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3-6

「本当にこれ大丈夫なんですか!?本当に!?」

「大丈夫じゃ無かったら逃げるだけです。大丈夫、死なない最低限の距離は離しますから。」

 大丈夫か?大丈夫大丈夫なんてやりとりを繰り返すせいで、大丈夫がゲシュタルト崩壊しそうだ。


 今にも死にそうな顔で漁師は杭に括り付けた縄を外した。小さなボートがカタカタと音を立て、前方へ加速していく。

 この船は町で最も早いらしい。小さく重量制限が厳しいせいで、漁業では使えないが、その分高速で海を移動するには適している。

 目指す先は沖。ではなく、陸地から沖の方へ少し離れた程度の場所。


『あのタコの行動パターンを調べてみましょう。例えば、陸に繋いである船は攻撃されません。船が陸地からどれ程離れた段階で攻撃を開始するのでしょうか。』

 やたらとワクワクした様子のウサギの姿が脳裏に蘇る。

 陸地に留めてある船に乗り込んだところでタコは反応しなかった。しかし、船乗りの話曰く、船が沖へ向かおうとすると攻撃をされるとのこと。

 では、タコが攻撃を開始する地点はどこか。要するに、実験と銘打ったチキンレースだ。


「頼みます、まだ死にたくない……」

 勇者の手伝いができるなんて光栄だと喜んで手伝いを申し出てくれた漁師の顔は、既に生気が抜けている。

 生気が抜けたとてその船捌きは見事なもんで、順調に沖へゆっくり進んで行く。事前の指示通りだ。


 事前にタコを確認していた方へと目をやると、先程と変わらず何やら畝っている。水中の魚でも食べているのか、それとも何もせずにぼんやりとしているだけか。

 いずれにせよ、陸から少し離れた程度では反応しない。

『これは私の予想ですが、陸地から離れてすぐに襲い掛かるようなことはしないでしょう。だって、襲い掛かって直ぐに陸地に逃げられればタコは追ってこれませんから。幾ら人間に攻撃的だったとしても、逃げ切られてしまうと分かっていて追いかける様な無駄な事はしないと思うのです。』

 ウサギの言った通りだ。


「ま、まだ手を出してこないのですか?しっかり見といてくださいね?目を離した隙にでも接近されれば一巻の終わりですから……」

「はい、しっかり見ていますから。」

 仮にも勇者である。敵から目を離すことは無い。


 タコは変わらず触手をぐるぐると捻らせながら水上を眺めている。横長の瞳孔はどこを見ているのか分からない。ウサギによれば、あの瞳孔は視野を広く保つために横に伸びているのだとか。

