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3-8

 船から飛び降り、水面を割って勇者はタコと対峙した。

 上半身こそ水から出ているが、腰から下はがっつりと海に沈み、波に足を取られる。踏み込みも回避も、陸のようにはいかない。水の抵抗が、思考より一瞬遅れて体を鈍らせる。


 だが、それは相手のタコも同じだ。

 この浅瀬では、奴も体全てを沈めることはできない。水から突き出た巨体は重力に引かれ、その部分を支えるだけでも莫大な力を消費している。

 それでも――挑発に応じ、戦いを選んだ。巨大な瞳がぎょろりと勇者を射抜く。


「さて、それでは――対面といこうか。」


 剣を振り抜く。風を斬る鋭音と、水面を震わせる衝撃が重なり合う。

 空気と水、軽さと重さ。二つの世界の音が同時に響き、場を異様な緊張で満たした。


 刃と触手の棘がぶつかり合い、金属を叩き割るような硬質音が水音に溶け込む。火花が弾け、濡れた空気に一瞬の閃光が散った。


 攻防は単純だ。

 勇者は剣を振り、タコは棘だらけの触手を薙ぎ払う。


 リーチの差は歴然。

 一度でも直撃すれば、太くしなやかな触手は勇者の骨を容易く砕き、海へと沈めるだろう。

 だが切れ味では勇者の剣が勝る。棘を外れさえすれば、刃は容易く筋肉を裂き、触手を斬り飛ばすことができる。


 勇者は水面を蹴り、ぴょん、と兎のように軽く跳ねる。波が弾ける一瞬の隙を突いて触手の合間を抜け、鋭く切り込んだ。

 スパッ――と水音に混じって肉が裂ける音。触手の皮膚が割れ、赤黒い筋組織が露出する。傷を負った足が苦痛にねじれ、水飛沫が高く舞った。


 だが奴にはまだ七本残っている。

 傷ついた触手を引っ込めると、残る別の足が即座に襲いかかる。


 ――八本対一人。

 単純な算で言えば、勇者は八倍不利だ。


 それに加え、何でもタコには心臓が3つあるらしい。漁師たちに聞いた時は本当か?なんて疑心暗鬼だったが、今その動きを間近に見ている限り、嘘ではなさそうだ。

 筋肉に血を送り続ける器官が、桁違いの持久力を生み出している。

 いくら勇者の称号に裏打ちされた身体能力を駆使しても、長期戦は不利。巨大な影を相手取るのは、無謀に近い。


 勇者は大きく跳び上がり、水を振り切って宙へ飛び出す。

 水上に出た瞬間だけは、足を縛る抵抗がない。空気を裂く剣撃は自由そのもの。だが宙に浮いた体は体勢を変えられず、一撃必中の賭けになる。


 狙い目は――触手が大きく振り切られ、筋肉が収縮しきらない刹那。

 振り抜かれた棘の嵐をかいくぐり、勇者は全身の力を剣に込めた。


「おおおおッ!」


 鋼の閃光がタコを裂かんと落ちる――が、別の触手が割り込む。

 鋭い棘が剣筋を阻み、空気中で火花を散らした。水しぶきと火花が混じり、光と影が交錯する。


 息が荒い。水を吸った衣服は重く、体温を奪っていく。

 勇者は舌打ちすると、着ていた軽鎧を勢いよく脱ぎ捨てた。

 どうせ触手に当たれば防御など意味はない。ならば速さを選ぶしかない。


「……掠れば死ぬ。なら、掠らなきゃいいだけだ。」


 水に濡れた体を震わせ、握った剣を構え直す。

 勇者の瞳に揺らぎはない。


「おいタコ、折角だから教えてやる。俺は勇者、魔物を狩る者だ。」


 ---


 勇者。

 目の前の人間はそう言った。

 それが人間自身の名を指していることは、何となく理解できた。変な名だ、とも思った。


 タコには名がない。名を必要としないからだ。

 産まれてから同種を見たことがない。勿論、魔物でない通常生物のタコは見たことがあるが、自分と同じ形をした魔物は出会ったことが無い。

