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3-5

 いつものように沖合へ出て、大型魚を獲りに行った日のことだ。

 魚で膨れた網を積み帰路につく俺たちの船は、いつの間にか数十頭の牙イルカに取り囲まれていた。

 牙イルカなんざ、普通は脅威じゃねぇ。船を襲う力も理由もねぇ。あいつらは自分より大きなものには手を出さねぇし、いつだって人間を無関心に眺めるだけの肉食獣だ。普通のイルカと何も変わらない。


 だから誰も慌てなかった。舵も変えず、ただ海風に身を任せていた。

 だが、その日、海は笑ってはいなかった。


 ――渦だ。

 最初は遊ぶイルカの戯れかと思った。小さく、穏やかな回転。だが、それは膨らみ、うねり、海の底から冷たい息を吹き上げるように速度を増した。船の腹がきしみ、わずかに傾く。ようやく俺たちは背筋の奥に氷を流し込まれたような感覚を覚え、逃げを打とうとした。


 この国じゃ船なんてまだまだ原始的なもんだ。大きいほど鈍い。俺たちの船は、まるで粘りつく水の手に掴まれたかのように、前へ進めなかった。


 渦の中心が割れ、そこから――()()が現れた。

 見たこともないほど長く太い、ぬめる腕。全身を覆う無数の吸盤には牙のような棘が生えており、海水を滴らせながら太陽光に鈍く光っていた。その質感は、今もまぶたの裏に焼き付いて離れない。

 その腕が、音もなくマストへ絡みつく。ぎちぎち、と船体が悲鳴を上げた。


 沖合漁業に使われる船は大きい。質量が大きいということは、その分船を動かすには大きな力が必要になる。

 それを奴はまるで小枝でも折るように引き寄せ、船を傾けた。筋肉の収縮が海面を震わせ、吸盤が板を剥ぎ、棘が木を裂く音が耳に焼きつく。


 傾いた甲板から、人が海へ落ちた。燭台から灰が落ちるように、あっけなく。

 牙イルカの群れが跳ね、落ちた者を食いちぎる音が聞こえる。水飛沫と血潮が入り混じり、鉄の匂いが鼻腔いっぱいに広がった。


 勿論、抵抗はした。対魔物魚雷も撃った。だが、奴はするりと避けた。網も、触れた瞬間に細切れだ。

 肉食魔物である牙イルカが普段襲ってこないのは、人の作った船には敵わないと理解しているからだ。水中に置いて無力な人間が、船から放り出されてぷかぷか無防備に浮いているとなれば話は別。その恐怖を俺等はその時に思い出した。


 俺たちは緊急脱出用の小さなボートを出し、必死に逃げた。だが、奴はわざわざ追ってきて、一本ずつ触手で仲間を摘み上げ、海へ引きずり込む。その動きは、まるで愉しんでいるかのようだった。

俺自身も足をあの触手に捕まれ、一度は海に放り出された。それでも必死にボートの方へ泳いでしがみ付き、渦から抜け、近くの船に拾われた。


 だが、それで終わりじゃなかった。

 あのタコと牙イルカは、ほどなくこの町の近くまで来た。中には「お前らが魔物を連れてきた」と言う奴もいる。……そうかもしれん。俺たちを追い、ここを見つけ、獲物を変えただけなのかもしれない。


「……でもな。あそこで死ぬのだけは、嫌だったんだ。」



 男の声は震え、その場は沈黙に沈んだ。

 やがて「もう帰れ」とだけ吐き捨てられ、勇者たちは質問する間もなく追い払われた。


 ---


「恐ろしい話だったな。」

 海は広大で、深い。人は陸上の獣であり、水中で自由自在には動けない。常に身体の自由を奪われる状態で、一方的な蹂躙を受ける事がどれだけの恐怖か。

 陸上で魔物に襲われるのとは、また違った恐怖があるだろう。

 勇者は思わず身震いした。


「恐ろしい話には違いありませんが、それ以上にちょっと不思議な点がありますね。」

「そうか?俺にはよくある怖い魔物の話に聞こえたがな。」

「大半はそんな感じでしたけどね、それでも得られる情報はあります。」


 ウサギはピンと耳を立て、2本足で立ち上がった。勇者に物を教えようとするときの、人の真似事だ。

「いいですか勇者さん、牙イルカというのは元々人を襲わない生き物らしいじゃないですか。実際あの船乗りがタコに襲われた直前まで、牙イルカは傍を泳ぐばかりで手出しをしなかったそうですね。魔王軍の魔物は人を襲うことを最優先するにも関わらず。」

