タイトル未定2025/11/11 11:55
ずっとタクシーが嫌いだった。乗り心地や料金が、ではない。煙草の匂いがシートに染み付いた、あの空気が妙に鼻につき、僕を不快な気分にさせていた。もう一度言おう。僕は、タクシーの匂いが嫌いだった、一週間前までは。
先週、故郷の父が他界した。享年、六一歳。まだ若い、早過ぎる死だった。自ら起ち上げた、町の小さな部品工場を四〇年近く守り続けてきた。六十歳を目前にして、跡取りを断った僕の代わりの次期社長を生え抜きの社員の中から選び、経営のノウハウを徹底的に叩き込んだ。だが、何とか後継者のメドが立ったのを境に父は急に老け込んだ。次第に工場に顔を出さなくなり、ヘビースモーカーだった父の喫煙量は倍以上に増えた。
そんな日が半年ほど続いたある日、咳が止まらなくなり病院を受診すると、肺ガンだと診断された。しかも、末期。即刻入院することになったのだが、具体的な治療方針が固まる前に、息を引き取った。
父は一人暮らしだった。僕が幼い頃に母と離婚し、男手一つで僕を育ててくれた。感謝しているし、尊敬もしている。それでも、大学進学を機に僕は故郷を離れた。工場も継がず、故郷にも戻らなかった。ことあるごとに、「後を継げ」「次期社長はお前だ」と言われてきた。そんな父のことも、僕は嫌いだった。
それを、今たまらなく後悔している。もっと長生きしてほしかったし、もっと話したいこともあったのだ。三十歳になった今なら、もっと父と分かり合えたはずだ。大切なものに、全てが終わってから、そして、全てを失って初めて気付くのだった。
父の葬儀を終えると、僕はすぐに東京に戻った。実家から空港まで、タクシーを利用したのだが、以前のような嫌悪感は湧いてこなかった。後部座席に乗り込み、深呼吸する。シートに染み込んだ煙草の匂いを吸い込むと、父の顔が浮かんでくる。目を閉じても、ずっといる。父がいる場所は、僕の心の中なのかもしれない。瞼がじんわりと熱くなり、やがて父の姿が滲んで、揺れて、弾けた。




