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「あいつ、とんでもない奴でしたね。」
領主の屋敷を出て町外れにやってくると、ウサギは生き生きと身体を伸ばし始めた。
人目が居ない場所が落ち着くようで、そういうところはちゃんと魔物らしい。
「……お前は、領主のアイデアについてどう思う?やっぱり良くないと思うか?それとも、領主の言う通り画期的ないい案だと思うか?」
「あの魔猫を放つってやつですか?うーん……質問に質問を返す様で悪いのですが、勇者さんはどう思われましたか?」
ウサギはぴょこりと耳を跳ねさせ、勇者の顔を覗き込んだ。鼻をひくつかせ、気味の悪い表情で首を傾げる。
「俺が?」
「そうです。勇者さん自身の御意見が聞きたいのです。色々懸念点はあれど、試してみる価値はあると思いますか?」
勇者は予想外の返しに少し戸惑った。だって、目の前にいるのは明らかに自分よりも頭のいいウサギだ。今まで自分では思いつかなかったことを平然と言ってのけ、真相に辿り着く為のヒントをその都度教えてくれた。その鋭い思考力の前では自分のアイデアなど無意味にも等しいと思えてしまう。
いや、しかし、それでいいのか。自分は勇者だ。勇者は魔物を殺す為にいる。
例え魔王軍とは関係ない野良相手であったとしても、魔物に思考を完全に委ねるのは如何なものか。
全てを魔物任せにし、自分の思考を放棄するのはダメだろう。そう再考した勇者は、頭を捻り何とか自分なりの答えを導き出した。
「俺は――ダメだと思う。」
「それは、何故ですか?生態系を別の生物を使って整えるというアイデア自体は良さそうなもんですが。」
「何というか――ちょっと乱暴すぎると思う。そもそもその生態系が崩れた原因だって、角兎が思いがけず繁殖したせいだろう?しかも、森に入る狩人以外はそれを知らなかった位、森の変化は分かりにくかったはずだ。仮に魔猫を森に放って角兎が減ったとしても、今度は魔猫が異常増殖して問題を起こすんじゃないか?しかも、人間はその変化にすぐ気づけないから――問題が起こってからそれに悩むことになる。」
それを聞いたウサギはにこりと微笑む――ような表情を作ってみせた。
「素晴らしいですね、流石勇者さん、理解度が高いのですね。その通り、このままでは大量の獲物を獲れる魔猫が風狼に代わって増殖するでしょう。そしてその魔猫が銛の生態系を更に破壊するでしょう。……勇者さん、覚えていますか?領主さん言ってましたよね、魔猫は狩りの達人だと。魔猫の獲物は小動物全般で、何も角兎だけではないのです。」
「角兎以外も獲って食うってことか?」
「はい、そうです!森に住む小鳥やネズミ、挙句の果てには虫まで奴らは食いつくすでしょう。万一小動物達が絶滅してしまえば、もうあの森が元の姿を取り戻すことは無くなるでしょう。……ああ、やっぱり猫なんて碌な生き物じゃないんです。」
ウサギの柔らかい毛並みがブルリと震えた。
「そうか、やっぱりそうなんだな。……しかし、あの領主を止めるのは難しそうだ。」
「まあ、無理でしょうね。多分誰が言っても話を聞かないでしょう、勇者さんの話ですら聞かなかった位です。諦めてあの森が崩壊するのを指咥えて見るしかないですね。」
ふと勇者の頭にはあの狩人の顔が思い浮かんだ。原因を知っても尚動かず、全てを諦めていたあの老人の顔を。
決して無気力な訳じゃ無い。そうせざるを得なかっただけ。
「……それで、いいんだろうか。」
「いいんですよ、それが社会ですから。」
飄々と答えるウサギの言葉は軽いが、只の無責任とは程遠かった。
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「今後はどうするんですか?」
「……この町を出て、次の町へ向かう。もうここの依頼は終わったから、留まる理由もない。レベルも十分に上がったから、次の町ではある程度楽できるはずだ。」
