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黒の館

作者: 白山菊理

その館は何から何まで真っ黒だった。

壁も黒。窓も黒。門も、塀も何から何まで真っ黒だった。その上、庭は荒れ果て、館の至る所にくもの巣が張り、蝙蝠が巣くっている。

廃墟同然の館には、それでもしっかりと人が住んでいた。


「レイン、レインは居るのかね?」


「はい、お館様。此処に居りますわ。」


館に住んでいたのは、しわがれた老人と、齢17くらいの少女だった。

祖父と孫に見えなくもないが、実際の2人の関係は違っていた。

主人と女中……レインと呼ばれたこの少女は下層階級出身の女中に過ぎない。いや、下層階級というのも些か言いすぎかもしれない。

彼女は、貧民窟で暮らしていた孤児であった。彼女はいつも襤褸切れの様な物を纏い、中流から上流階級の家を回り‘お恵み’を貰って生きていた。子どものうちは、哀れみからそれが貰えていたが、成長するに連れてそういうわけにはいかなくなった。

何日も食を断たれた彼女は、ついに娼婦になることを決意した。そこで最初のお客となったのが、この屋敷の主人である。


「お前のような若い娘が何故こんなことを?」


「お聞きにならずともお分かりでしょうに。それとも、上流階級の方にはお分かりにならないので?」


「金か…」


「いいえ、生きていくためですわ。」


「働く場所も選べぬというのか……ならば家へ来るか?女中としてなら置いてやる。」


このようにレインは屋敷の主人に拾われた。主人と女中――勿論、二人の関係はそれだけであり、それ以上ではない。

彼は気まぐれで娘を屋敷に置いたのだが、それでも彼女を乱暴に扱うことは無かった。


「ごほっ――…ゲホッ、う……!」


「お館様!?」


もう一つだけ、この館の主人についての説明付け加えるのであれば、死期が迫っているということだ。

主治医の話によれば、いつ亡くなってもおかしくないという。病気は悪化し、入院した方が良いと言われれていた。埃まみれの廃墟同然の屋敷に住んでいるというだけで、体には良いはずがない。それでも頑なに入院を拒み、薬さえも拒み続けた。主治医がどんなに勧めても絶対に飲もうとはしなかった。


「レインよ、ベッドまで連れて行っておくれ。なぁに、大丈夫さ。」


レインは主人を抱え、ベッドまで連れて行き、そこに寝かせ、丁寧に布団を掛けた。彼はヒューヒューと音をさせぎこちない呼吸をしていたが、やがて大きな深呼吸をし、重苦しく口を開いた。


「レインよ、私の死期は近いようだ。私は罪深い人間で……嗚呼、それは私ではなく‘ある男’としよう。ある男の物語をさせておくれ…」


そうして彼は、最期の力を振り絞り語りだした。






昔々、あるところに一人の男が居た。彼は富も名声も持っていた。上流階級で生まれた彼は下層階級の者の気持ちなぞ分かるわけもなかった。むしろ上流階級以外はは人間ではないとさえ思っていた。そう、モノだと。彼は使用人たちを扱使い、満足な食事も与えず、使い捨てのモノの様に……。

死んだほうがましだと多くの使用人が屋敷を出て行った。それでも彼は、


―クズめ、恩を仇で返すような真似をしやがって―


としか思ってはいなかった。思い上がりや傲慢の塊のようなどうしようもない人間だった。

気がつけば屋敷に使用人は一人しか残っていなかった。それも女。よく見れば彼女は美しかった、が――自分より身分の低い者が恵まれた容貌を持っているなど……そして自分自身が彼女を愛し始めているなど耐えられなかった。

彼女に優しくし、恋人のような関係にあっても、ふと我に返った彼は暴力を振るった。それでも彼女は逃げ出そうとはしなかった。いつかは彼が心を開いてくれる、そう思っていたのだろうが、それは無理な話だった。

彼には婚約者が居たのだ。地位と富だけで美しくない婚約者、けれども彼女の持っているそれこそが彼が一番重要視しているものだった。

それ故に、ただ美しいだけの使用人である女が邪魔になった。


「これをやる!どことなり消えるが良い!」


男は玄関で使用人の女を突き飛ばし、高価なブローチを一個投げつけた。それでも彼女は何も言わずそれを掴み去っていった。





「今思えば……その男は弱かったのだな。婚約者を捨てることもできず、金がすべてだと思い込み…金しか知らなかった。そんな男は当然、婚約者とも上手くいくはずがない。婚約者は早くに家を去った。レインよ……お前をこの家に置いたのは実はせめてもの罪滅ぼしなのだ。お前を初めて見た時、何故か使用人の彼女と姿が重なってしまった。お前に優しくすれば許される気がしたのだ……。」


