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2-7

 何とか人目を避けながら宿屋まで戻り、部屋の扉を閉めた。

 勿論ウサギも背負ってきた。ふわふわとした柔らかな毛並みには、ところどころ血がこびりついて固まっている。何の心配もない、返り血だ。


「あー、めんどくさ……」

 勇者はようやく体の力を抜き、ベッドに倒れ込んだ。

 肉体の疲労というよりは、心の芯までじんわりと染み込むような、精神的な重さ。全身が鉛のようで、指先ひとつ動かすのも億劫だ。


 そんな勇者を横目に、ウサギは元気に衛兵からもらった犯罪資料をぺらぺらとめくっている。度々その長い耳がぴくりと動いている。


「お前、よくそんな元気あるな……」

「ああ、お疲れ様です、勇者さん。先ほどは大変な目に合いましたね。私は勇者さんと違い、戦った訳ではありませんから、大して疲弊していないのです。」

「戦闘で疲れたわけでは――いや、いい。全くその通り、とんでもない目にあったな。」

 勇者は片腕で目元を覆いながら呻く。


「……それでいて、一番大事な情報源は潰してしまった。」

「あの強そうな男ですか。他の奴らは生きたまま気絶させたのに、あいつだけ殺してしまうとは勿体ない事しましたね。」

 ウサギの言葉に、勇者は不貞腐れたようにそっぽを向いた。


「仕方ないだろう、あいつは()()()()。峰打ちなんてしている余裕なかったんだ。」

 目を瞑れば今でも思い出す、剣を交えたあの感触。

 ほんの一瞬でも遅れを取れば、こちらが斬られていた。そうでなくとも、距離を見誤ればターゲットとなった人が危うかった。


「生きたまま気絶させるには、圧倒的な実力差が必要だ。なんせ、殺しにかかってくる相手を上手くいなさなくちゃならない。あいつは力も速さも常人の域を出ていた。何とか技術力の差で出し抜けたが、一歩間違えればこっちがやられていた。……それに、気を抜けば標的の女性を殺されていた可能性もあるし、他の人だって人質に取られていた可能性もある。守る為には、殺すしかなかったんだ。」


 勿論、誰も殺さずに済むならそれが一番良い。こちらは情報も得られるし、周囲の人を怯えさせることも無い。

 しかし実際のところ、そんなものは理想でしかなく、殺す気で戦わないというのはそれだけで大きなハンデになりうる。相手に反撃させる隙を与え、新たな被害者が出るリスクを抱えることになる。

 彼はそのリスクと戦闘状況から、即座に討伐の判断を下した。周囲の人々がそれを直視しトラウマにならないよう、目を瞑らせる配慮までして。


 勇者は自分の功績について何とも思っていないのか、必要以上に誇示することはない。当たり前のことを当たり前にやったと言わんばかりの態度で、衛兵たちにも接していた。

 だが、少なくとも、ウサギは勇者の事を大したものだ、と思った。


 日頃から準備をしていても、いざという時に動けなくなる者は決して少なくない。というか、寧ろそれが大多数である。

 そんな中、彼は即座に反応し、被害者1人も出すことなく全員を制圧して見せた。あの反射神経、状況判断能力、度胸はどれをとっても申し分ない。

 勇者の正確な年齢こそ分からないが、それでもまだ若い青年だ。一体今までどういった研鑽を積めばこうなるのだろうか。


「あの標的となった女性、今は衛兵が守ってくれているそうですね。あのままでは再び襲われる可能性がありましたから、良かったです。あの時だってたまたま勇者さんが居たから良かったものの、そうでなければ今頃……」

「全く、運が良かった。だが、町の人々は不安で仕方ないだろうな。白昼堂々、人通りの多い所に襲撃が来るなんて、世も末だ。」

 勇者は寝転がったまま、剣の柄をそっと撫でた。

 治安を憂いているのか、それとも単に疲れているだけなのか、ウサギには分からない。


「ま、兎も角、勇者さんはよくやりましたよ。暴力を用いた戦いは勇者さんの勝ちです。そこから先は私にお任せください。頂いたイチゴの分くらいはきちんと働きますから。」

 軽い返答とは裏腹に、食い入るように書類を見つめる眼差しはいたって真剣であった。その小さい脳みそでどうやって思考を巡らせているのか、一度開いて中身を見てみたいものだ、なんて勇者は考えた。


「で、何か分かるのか?」

「その前に勇者さん、お聞きしたいことがあるのです。――あの男、相当強かったのですよね?」

 ウサギの言葉に、狭い店の中での戦闘を思い出し、思わず手に力が入る。

「……ああ、そうだ。」

「ならば、()()()()()が高い事も当然理解されているはずです。」

 勇者は寝返りを打ち、ウサギから目を背けるように壁を向いた。その代名詞が何を指すのか、勇者にもはっきりと理解できていた。


「……そうかもな。だが、俺に分かるのはそこまでだ。あれがどこの誰なのか、それが犯罪組織の件とどう繋がるのか見当もつかない。そもそもあれは犯罪組織が関わっているのか?それをどうやって調べれば良いかも分からない。」