 親も知らない。1人冷たい海の底で卵から孵ったのが、自分だ。

 だから、他者と識別するための記号も必要としない。


 さて、タコも決して考えなしにこの場所へ来たわけではない。

 自分を倒そうとする男がわざわざ引き込んだのだから、何か罠が仕掛けてあると考えるのが普通である。目の前の感情に動かされながらも、冷静さを失う程愚かではない。

 タコの横長の瞳孔は常に周囲を見渡し、警戒していた。

 そして、勇者の1つの作戦を見抜いた。


 半水上での戦いは長引く。互いに戦いにくい場所では各々の得意な動きも出来ず、ただいたずらに体力を削っていく。

 しかし目の前の人間は、その戦いに怖気づく様子も無く淡々と戦いを続けている。

 つまり、この戦い方をある程度予測し、覚悟してきたということだ。


 時間がかかれば、変わるものは幾つもある。

 体力、集中力、切れ味だけでない。日の高さ、周囲の気温、そして、水位。


 ――水が、下がっている。

 人間の作戦は見えた。潮の引きと共に、戦場を自分の有利へと傾けるつもりだろう。やがてタコは浅瀬に追い込まれ、陸の獲物に成り果てる……そう考えているに違いない。


 タコはほくそ笑んだ。

 本来タコは深い海の生き物であり、浜の事情など知らない。人間もそう考えてこの水位を作戦のうちに盛り込んでいたに違いない。

 水位が下がれば水生生物には不利に、陸上生物には有利になる。恐らく、この人間も潮の引きを理解した上で、ここで長時間の戦闘を続けていたのだ。

 次第にフィールドが自分有利になり、タコはいつの間にか低くなった水位に混乱しながら討伐されるだろう、と。


 だが、実際は違う。タコは学ぶ生き物だ。

 陸から人間を追い詰めている時に、時間帯によって水位が変化することに気が付いた。時期にして、この町に来てから1週間くらいの事だろう。

 そのメカニズムこそ分からなくとも、経験則的にそうなることを知っているのなら、十分対策可能だ。


 タコは次第にじりじりと後退し始めた。

 勿論、ただ後ろに後退したわけではない。立ち位置をずらし、巧みに攻撃と引きを繰り返す。陸を背に向けての攻撃、その後すぐに海側に避けてから一瞬の引き。

 勇者の斜め上からの斬撃を避け、再び陸地側に大きく腕を振り上げて、海側へと横薙ぎに。勇者は必然的に海側へと回避することになる。


 これを繰り返せば、少しずつ陸地から離れていく。

 しかし、水位は一定で変わらない。戦闘に夢中なこの人間は、少しずつ陸地から離れていることに気づくだろうか。


 ヒット&アウェイ。結局はこのやり方が互いにとって一番効率がいい。

 何度も何度も同じ動きを繰り返し、身体中のエネルギーを消費していく。体力は無限ではないから、いつか限界がくる。

 限界が近づけば、当然焦る。焦れば周りが見えなくなり、単純な動きが増えてしまう。


 何度目かの攻撃。触手を薙ぎ払った後にやってくる、空中に一度跳んでからの重い一撃。

 当たれば当然痛いので、タコは身をするりと引いて避ける。

 すると、掠った剣が空を切り、膝上くらいの浅瀬に着地する――と思いきや、勇者はそのまま深い水中へと落ち、バランスを崩した。

 海底はなだらかな傾斜ではない。突如深くなる地点が存在する。


 その隙を狙い、タコは渾身の一撃を繰り出す。

 棘だらけの触手を振り払い、勇者の腹を殴り飛ばす。棘が薄着の横腹に直撃し、皮をやぶり、肉を抉る。

 真っ赤な鮮血を飛ばしながら、勇者の体は軽く吹き飛んだ。



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