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2-11

 経験値ファーム。

 耐え難い異臭に、痛々しい光景。薄暗く大きい空間は、余計に不安を煽る。

 こうして改めて見ると、やはり異様だ。まともな人間を相手にした商売なら、こんな異様な光景は見せないだろう。


 最初見学した時に感じた違和感。

 言語化し辛く、直感としか言いようのない感覚。その理由が今、ようやく分かった。


 余りにも、ビジネスに向いていない。


 このファームを案内した店員は言った。

「効率を求めている」と。安い餌にずさんな管理で大幅にコストダウンを狙っている。

 それ自体に矛盾はない。


 だが、悪手だ。

 ビジネスにおいて一番大切なことは、顧客に良い体験をさせること。リピーターを増やし、口コミで広めて貰わねば、その店は繁盛しない。


 経験値ファームは、まるでその逆だ。顧客になるであろう勇者に、悪質な環境を見せていた。寧ろ自慢する様に、見せつけるように。

 あれは、わざとこちらを遠ざけるように仕向けていたのだ。こんな酷い場所、もう二度と来ないと心に誓わせるように。

 それはつまり——「お前たちの居場所ではない」と示すための演出だ。


 自分達のメインターゲット層である犯罪者達以外を寄せ付けなければ、犯罪者達の良い溜まり場ができあがる。

 そう考えれば、この悪臭も説明がつく。血や死肉に慣れている者でもなければ、この空間に長くはいられまい。

 怪しまれるより先に自ら出て行ってもらう。そのために、このファームは併設されているのかもしれない。


 勇者は顎に手を当てた。

「ファーム見学に行った時、この先はどうなっていた?」

「長い螺旋階段を上って地上に出られましたよね。その際、分厚い扉2つを経由して1階のロビーに出られます。」

 長い階段を下りた記憶はある。あそこは狭かった。

「1階にさえ辿り着ければ、その後は扉からでも窓からでも出られるんだがな。螺旋階段で挟み撃ちにされれば面倒だな。」


 あの男を怒らせた今、止んでいた追手が再び動き出す可能性は十分ある。狭い箇所で1体複数は自殺行為に等しい。

 そうなる前に、広い場所で各個撃破していく必要がある。


 だが、相手はアレだ。

 圧倒的な力を持つ、あの怪物。


 一度不意を突いて鉄の海に沈めたが、あの程度であいつは死なないだろう。

 レベルの高い肉体は固い。簡単に刃物は通らず、傷跡の治りも早い。

 例え先程与えたダメージを考慮しても、このままではあいつに勝てない。今の勇者なら。


 では、どうするか。

 強くなり、勝つしかない。


 強くなる方法は幾つかある。その中の1つ。

 勇者が勇者である所以、それを利用する。


 目の前の魔物達を見る。

 誰も彼もがのんびりと餌を食み、暗い天井を見つめ、虚無の中で穏やかに目を瞑る。脚は本来の役目を果たさず、耳も鼻も動かさない。

 見れば見る程、勇者が知る魔物ではない。その直感を、額から剥き出しになる立派な魔石が否定している。


 やるしかない。

 勇者は剣を取った。


 軽い身のこなしで、魔物が詰まっているケージへと乗り込む。魔物の分厚い体の隙間に足を滑り込ませると、冷たい石の床の上で魔物の汚物がぐちゃりと嫌な音を立てる。

 一歩間違えれば足を滑らせて転倒しそうだが、例えひっくり返っても魔物の脂肪の上に着地するだけだ。


 何のことはない。

 剣を、ただそこに振り下ろす。


 ぶつっと肉を絶ち、骨の間をすり抜けるような刃の感覚。

 頭蓋とその中身を支えていた筋肉が千切れ、重力に従って落下する。

 頭をもたげた魔物は、表情1つ変えることなくその命を落とした。


 周囲の魔物がその音に反応し、薄ら目を開ける。

 逃げもせず、警戒もせず、ただ何事かとこちらをそっと観察するだけ。

 彼らは目の前の仲間の身に起こったことを理解しているのだろうか。

 いや、そもそも仲間ですらないのかもしれない。


 魔物はそこに在るだけ。目的もなく、行動も無く、ただ目の前に与えられた生を引き延ばすだけ。その生の延長線上に何があるのかなんて考えたことも無ければ、考える力もないのだろう。