それに、勇者はこの町には留まりたくなかった。胸につっかえた靄がキリキリと痛むのだ。
あの森が滅ぶのは確実に自分のせいではない。寧ろ勇者のお陰であの森の寿命は延びたと言っても過言でない。
しかし、今後の事を考えると、何だか嫌な現実を見せつけられるようで、それを止められなかった自分が責められるような感覚がして、目を背けたくて仕方が無い。
「そうですか。確かに勇者は一か所に留まるよりたくさんの場所を移動させた方がいいですもんね。勇者は魔王と戦う前にこの国の各地を回り、対魔物の機運を高めなければならない役割があると聞きましたから。」
「そんなことどこで聞いたんだよ……俺が小さい頃から教わってきたのは『各地で貴族の言う通りにして、人々を助ける様に』だぞ。なんで俺ですら知らなかったことをお前が知ってるんだ。」
「何というか――世間知らずなんですね。いや、いい意味ですよ。」
「いい意味なんてあるのか、世間知らずに。」
ウサギは言い方を間違えた、とばかりに無理やり苦笑いをした。
「それでは、お元気で。頑張ってくださいね~。」
そうウサギは前足を振り、そそくさと勇者の腕から逃れようとする。
「おい待て、どこへ行く気だ?」
首輪に繋がった革紐はしっかりと勇者の手の中に納まっている。勇者の顔は、それはそれは素晴らしい笑顔だった。
「いや、もう私を連れ回す意味なんて無いでしょう?角兎も影狼も討伐しましたから、私の役目は終わりなはず。それに殺す理由だってありませんよ?だって私、角兎ですから経験値だって美味しくないし。」
しかし、勇者は無情にも首を振った。
「確かにお前は良く仕事した。この地について理解を深めるきっかけになったし、依頼の達成にも役立った。そう、お前は使える。きっと、今後も使えるだろう。」
勇者はウサギの首根っこを掴み、顔の高さまで持ち上げた。ウサギは手足をばたつかせたが、余りにも無様で無力だった。
「というか、いいのか?今あの森に帰ったら大量の風狼がいるぞ?今後は魔猫も投入されるだろうし。」
「いや、いいんですよ。自分はこっそりあの森を出て他の住処を探すので。」
「そう簡単にいくのか?角兎みたいな弱い魔物が単体で知らない土地を歩いたところで、知らない天敵に捕まって死ぬのがオチじゃないか?」
そう言うと、ウサギはウッと低く唸って押し黙った。どうやら図星のようだ。
「お前みたいな賢い魔物がそんな死に方をするなんて勿体ない、もっとその頭を有効活用すべきだ。だから、俺の旅についてこい。いや、連れていく。」
「そんなそんな、自分なんてただのお荷物にしかなりませんって。」
「断るなら殺す。逆に、ついてきてくれるなら定期的に餌はやる。この町を散歩した時に聞いたぞ、角兎はフルーツが好きなんだってな。あの山にフルーツは自生しないだろうが、俺についてくればたまに、いや稀に、買ってあげないこともない。」
勇者の言葉に、ウサギの角がピクリと動いた。
「フルーツ?フルーツですって!ああ、大昔に一齧りだけしたあの味が今でも忘れられず……いやいや、そういって一切買わない気でしょう?勇者さんはドケチですから。」
「まあ信じようが信じまいが、お前に選択肢はないけどな。」
勇者は腰に差した剣に手をかけ、ほんの数センチだけ引き抜いた。
「は、はい、わかりましたわかりました。貴方の旅にお供いたしましょう。微力ながら力添えさせて頂きますとも。」
「良かろう。それでは、次の町へ向かおうか。」
それは、1匹と1人の奇妙な旅の始まりだった。
この不平等で不釣り合いな組み合わせが何を引き起こすのか、そんなことは誰にも分からなかった。
分からなくて良い。本人たちが、今それを最善だと思うなら。
「……フルーツの件、私は信じますからね。」
「フルーツを買える程お前が役に立ってくれればな。」
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