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「勇者様のお帰りだぞ!」
石畳の道とレンガ造りの家々が並ぶ、小さな西洋風の町。古びた街並みにもどこか温かみがあり、地元の作物や家畜で日々をまかなえる自給自足の生活が根づいている。
気候は穏やかで、周囲の森にも危険な魔物は少ない。新米の勇者が初期の鍛錬を行うには、これ以上ない立地だ。
因みに捕らえたウサギは腕に抱えて歩いている。
行動制限のかかる魔法の首輪をつけたお陰で、ウサギは勇者に抵抗することもできず大人しく抱えられるしかなかった。
森の森では人語を話し、騒がしかったウサギも、今はぴたりと口を閉ざしている。人前で喋るのを避けているのか、あるいは「売るぞ」と言われたのを根に持っているのか。
ぶらぶらと町中を歩いていると、不意に町人が話しかけてきた。
「勇者様、お帰りなさい!あれ?その角兎は……」
「折角だから捕まえてきました。暫くこいつをペットにする予定です。」
「はあ、野生の角兎をペットにですか。今時珍しいですね。」
「今時?以前はよくある事だったのですか?」
「ええ、昔ちょっとしたブームがありましてね。ただ、角兎は意外と手がかかるもので。すぐに皆、飼うのをやめてしまいましたよ。」
「……そうですか。」
何かが引っかかったが、言葉にはならなかった。勇者は町人に軽く会釈し、再び歩き出す。
今度は畜産農家を探す。依頼を受けた際、風狼が家畜を襲っていると領主が話していた。直接被害を受けた者から話を聞けば、詳細な情報が得られるだろう。
最もそうするように助言してきたのはこのウサギであるが。
町を歩くだけで人々が声をかけてくる。最近は各地で魔物の被害が多いせいか、勇者の威光に縋る人が多いのだろう。
尊敬、憧憬、希望。それを一身に背負うのが勇者と言う存在である。
「勇者様、応援しております!」
「握手をお願いします!」
「僕、大きくなったら勇者様みたいになるんだ!」
子どもに手を引かれ、老人に花を渡され、女たちには目を輝かせられる。誰もが彼に期待を託していた。
だが──
勇者は、望んで勇者になったわけではない。
それなのに、適当に歩く度に町人たちが群がってくるので、のんびり気ままに過ごすことも出来ない。話し相手にこそ困らないが、気が抜けなくて疲れてしまう。
常に視線を向けられるこの感覚はいつまで経っても慣れない。
「……勇者様、この町には何を?」
「領主様の依頼で風狼を討伐に来ています。」
「やはり! 最近、風狼が頻繁に現れて……町のみんな、怖がっているんです。どうかよろしくお願いします!」
屈託ない笑みで手を差し出され、それを勇者は自然に握り返す。
「ところで、風狼の被害について情報が欲しいのです。風狼の被害にあった畜産農家の方を探しているのですが……」
「それなら、お連れしますよ。こちらへどうぞ!」
道案内を申し出た町人についていく。馴れ馴れしさに少しばかりの不快感を覚えるが、母の言葉が脳裏をよぎる。
──使えるものは使っておけ。
無言のまま、先導する町人の背についていった。
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「おやまあ、勇者様とは珍しい。一体何用かね。」
町外れに立つ小さな丸太小屋。案内された家の主は、年老いた女性だった。裏手の柵では、数十羽の鶏が忙しなく餌をついばんでいる。柵は何度も補修された形跡があり、風狼の被害を物語っていた。
勇者はにこりと微笑み、人受けの良い表情を作った。
「鶏を飼っていると伺いまして。今自分は風狼討伐依頼を受けているのですが、何かお話を伺えればと。」
「まあ、あの風狼共を蹴散らしてくれるって?そりゃありがたい!私に話せることなら何でも話しますよ、さあ遠慮なく。」
婆さんは勇者の肩をぽんぽんと叩くと、家へ入る様に促した。