 だから、"死"という概念すら理解ができていない。そうでもなければ、こんな穏やかな顔をしていられるはずがないのだから。


 勇者は再び剣を振り上げ、素早く振り下ろす。山で角兎や風狼を狩るよりもずっと早く、命が次々と失われていく。

 空を切る剣先が音を鳴らす度、魔物の真っ赤な体液が解放されたように吹き出し、辺りを鮮やかに染めていく。湿った空気の中に気化した血液が分散し、噎せ返りそうになる。

 勇者の眉間には皺が寄り、ウサギはとっくに離れて不快そうな目でじっとしている。

 その場で穏やかに佇んでいるのは、飼い慣らされた魔物達。恐怖心を抱くことも無く、死ぬその瞬間まで安らかな様子は、外の生き物達とは似ても似つかない。


 勇者は思った。

 果たして、彼らは本当に魔物なのかと。


 魔物は、悪である。人類の敵である。

 だから、殺さなくてはならない。そう教えられてきた。


 勇者の目の前の存在は、悪とは到底思えないような、純粋無垢な存在。そんな存在を、自分は一方的に殺している。

 これでは、勇者の方が冷酷無慈悲な殺戮者ではないか。


 考えながらも、勇者は剣を振り下ろす手を止めない。疑念はあろうと、戸惑いはない。

 殺さなければ、殺されるのは自分だから。


 どんな動作も一度慣れれば動作は早い。月兎が餅をつくよりも早く、魔物の首は落とされていく。

 溢れ出る血飛沫は赤い。薄暗い地下でもはっきりとわかる程度に鮮やかだ。人と、そして他の生き物達と同じ血の色。

 命を奪うという行為。この世界にありふれた、自分が生き残るための最も基本的な方法。



 身体全体が魔物の体液に覆われ、着込んだ鎧の下にまで沁み込んでくる。ひんやりとした感覚に、勇者はふと昔のことを思い出した。

 勇者がまだ幼く、王城で訓練をしていた時の事。毎日のように剣をふるい、そして周囲の大人に叩きのめされていた頃のことを。


『勇者は、魔物を殺さなくてはならない。』

 師匠は言った。

 ――何故?と問えば思い切り身体を木刀で殴られ、そのまま吹き飛ばされた。


『考える必要はない。ただ、殺せば良い。』

 人も魔物も命、奪うならばそれ相応の理由が必要だ。理由もなく命を奪うのは、可哀そうじゃないか。

 そう言えば、師匠は更に勇者の腹を強く踏んだ。


『……命とは、現象である。』

 痛みに呻く勇者を見下ろし、師匠は言った。

『命に意味などない。風が吹き、光が反射し、海が波打つのと同じ、ただの現象だ。人も、魔物も、そういう現象うちの1つでしかない。』

 ぼんやりとした頭に、師匠の言葉は理解しきれなかった。だが、理屈のない理論が、傷ついた身体に沁み込む。

『勇者も、現象である。魔物を殺し、人の為に戦う。理由はなく、ただそういうものとして存在する。それが、お前だ。』



 経験値ファームは、ファームというだけあって広い。

 そんな広い空間にぎゅうぎゅう詰めにされていたはずの魔物達は、皆首から上を失い倒れている。

 額の魔石は粉々に砕け、空虚な窪みが残されていた。


 目を閉じれば、身体にじわじわとした熱が集まっているのを感じる。

 体の隅々まで血液が通り、軽い筋肉痛の様なピリピリとした感覚が体を走る。骨が少々痛むが、これ位は耐えねばならない。

 今まさに、この肉体が作り替えられている。確実な手ごたえが、ここにある。


 ふっと息を吐く。鼻が慣れたお陰で、もう匂わない。

 剣は血に塗れて切れ味が落ちたが、心配は要らない。腕の方が、上がったから。


 遠くから足音が聞こえる。複数、全部で10人も行かない程度だろうか。

 その足音はすぐにファームの方へ近づくと、先程の男が姿を現した。


「お前、さっきは良くもやってくれたな。」

 低く響く、恐ろしい声。

 服こそ血塗れだが、肉体の方はそれ程損傷しているようには見えない。あれだけの金属片をその身に受けながら、軽傷で済むとは。

 やはりこの男は恐ろしい。野放しにはしておけない。


 男の後ろから、ローブを纏った人影がぞろぞろと出てきた。恐らく、男の仲間だろう。

「追手は止めてくれたんじゃなかったのか?」

 皮肉を込めて勇者が言うと、

「お前が逃げるんだから、仕方ないだろう。」

 男は吐き捨てるように言って辺りを見渡し、首が落ちた魔物の死体と血塗れの勇者を見比べた。


「ああ、魔物を倒してレベルアップをしようとしたのか。よく考えたものだ。……だがな、それは無意味だ。」

 男は笑う。まるで、知恵を絞った子どもを褒める大人のように。

「レベルってのはな、そんな単純なもんじゃない。上がった直後の身体は不安定だ。強くなった肉体を操るには、それ相応の訓練が必要だ。それに……その程度の経験値じゃ、俺には到底敵わない。」


 男が語ったことは一般論だ。

 経験値を沢山得たところで、肉体の強さに反映されるにはそれなりの時間がかかる。それはどんなに強い武器を得たところで、使いこなせなければ無用の長物と化すのと似ている。

