が那菜に歩み寄った。
「買い出しは二人以上で行くのが決まりだろ」
そのとおりで、那菜も誰かを誘わなくちゃと思っていたところだった。名乗り出てもらえて助かった。「ありがとう」と那菜は素直に映志に礼を言った。
「じゃあ行ってくるね、うらら」
「うん、お願い。こっちはまかせて」
と言いながら、うららはもっぱら指示を出すばかりで自分はほとんど動いていなかった。彼女らしくて、那菜は映志と顔を見合わせて笑った。




