2-6
「勇者様、これを。」
血でぐちゃぐちゃになったマントを握りしめてぼうっと突っ立っていると、気を利かせた衛兵が黒い布地を差し出してくれた。広げると、足首まですっぽりと覆い隠す程長いローブであった。
受けとるついでに血の付いたマントを差し出せば、衛兵は一礼をして嫌な顔1つせずに受け取ってくれた。後は勝手に処理をしてくれるだろう、処分する手間が省けた。
「今回の件につきまして、マント代は領主様が負担してくださるでしょう。勇者様は依頼の遂行中ですし、何より善良な市民の命を救ってくださった恩人ですから。」
その言葉に、勇者はほっと胸を撫で下ろした。前回稼いだ依頼料分があると言えど、まだまだ懐は心許ない。
ある程度話が終わると、勇者はその場をそっと離れた。
被害者と野次馬と衛兵で溢れる人だかりの中に、これ以上長居はしたくなかった。それは勇者の人嫌いの性格故でもあるし、或いはこれ以上変な目で見られたくなかっただけかもしれないけれど。
---
「ほう、襲撃ねえ。」
町はずれの冒険者御用達服飾店。そこで、勇者は新しいマントを買うことにした。
客は勇者以外にはない。そもそも冒険者の少ないこの町において、冒険者御用達店の需要なんて少ない故。
真昼間ともなれば、余計に、だ。人が少ないのは全く持っていい事である。
勇者と言えど、その装備はオーダーメイドの高いものではなく、一般の量販店に置いてある店売りの品だ。駆け出し勇者の財布事情は、駆け出し冒険者と大して変わらないのだ。
店主はウサギを連れた勇者を奇妙な目でジロジロ見ていたが、事情を話して血塗れのマントを渡すと、感心したように声を上げた。
「これ程の返り血を浴びるとは、さぞ厳しい戦いだっただろう。テロを止めてくれたことに、感謝する。……最近物騒とはいっても、白昼堂々と襲撃とはなあ。噂じゃギャングが町中に潜んでいるらしいし、皆不安でおちおち眠れやしない。」
「そんなに酷いのですか?」
「特に最近はな。そりゃビジネスの町と言われる位だからな、元々軽犯罪は他の町より多かった。だが、殺人や強盗はそこまで多い訳でもなかったし、あったとしても直ぐに衛兵が対処してくれていた。今や衛兵も頼りにならないしなあ。」
店主は大きくため息をつきながら、メジャーを片手に勇者の体格を計っていく。ごつごつした手には見合わぬ器用さで、手早く作業を進めていく。
「衛兵はギャング相手にまともに調査をしようとしない。例えどんなに大きな被害にあってもだ。」
「捜査をしないのではなく、相手が狡猾故に上手く行っていないと聞きましたが?」
「建前だ。衛兵の中に奴らの仲間がいて、賄賂でも渡しているんだろう。そうでなければ、いくら相手が賢くともここまで何度も追跡に失敗することなどない。」
勇者は首を傾げた。ついでにウサギもだ。
先日衛兵ギルドに訪問したが、ぱっと見は真面目そうな連中だった。勿論一目見て分かるようなものでもないが、少なくとも綺麗に纏められた資料をパラパラと流し見する限りは彼らは真面目に己の仕事をしているように見える。
しかし、市民からの印象はそう良いものではないらしい。結果として犯罪組織を抑えられていないせいだろうか。
「この町は変わってしまった。何年も前から……5年位前からだろうか。町には凶悪犯罪が蔓延り、おかしなビジネスができ、それに対抗する様に煩い団体が出来た。」
「……経験値ファームと魔物愛護団体のことですか?」
「なんだ、知ってんのか。」
店主は苦々しい表情を浮かべた。
「経験値ファームも愛護団体も、ある日突然町中に現れた。愛護団体は日中騒ぎ通しで煩いし、経験値ファームの方だって魔物の臭いや音が酷くて近隣住民が住んでいられなくなるほどだったって……」
「魔物の臭いや音?いやしかし、ファームは魔物を地下で飼っているんですよね?地上にいる限りは臭いや音なんて気にならないのでは……」
「とファームの奴等は言っているけどな、実際に被害者がいるんだ。どこからか腐臭が漏れ出し。毎晩地下から響くような音が聞こえて眠れないんだとよ。」
結局あそこの近くにいる住民は皆土地を売って引っ越ししまったがな、と店主は付け足した。
勇者はあのファームの様子を思い出していた。
地下では、これ以上なく無気力な魔物達がのんびりと寝そべっていた。世間一般で言われるような狂暴な魔物とは違い、彼らは普通の家畜よりもずっと大人しい。臭いはともかく、音までもが響くものか?
疑念が広がっていく。只の噂話でも、気になるものは気になる。
「まあ、愛護団体の気持ちは分からなくはないけどな。地下で劣悪な環境に閉じ込められて、血肉を活用されることも無く経験値としてその命を終えるなんて、命としては余りにも悲惨だ。かといって、人様に迷惑をかけるような団体には気楽に賛同もできやしねえ……ほい、これでいいか?」
店主は奥の引き出しから一枚のぬのを取り出すと、勇者の前に広げてみせた。
無地の茶色いマント。落ち着いた色で、勇者らしさはない。
だが、茶色はいい。酸化した返り血が目立たない。
どうせ高いものは買えないし、買ったところでマントの様な消耗品はすぐにダメになってしまう。
「これにします。」
「あいよ。勇者様、頼りない衛兵の代わりにこの町を救ってくれや。」
勇者は返事をせず、曖昧ににこりと微笑んだ。はっきりとした返事はできないが、否定もしない。
ここについ最近来たばかりの若者1人に、この町をどうこうできるような力はない。精々調査に協力し、適当な情報を得てくるだけだ。
それでも、町の人々は勇者に夢と希望を見出す。無責任な事だ。
どうせ、実際に剣を振るう所を見ればすぐに幻滅する癖に。あの菓子店に居た客や店員の様に。
そんな不満を持ったとしても、表には出してはいけない。それ位は弁えているつもりだ。
「請求は衛兵ギルド宛にして頂いても?」
「ああ、勿論だ。それ位はあいつらに働いて貰わんとな。」
勇者は頷き、そのまま新しいマントに身を包んで店を出た。
期待の目から逃げている訳じゃない、疲れただけだと心に言い聞かせながら。