 筋力の加減、斬撃の角度、動作の連携――そういったことを訓練を経て覚えていかねば、実戦では何の役にも立たない。


 男は長年このファームで経験を積み、力を高めてきたのだろう。それに比べて、たった今ここで魔物を狩ったところで、得られる経験値などたかが知れている。


「ということで、お前がその肉体に慣れる前に殺しておかねばならなくなった。……逃げられると思うなよ。」

 目が血走っている。その様子がどうにもおかしく見えて、勇者は思わず笑った。

「それはこっちの台詞だな。」


 何を笑っているのか、と男のこめかみに力が入った。

 と同時に、ああ、これかと勇者は思った。笑うという行為は、余裕がある時自然に出てくるものなのか、と。


 男がフレイルを取り出し、振り回す。それが合図となり、周囲のローブの人影も一斉に構えた。

 勇者は魔物の血で染まった剣を強く握り、冷静に敵の動きを見極める。


 長い鎖の先に着いた鉄球は、見事に操られ勇者の方へと飛んでくる。変わらず素早く、鋭い一撃。

 先程はこれを避けるだけで精一杯だった。――が、今は違う。


「――お前、どうして」

 男が言いかけるより早く、勇者の剣が閃いた。男が辛うじてかわすが、刃はその腕をかすめ、筋をいくつか断ち切った。

 狙ったのは急所だ。だが外した。やはりまだ、肉体に完全には慣れていない。軽く反省しつつ、敵の表情を見る。理解が追いつかず、呆けた顔。


 やったことは単純だ。鉄球が飛ぶ前に、男の懐へ飛び込んだ――それだけ。


 だが、男は到底信じられないようだ。

「お前、どうして、そんなに強くなった?」

 勇者の動きが、見切れなかった。それが、自らの力を自負する男には認められなかったようだ。


 事実、勇者の動きは速かった。今まで男が戦ってきたどんな相手よりも、ずっと。

 動きが速くなればなる程、肉体への負担は倍増していく。素早く動き、その上で攻撃を重ねるならば膨大な筋力と制御能力が必要になる。

 更に、フレイルの動きを見切れる程の動体視力。それは、長い訓練で得るものであり、一度見たからと言って対応できるものでもない。


 だが、できた。


「おかしい、ちょいとレベルアップしたからと言って対応できるわけないだろ!お前、一体何を……」

「できた。俺は、勇者だからな。」

 適当に答えながら、勇者は周囲の人影に襲い掛かる。当初の予定通り、各個撃破だ。

 手下共の動きは悪くない。それにこれだけの人数が居れば、さっきまでの自分なら相当苦戦したはずだ。


 今は、脅威でも何でもない。

 次々に処理していく。彼らは所詮下っ端だ。大した情報も持っていないだろうし、峰打ちして後から起き上がられたら面倒だ。

 ローブで体のラインが分かりにくいとはいえ、流石に頭の付け根の位置位は分かる。そこに剣を横薙ぎに振り払うだけ。

 家畜化された魔物と同じくすっぱりと、とはいかずに、硬い背骨に当たって身体ごと吹き飛んでいく。まあ、生きてはいないだろう。


 次々に沈む仲間達を見て、男は焦った。

 勇者に攻撃を当てようとやっけになり、連続攻撃を繰り出している。そのうちの一撃が、勇者の腕に当たった。――様に見えた。

 男は笑った。流石に勢いづいた鉄球が腕に当たれば、無事では済まない。


 だが、勇者の表情はピクリとも動かなかった。