小さな丸太小屋のような家に入ると、干し草のような独特の匂いがツンと漂ってきた。
「そこに座っておくれ。茶しか出せないけど、我慢しておくれよ」
低い木の椅子に腰掛けると、湯気の立つ茶が差し出される。婆さんも向かいの椅子に腰を下ろし、口を開いた。
「で、何が気になるんだい?」
「風狼の被害についてです。依頼主――領主様から大体の話は聞いてるのですが、詳しいことを聞いた上で依頼に臨みたいと思いまして。」
「はあ、流石勇者様は勉強熱心だなあ。いいよ、教えてあげようか。あのにっくき狼共の所業についてな!」
どうやらこの婆さんは相当風狼に悩まされているようだ。
聞く話によると、ここ数か月程急激に風狼が町に来ることが増え、夜になる度に鶏を食っては逃げて行くのだという。
何とか柵と網を強化して対策はするものの、相手は普通の狼よりも遥かに力も知恵もある魔物。補強した柵や網も、次第に通用しなくなってきていた。
「ここ数か月ですか。原因は何だと思います?」
「さあねえ。ただ気になるのは、町に下りてくる狼たちは皆痩せこけていた事かしら。風狼は基本皆細い体をしているけれど、私の見た風狼達は更に細かったというか骨ばってた気がするわねえ。」
「痩せこけていた……森に食べ物が無いから町に下りてくるという事でしょうか。」
「そう皆考えているよ。特に、最近は森の草木が減ってきているって狩人も言っていたよ。最近町を広げようとして新しく土地を開墾したからねえ、そのせいかしら。」
婆さんはため息をついた。風狼に対して憎しみを抱くと同時に、住処を奪われた風狼に少し同情もしているように見える。
「草木が減ってきているってことは、確かに風狼の住処の減少に繋がりますね。因みに実際に土地が切り開かれたのはいつのことですか?」
「ほんの半年前の事さ。開墾したとは言ってもねえ、削ったのは森の広さと比べたらほんの少しだったから、大丈夫だと思ったんだけどねえ。」
すると手元に抱いていたウサギがぴくりと反応した。ずっと黙って聞いていたのだろう。
「おや、そいつは角兎かい?」
「ええそうです、森の中でたまたま捕まえまして。たまたま貰った魔物ペット用首輪があったもんで、連れまわしているんですよ。」
「懐かしいねえ。」
婆さんは角兎をじろりと覗き込み、その柔らかい背中に触れようとした。が、突然ウサギはびくんと体を震わせ、尖った短い角をその手に向けた。
反射的に婆さんが手を引っ込めたから無事だったものの、あと少しで角が皴の深い手に刺さるところだった。
「おい、危ないだろ!……すみません、大丈夫でしたか。」
「ああ、大丈夫さ。角兎は人慣れしないこと位知っとる。ただ、昔を思い出してね。今じゃすっかり町中では見なくなってしまった。」
「……昔?」
婆さんは椅子に再びどっかり座り、懐かしい目をしている。
「そう、流行ったんだよ。角兎をペットにするのが。一時は町中が飼ってたもんさ。見た目は愛らしいし、角はまるで宝石みたいだった。しかも商人が“貴族にも人気”なんて触れ回ったもんだからね。」
「ああ、確かに自分も貴族が角兎を飼っているという話は聞いたことがあります。しかし、角兎は世話が大変だと聞きますが……」
「その通り。魔物は魔物。犬や猫とは違う。角兎の角は放っておくと一生伸び続けるし、警戒心が強くてなかなか懐かない。皆、可愛いだけで手を出して、すぐに手に余って捨てるようになったんだよ。」
苦虫を噛みつぶしたような表情から察するに、相当な数のペットが捨てられたのだろう。
「それは何とも身勝手な……いや待て、捨てられた?魔物を捨てたんですか?どこに?」
「あの森じゃ。もう10年も前の話だし、角兎は弱い魔物だからもうとっくに絶滅しているものかと思っていたわい。」
老婆は指差した。
その方角は、最近町に下りてくると問題になっている風狼達の本来の住処であった。