「ああ、そりゃ船が牙イルカが船に対して無力だからだろう。いくら攻撃性があっても船を襲う手段が無ければただ傍観するしかない。何もおかしいことは無い。」

「それはそうですね、故にタコが船をひっくり返して船員を海に叩き落とした時に、こぞって落ちてきた人間を食おうと必死になってきた訳ですし。」

 では何がおかしいのか、と勇者が口を開くより早く、ウサギが次の言葉を紡ぐ。


「そして、この町へやってきました。牙イルカたちは入り江を荒らし、更に沖側にタコと共に陣取る事で人の町を壊滅させようとしたのです。……正直、あまりにも出来過ぎてはいませんか?」

「どういうことだ?」

「魔物たちの知性が、です。確かに牙イルカは元々仲間でコミュニケーションを取り合うほどに賢いとは言われていますし、タコに関しては完全に未知数です。しかしながら、人の町を襲撃して時間をかけて壊滅させるという計画を思いつくには、かなりの知能が必要です。人がどの範囲でどのような営みをしているのかを理解した上で、タコと牙イルカは連携して動かねばならない。それほどに賢い魔物は、中々見ません。」

「喋って考える角兎がいるんだから、計画を立てて実行する牙イルカも珍しくなんかないだろう。」

「私は特別なんですよ、一緒にしないでください。」


「……それで、それが何だってんだ。魔王軍魔物は基本的に普通の個体よりも強化されていることが多いから、今回の場合も知性が強化されている、と言うだけで済む話じゃないか?」

「その魔王軍魔物が強化されているって話自体初耳ですけどね。にしても、やっぱり違和感があるんですよ。勇者さん、ここの町の沿岸を歩いた時、無人の船が泊められていましたね?あれ、不思議に思いませんか?」

「人が船に乗って出られないのなら、船を持て余すのは当然だろう。」

「いいえ、問題なのは、船が無事なことです。もしもですよ、私が水棲の魔王軍魔物で人の営みを破壊したいのだとしたら、無人の船を残すなんて真似はしません。沿岸だろうが入り江だろうが、泊めてある船を片っ端から破壊します。」

「……あ、確かに。」


 そこまで言われ、勇者はようやく気が付いた。

 わざわざ見張り番をしてじわじわと時間をかけて相手の余力を削っていくのは大変だし、失敗するリスクもある。単純に人を害したいのなら、破壊活動に勤しむ方が余程手っ取り早いのだ。

 実際、魔王軍魔物の破壊行動は良くある話だ。

 計画を立てて実行出来る程の知性を持つ生き物が、わざわざ手間とコストのかかる方法を選ぶ理由がない。


「それにですよ、あのタコは入り江内には入らず、牙イルカだけが破壊活動をしているらしいじゃないですか。最初は、単純に船が沖へ出てしまわないように見張りをし続けたいのかと思いましたが、それもやはり違う。そんなことをせずとも、沖に出れる船を破壊しつくしてしまえばいいのですから。」

 魔物たちは合理的な行動を取っているようで、そうではない。無駄がないようで、無駄に満ちている。


「共通の目的を持った知性がある生き物の動きとしても、タコと牙イルカたちの行動には大きな差があります。船を襲うタコと、船がひっくり返るまでは手を出さない牙イルカ。人を落として嘲笑うタコと、ひたすら人を食す牙イルカ。そもそも何故牙イルカとタコの組み合わせなのか。疑問は沢山ありますが、どこまでが解明可能で利用できる情報なのか悩ましいところです。」

「お前の疑問はもっともだし、使える情報はあればあるほどいい。それでもな、結局のところ討伐出来なきゃ意味がない。タイムリミットだってある、ここの町人が本格的に飢えるまでに何とかしなければならない。……海中の化物を倒す方法を、思いつかなければ。」


 勇者とウサギは各々の頭を抱え、唸る。が、限られた情報だけでは十分な結論を導き出すことは敵わない。

 そう考えたウサギは、新しい提案をすることにした。


「勇者さん。実験、してみません?」

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