 違和感に気づいて鉄球の方を見れば、勇者は鉄球を食らった訳ではなく、鉄球の根元にある鎖を無理矢理手で掴んで引き止めていた。


「なっ……」

 空中で蛇の様に動き回る鎖を掴むなど、至難の業。食らった時のリスクを考えれば、リターンには到底見合わない動作。

 勇者はそれを難なく実行していた。正気の沙汰じゃない。


「鬱陶しいな、これ。」

 そのまま鎖部分を両手で掴み、思い切り引っ張る。丈夫なはずの鎖は延性に従い引き延ばされ、そして耐えられなくなり引きちぎれた。

 毛糸でも引きちぎるかのように軽い動きに、男は言葉が出なくなる。

 気が付けば、手下は全員勇者に倒されてしまっていた。


「おかしい、おかしいだろう!何故、何故たった今レベルアップしただけのお前が、こんなにも力を使いこなせるんだ!今まで俺は何年もここでレベルアップして、その度に修行を積み重ねてきたはず……」

 その先の言葉を許さず、すかさず懐に潜り込む。男が今持っているのは、鎖の付いたただの棒。脅威ではない。

 勇者の拳が綺麗にみぞおちに入り、男の呼吸が一瞬止まる。その直後、目と口を大きく開き、嗚咽の声を上げた。


「何度でも言うが、俺は勇者だからだ。俺は人生の全てを、勇者としての訓練に捧げてきた。精々5年程度しか鍛えていないお前と違ってな。」


 勇者は、レベルの上がり幅が違う。同じ経験値でも、その恩恵は桁違いだ。魔物の数では男に劣っていても、得た力は圧倒的。

 そして勇者は、その力を即座に戦いに転用できるよう、王城で鍛え上げられてきた。レベルアップの恩恵に耐え、直後の戦闘でも完璧に体を制御しきれるように。


 その苛烈な訓練を、目の前の男は知らない。知る必要もない。


 男はブルブルと震えている。かつてのオーラは感じられず、勇者の前で縮こまっている。

 武器も仲間も失い、目の前で圧倒的な力の差を見せつけられれば、無理もない。完全に戦意を喪失している。


 そんな男の腹に、もう一度蹴りを強く入れる。

 再び男は呻く。が、勇者は首を捻った。


「やはり固いな。これだから、レベルの高い悪党は面倒だ。」

 この男は恐らくここのトップだ。であれば、きっと有益な情報を幾つも持っているはず。

 ならば、殺すわけにはいかない。生かして、喋らせねばならない。


 逆に言えば、頭と口さえあれば、それでいい。

 この男の価値は、それだけだ。


 勇者は剣を構え、右斜め上から一閃。

 くるくると綺麗な弧を描きながら飛んでいくそれは、男の右腕。


 ぽかんとした顔、一転して苦しみ悶える、地獄の形相。

 声にならない声が空気を震わせ、男は本能的に体を丸める。


 この男、五体満足で返すには恐ろしい。

 だから真っ先に利き腕を飛ばした。武器を振るえなければ、当面は大した脅威になりえない。衛兵達も随分扱いやすくなる事だろう。いくらレベルが高かろうと、腕を自力で生やすことはできないはず。

 ……とはいえ、この男なら訓練次第で、いつか利き手でなくとも武器を振れるようになってしまいそうだ。


「右腕だけだと怖いな。逃走防止に脚もやるか。」

 その言葉に、男の顔はさらなる恐怖に支配される。


 逃げなければ。

 生憎、逃げられない。


 片腕を失った格下の相手を逃がす程、勇者は甘くない。

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