 こちらの事は既に視界内に入っていると考えた方が良さそうだ。


 船は変わらず少しずつ進んでいる。タコから一定の距離を保っているが、陸地との距離も離れてきた。

「ゆ、勇者様。そろそろ陸に帰った方が……確か他の船乗りが襲われた時も、ここからもう少し離れた先だったと思うので……」

「そうだな、これ以上陸から離れるのは危険だ。少し陸の方へと戻りましょう。

 漁師はほっと息を吐くと、船をぐるりと回転させ、陸の方へゆっくりと加速し始めた。


 が、そこで勇者は突然奇行に走った。

 魔力を体から噴出させ、剣に纏わせ、そして空へと振り上げた。魔法が苦手な勇者でも、魔力を込める位はできる。というか、できるように練習したのだ。

 魔物は魔力に敏感である。それだけ派手に魔力を使えば、嫌でも魔物は反応してしまう。

 それは、人の言葉で言うならば、『挑発』に相当する。


 すっと肺を息で満たし、声を張り上げた。

「おい、そこのタコ野郎!ビビってないでこっち来いよ、討伐してやるよ!」


 タコに人の言葉が通じるかは不明だ。それでも、纏う雰囲気を察する位はできるだろう。

 知りたい点はそこじゃない。気になっているのは――


 ゆらり。

 波が揺らめいた。


 遠目に見えただけだ。それでも、しっかりと認識はできた。ほんの瞬きをしている間に、タコの影がすっと消えた。

 見間違いかもしれない。だが、それを見間違いで済ませるにはリスクが高すぎた。

「陸へ向かって!今すぐ!」

 その声にびくりと反応した漁師は、直ぐにモーターをフル稼働させた。

 あれだけノロノロと動いていた船が急激に加速し、その反作用で体が後ろに引っ張られるが、後方のへりに捕まって何とか持ちこたえる。

 それよりタコはどこへ、と水中を覗き込んだ時、思わず鳥肌が立った。


 追ってきている。すぐ後ろまで。


 海面の反射でよく見えないが、確実に居る。あの特徴的な赤黒い色に、奇妙な球体状の頭部。

 何より、大きい。今まで遠目で見ていたから気づかなかったが、あり得ない程大きい。大きな船を簡単にひっくり返したというだけある。


 あれほど遠くにいたはずなのに、いつの間にか迫ってきていることに恐怖を感じながらも、勇者はどこか冷静だった。

 急激に接近されたのは、船が加速する隙があったから。全力で陸地へと加速しきった今、タコとの距離はそれ程縮まっていない。

 つまり、あのタコの速さはこの船の全力と同じくらい。このペースなら逃げきれる。


 やがて陸地がすぐ目の前に迫ると、タコの影は静かに距離を離していった。諦めたのだろう。

「漁師さん、大丈夫です。ゆっくり減速して船着き場に留めてください。」

 優しく話しかけるも、漁師は焦り過ぎて勇者の言葉を聞く余裕が無かったのか、息を荒げながら船着き場へとそのまま突っ込んだ。

 木製の足場に思い切り船体をぶつけ、衝撃で思わず身体が吹っ飛ぶ。流石の勇者でも持ちこたえきれず、今度は船の前方のへりに身体をぶつける羽目になった。


 ---


「あー疲れた。」

 ぐったりとベッドに横たわり、大きなため息を吐く。夕焼けの真っ赤な日差しがカーテン越しに差し込み、眠るにも眩しくて眠れない。

 頑張った日くらい早めに寝かせてくれよ、と行き場のないイライラを抱えながら、ブランケットを頭から被る。


「勇者さん、子供っぽいですよ。」

「うるせえ、なんて誰も見てない所で自分の振る舞いを気にしなきゃなんねーんだ。」

「私が見てますから!」

「お前はノーカンだ。」

 ウサギはやれやれ、と首を振る。


「今日はお前のせいで疲れたんだからな。ちゃんと実験した甲斐はあったんだろうな?」

「ええ、そりゃ勿論。勇者さんのお陰で、また1ついい事が分かりました。」

「へえ、そりゃ良かった。で、何だったんだ?」


「ずばり、あのタコには感情があるということです!」

「……はあ。」

 重い思考回路を数秒間働かせるも、イマイチ理解ができない。それは自分が悪いのではなく、ウサギの説明不足だと結論付け、何故か自慢げなウサギの耳を掴んで無理矢理持ち上げた。


「痛い痛い!勇者さん、動物虐待です!」

「感情があるってどういうことだ?そりゃ魔物とは言え生き物だ、お前や俺に感情があるように、あいつにだって感情があるだろうさ。」

「それがですね勇者さん、そうとも限らないのですよ。」

 勇者の手が緩んだ隙に逃げだすと、もう掴まれまいとウサギは勇者の足元へと移動した。


「感情と言うものは、生き物が進化の過程で得たものです。人は豊かな感情を持ち、その感情を表に出す術を持ちます。表情や言葉で己がどんな感情を抱いているかを示すのです。ですが、他の生き物はそうとも限りません。」

「どういうことだ?」

「感情というものは、生物が環境の変化に適応し、適切な行動をとるための機能です。脳が外部からの刺激や体内の状態を解釈し、それを『良い』や『悪い』等の意味付けを行い、変化として身体に現れる生物学的反応を経て、意識的に経験するものです。……生き物は、基本的に生き残った上で子孫を残し、その遺伝子を継ぎます。つまり、生き残り子孫を残す為の感情が現生の生き物に残っているのです。」


「ほう?」

「しかし、魔王軍魔物というものは生き残ることよりも人への攻撃を重視するそうですから、他の生き物とは持つ感情も異なるのでは?と疑問を抱いたのです。……最も、そんな心配は不要でした。あの魔物はとんでもない怪物ですが、その感情パターンは普通の魔物と類似しています。」

「お前、それを調べる為にあんなことをしたのか?わざわざ?」

「大事な事ですよ。なんたってタコですよ、タコ。犬や猫とは違い、脊椎すらないタコ、それも魔王軍魔物という特殊な存在が、進化の過程でそのような感情を習得する機会があったと思いますか?彼らの行動原理に、人の持つような感情が介在すると言い切れますか?」

「……知らん。」

「そうです。知らない、分からないのです。だから、実験しました。」


 尚分からない、という顔をする勇者に、ウサギは立て続けに説明を続ける。

「勇者さんが行った行為は、事前に説明した通り、『挑発』です。魔力を高め、攻撃的な姿勢を取る。それは自らの強さを相手に見せびらかし、己の脅威を示す方法です。勇者さんが言い放った内容をタコが理解しているかは分かりませんが、少なくとも貴方の敵意をタコは感じ取った。」

「だから、あのタコは脅威を阻止しようとした。それはごく当たり前で、どんな動物だってやることだ。何が実験だ。」


「いいえ、勇者さんは、あのタコが反応しない範囲、即ちタコの攻撃可能範囲外で挑発を行いました。もしもあのタコが機械の様に合理的なら、きっと挑発に乗らなかった事でしょう。追ったところでどうせ逃げられるなら体力の無駄ですし、追いかけている隙に他の船が沖へ逃げる可能性もありますから。しかし、タコはそうしなかった。……つまり、あのタコは、勇者さんの見え見えな挑発にカチンときた、と言えるでしょう。その挑発に乗る行為が合理的でないにもかかわらず、それに乗ったのです。」

 勇者はまた10秒ほど考え込むと、口を開いた。


「それは、あのタコに、少なくとも『怒り』という感情があるということか?」

「『怒り』であるかは分かりませんが、少なくとも『挑発に乗る』という事が判明したのです。さあ、勇者さん、もう分かりますね?」

 そこまで言われれば何となくウサギの意図が見えてきた。


「おびき出せってことか。」

「その通り。海の上、相手の土俵で戦う必要はありません。挑発に乗るのなら、上手くこちらのフィールドにおびき寄せましょう。」

「……なるほど、話は分かった。それでは、作戦を考えないとな。」


 どうやら、今日はまだ眠れそうにない。

 勇者は疲れた体に鞭打って、のっそりと起き上がった。

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