彼は弱々しくレインの頬を撫でた。その手をそっとレインは握った。


「お館様…ええ、きっとお館様は罪から救われますわ。」


「やさしい子だね…」


「お館様、貴方はきっと罪から救われるでしょう。これが何だか分かりますか?」


レインが手にしているものを見た途端、ただでさえ血の気の無い彼の顔からみるみる血の気が引いていった。


「それは……」


「そうです、貴方が使用人の女に渡したブローチです。そんな顔をしないで下さい。私は貴方が追い出した使用人の娘です。ふふふ、似ていて当然ですよ。やっと探し当てましたわ、お父様。」


彼は目を見開いた。

娘――そんな馬鹿な。


「身籠っていたことも知らずに追い出すなんて酷い方ですね。こんな人がお父様なんて、信じられません。母も言っていましたよ。悪魔のような人だったと。優しくしては、その倍以上の暴力を振るう。貴方が思っていたように、確かに母は身寄りがなく、この家だけが唯一の居場所でした。没落貴族だった母の家は、せめて娘が――つまり母が行くところに困らないように、この屋敷に行儀見習いとしておいてくれと頼んだ。貴方は快く受け入れましたね。けれども、母が喋れないのをいい事に使用人同然に扱った。貴方にとっては、上流階級以外は皆、虫けら同然だったのかもしれませんがね。」


「ま、待て!喋れなかっただと!?今、お前は『母が言っていた』と…」


「ええ、私を産んだことで喋れるようになったんです。でも、そんなことはどうでもいいことですよね、お父様?」


「レイン、そんな人をお父様と呼ぶのはおよしなさい。」


扉のところで女性の声がした。


「お母様!」


「リア……だと。お前は死んだのではなかったのか!?」


その女性は、妖艶な笑みを浮かべ、驚きを隠せない彼の耳元でささやいた。


「この子が言ったことをすべて信じたんですの?馬鹿な人、私を捨てて、婚約者に捨てられて、可哀想な人。だからこそ、私の娘の姿に引っ掛かると思っていましたわ。寂しさを忘れるために、いずれ娼婦の処へ来るだろうということも、予測がつきました。私は貴方を愛していた…けれど貴方は私に暴力を振るうばかり。口が利けず、逆らえないのを良い事に。そして唐突に追い出した。世間知らずの貴方は、唯一私を自分の好きに扱うことで優越感に浸っていらっしゃったのでしょう。小さなお城のちっぽけな王様のように。私は貴方がいつかそれに気付き、改心してくれると思っていました。けれども貴方は愚かなまま。こんな死に際に自分の愚かさを悟り、娘に赦しを請い、救われようというの?」


「なら私はそうすればいいのだ…」


「私と娘が、貴方を許すことも裁くこともできるのです。この家の財産をすべて娘に譲ってくださるのなら貴方を許しましょう。」


「お前は……っ」


「まぁ、有無は言わせません。そしてそれでも許さないことをお知り下さい。でも、せめてもの慈悲です。私が看取って差し上げましょう。」


突如、彼は苦しみだした。何時間前かの朝食に盛った毒が効き始めたのだ。ここで、彼に倒れられてもこの母娘には痛くも痒くも無かった。何故なら、財産を娘であるレインに相続するという書類は、記入済みだからである。だいぶ前に、目の悪くなった彼の前にレインは書類を差し出し、サインを求めたのである。それがこのような内容だとも知らず、彼はサインした。


この館の主人はたった今息を引き取った。

その死体を見て2人は声を上げて笑った。



その館は何から何まで真っ黒だった。

壁も黒。窓も黒。門も、塀も何から何まで真っ黒だった。その上、庭は荒れ果て、館の至る所にくもの巣が張り、蝙蝠が巣くっている。

廃墟同然の館には、それでもしっかりと人が住んでいた。


真っ黒い心の母と娘。

真っ黒い闇を心に持ち、真っ黒い闇へと落ちていったこの屋敷の元主人。

その死体は今もある。





まとまらなくてすみません。

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