「それは大丈夫です。大体検討はついていますから。」

 淡々とした口調で紙をめくり、なぞる音だけが聞こえてくる。


「大体って、どこからどこまで?」

「今日の事件との繋がりから、組織の拠点の場所まで。」


 勇者は体をゆっくりと起こした。

「……証拠は?領主に届け出るには証拠が必要だ。」

「いいえ、ありません。あくまで検討がついているだけですから。」

 それじゃ意味がない。依頼達成にはならないだろう。


 勇者がはあ、とため息をつこうとした瞬間、ウサギは、ですから、と食い入るように言葉を繋げた。

「証拠をぶんどりに行きましょう。相手が証拠を残さないのなら、こちらから探しに行けばいいのです。」


 ---


 犯罪というものは、普通皆が寝静まった夜に発生するものである。

 人目が少ないから、夜闇に紛れられるから。

 明るい陽の下でお天道様に背を向けるなど、そんな不遜な行為をする者がいるとは、誰も想像すらしない。


 一方で、正義側を名乗る人間にとって、良く晴れた日は格好の活動日和。今日も今日とて魔物愛護団体は、節操なく元気に正義の名の元に叫んでいる。

「魔物も命だ!」「虐殺に反対を!」


 住人たちはまたか、と顔をしかめ、窓を閉める。

 騒音にはすでに慣れ切っていたし、関われば面倒だということも知っている。

 中には小さく舌打ちする者もいたが、誰も正面からは立ち向かわない。彼らの“正義”は、時に真実よりも力を持つからだ。


 愛護団体のメンバーと一纏めに言っても、彼らの行動原理は実はバラバラだ。真に魔物を愛しているもの、単に見目の良い魔物を愛でたいだけの者、仲間と共に活動することで生き甲斐を見出している者、連帯の中に居場所を見つけたい者、騒ぐことで鬱憤を晴らす者。そして――


 集団は大通りを我が物顔で歩いていく。

 ルートは決まっている。人や店の多い中央付近で集まり、少しずつ北上する。目指す先は魔物を虐殺する悪徳業者、"経験値ファーム"の建設地。

 目的地に近づけば近づく程すっかり声は大きくなり、人も増える。誰が何をしているかなんて分からない。只各々のやりたいように勝手に振る舞うだけだ。



 その男もまた、集団に属する者の一人だ。

 サングラスをかけ、直射日光から目を守っている。ラフな服装に斜め掛け鞄を付けたその恰好は、朝起きてから碌に身支度もせず飛び出してきたと言わんばかり。どこからどう見ても休日の無精なおじさんだ。

 他の人程大声を張り上げる訳でもなく、周囲の雑談に混ざれる程のコミュニケーション能力もなく、どことなくおどおどしながら控えめに手を振り上げた。

 そんな若干の挙動不審も、誰も気にしない。気にするには余りにも騒がしく、人が入り乱れていた。


「そろそろファームに着くぞ!」

 最前線に立つ指導者が声を張り上げると、後ろに続く人々は力強い声を上げた。

 男もキョロキョロと周囲を見渡しながら一応声を上げる。


 周囲の活動者は皆目の前のファームに視線が釘付けだ。かの商人がどんな対応をするか、興味津々で眺めているのだ。また私兵が飛び出してくるか、それとも無視を貫くか。

 賭け事のように囁き合う声が飛び交う中、男はそっとその場を離れた。


 賑わいを背後に、大通りから少し外れた一角。

 建物が密集し、細い裏路地が蜘蛛の巣のように張り巡らされた場所へ、男は身を滑らせるように入り込む。

 人気はない。そこは、光の届かぬ小さな迷宮。


 ひやりと湿った空気が、頬を撫でた。

 昼だというのに、その一帯だけ夜の名残を引きずっているかのような沈黙があった。瓦礫と排水の臭いが混じる狭間を進んでいくと、男はある扉の前で立ち止まった。


 古びた木製の扉。だが、取っ手には錆がなく、使い込まれた跡が残っている。

 最近、誰かが出入りしているのは明らかだった。

 男は周囲を一度見渡し、慎重にその扉を開いた。


 中は、まるで息を潜めていたかのように暗い。

 ひとけのない空間に入り、すぐさまスイッチに手を伸ばすと、か細い明かりが地下階段を照らし出す。

 冷たいコンクリートの壁が、かすかに光を反射していた。コツ、コツ、と、階段を降りる音が響く。

 何階分か、数え切れぬほどの段を下った先に、また一枚の扉があった。


 男は腰から薄いマントを取り出し、それを頭から被る。先ほどまでのラフな格好とは打って変わり、顔は隠れ、体格も分かりにくい。

 これでいい、と安心しながら胸元から鍵を取り出し、静かにドアノブに差し込む。

 金属が噛み合う感触を確かめ、ノブを回そうとした――その時。


 後ろからその手をふわりと掴まれる。


「え?」

 背後を取られた。気配を一切感じなかったのに。

 思わず手を跳ねのけ、叫んで後ろを振り向こうとする。が、その手は硬く押さえつけられ、動かない。

 次の瞬間には口をぐっと押えられ、叫ぼうにも息が吸えず、振り向こうにも頭が固定されている。


 何が起こったのか?そんなことも理解できず、男は必死に息を吸おうともがく。

 が、突然衝撃と共に意識がぼんやりとし始めた。頭を殴られたのだ、薄れゆく意識の中でそう理解しても、もう為す術はない。

 足から力が抜け、若干の吐き気と頭痛と共に目の前が真っ暗になった。



「さて、侵入成功か。」

 深くローブを被った男が小さく呟いた声は、肩に乗った一匹の角兎しか聞き取れなかった。

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