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犯罪組織に、意味の分からない団体。
この町に足を踏み入れた瞬間から、勇者の脳裏は情報の奔流に溺れかけていた。
表向きは平和そのものに見えるこの町にも、裏ではいくつもの勢力が水面下で動いている。
その中には、単なる犯罪者集団だけでなく、魔物の権利を守ろうとする"魔物愛護団体"から、経験値稼ぎのためだけに魔物を生産・消費する“ファーム”まで存在するらしい。
「まったく……一体何なんだ、この町は……」
先程まですっぽりと覆っていたローブを脱ぎ捨て、頭をひねりながら石畳の通りを歩いていると、何となく周囲の視線を感じる。
気のせいではない。ちらちらとこちらを伺う人々の目に、明らかに期待や探りの色が混じっている。
勇者の名は、もうこの町にも広がりつつある。
これから先は、変装でもしなければまともに動くことすらできなくなりそうだ。
「まずは拠点を確保しないとな……」
そう呟くと、勇者は足早に予約していた宿屋へと向かった。
「ふぅ、やっぱり人目が無い所は落ち着くな。」
「私が見てますよ、勇者さん。」
「お前は人じゃないからノーカンだ。」
返す言葉にツッコミすら入れず、ベッドに身を沈める。四肢をだらしなく放り出して、ため息をひとつ。
部屋の隅に腰かけているのは、一見ただの角兎。だがその目は人間以上に鋭く、観察力に満ちている。
衛兵団から渡された資料を広げ、ぱらぱらと目を通す。
犯罪組織のやることは手広く、盗みや詐欺はもちろん、貨幣の偽造や裏社会の保護ビジネスにまで手を伸ばしているらしい。
まるで都市の影そのものだ。
「金の亡者、ですね」
にんじんを齧りながら、ウサギが呟いた。
「金のあるところで犯罪をすれば大きな利益が出るとは、人間も合理的な考え方をするものです。感心します。」
「それは皮肉か?犯罪なんて合理的じゃないだろう。万一捕まってしまえば死罪だって免れない。」
「皮肉じゃないですよ。彼らが犯罪を経て大儲けしている一方で、衛兵たちは彼らを一切捕まえられていないのは事実ですから。」
「……なんか腹立つ物言いだが、一理ある。」
勇者は資料をテーブルに叩きつけるように置いた。
「で、どうすればいいと思う?」
「どうすればいい、とは?勇者さんは依頼をこなす以外に選択肢はないでしょう?」
「分かってるだろう、衛兵に捕まえられない犯罪者を俺が捕まえられるはずがない。第一勇者ってのは対魔物戦闘のエキスパートであって、対人は専門外だ。」
ウサギは鼻で笑った。まあ、その通りだと言わんばかりの表情がまた腹ただしい。
「簡単な話です。勇者さんが彼らを捕まえられるかどうか、それ自体が問題の本質ではないということ。先ほど勇者さんが申し上げた事だって当然領主様もご存じのはずです。現地の衛兵ですら手を出せない相手に、わざわざあなたを向かわせる理由がある。つまり、領主様には何か別の意図があるのかもしれません。」
勇者は眉をひそめた。だが、確かに考える価値のある話ではある。
「利用されてる、ってことか。いや、利用されるのはいい。どうせ勇者なんて貴族の意思に巻き込まれる他選択肢がないからな。だが、せめて何に巻き込まれるのか位は知っておきたいものだ。」
「勇者ってのも大変なんですねえ。」
ウサギは丁度ニンジンを食べ終わったようで、満腹で膨れ上がった腹をそっと撫でた。
「取りあえず、この町についてもっと調べましょう。そうですね……例えば、あの“魔物愛護団体”とか、“経験値ファーム”とか。」
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翌日。勇者は経験値ファームと呼ばれる施設を訪ねた。
表通りの喧騒から外れた、大通りの奥の奥。他の店が存在しない場所に、その建物は聳え立っている。
地味ながらも重厚な石造りの外観は、人を寄せ付けず、いかにも怪しげですと自己紹介しているようなものだ。周囲には、魔物愛護団体と思しき者たちが遠巻きにうろついており、勇者は変装用のローブのフードを深くかぶった。
「ここで経験値が稼げると聞いた。詳しく教えてくれ。」
建物の中で待っていたのは、にやけた中年男だった。目つきはどこか獣に似ている。
「へへっ、見る目がおありですな。旦那、こっちへどうぞ。」
店主に促され、中へ進むと、すぐに鼻を突く臭気が襲ってきた。
血と毛皮の混ざったような生臭さ、そして焦げた脂と腐敗臭。意識すればするほど、胃が反応しそうになる。
「こっちは受付です。お客さんの要望を聞いて、契約をする場所ですぜ。実際に経験値を得る場所は……地下にありやす。」
「地下?」
「ええ、表に出したら周囲の住人の目に留まって怖がられるでしょう?それに、誰かがうちのビジネスをこっそり真似るかもしれない。表に出す情報は少ない方が良いのです。」
「その地下施設を見ることは可能か?俺を満足させるほどの経験値が町中で得られるとは思えなくてね。」
「普段はあまりそう言った要望は受け付けていないんだが……まあ、良いでしょう。旦那は冒険者でしょう?それも、相当腕の立つ。隠してても分かる、そのローブの下の体格に、立ち振る舞い。それは洗練された戦士の佇まいだ。経験値を欲する理由も頷ける。――何より、あいつらの仲間ではなさそうですからね。」
あいつ等、の言葉が何を指すかは想像できる。魔物愛護団体の事だろう。
案内に従い、長く冷たい階段を降りる。
一段降りるごとに空気が淀み、暗く、重たくなっていく。鉄製の扉を何枚も通り抜け、やがて辿り着いたその空間は……異様だった。
照明はわずかに灯る魔導灯のみで、天井は高く、広い部屋のあちこちに檻や囲いが並んでいた。
中には太った魔物たち――牛のような、鹿のような、しかし草食動物にしては肥え過ぎた異形達が、所狭しとずらりと並び静かに眠っていた。
「驚かれましたか? これが、我々の『商品』です。」
勇者は息をのんだ。
とんでもなく広い。そして多い。地上の建物も立派だったが、地下に広がる施設はそれを越している。
「この数……どうやって管理してる?魔物とは狂暴な生き物だ。もしこいつらが暴走して暴れだしたら……」
「反抗される心配はありゃしません。何代にもわたって品種改良を重ねて、走れず、吠えず、戦わず。食う・寝る・従う。それだけの存在に仕上げました。愛嬌すらありますでしょ?」
店主はほら、と近くにいた魔物の腹を蹴とばした。が、魔物は少し呻くだけで起き上がりすらしない。
警戒心、敵対心、恐怖心、そんな感情をすべて失ったかのように、魔物は臥せっているだけ。
確かに、人の敵としての魔物の姿はどこにもない。これは爪も角も牙も失った肉塊でしかない。
目を覚ました一体が、ゆっくりとこちらを見上げる。
その目は丸く、曇りも濁りもなく、ただ無垢だった。まるで――幸せそのもの。自身が置かれている状況に不満も絶望も抱いていない。
魔物はあくびを一つして、のそのそと起き上がると、餌箱に顔を突っ込んだ。
その瞬間、勇者は再び鼻をつまんだ。あの異臭の正体は、どうやらこの餌のようだ。
「……あれは?」
「生ゴミですよ。町中の食堂や飲み屋から仕入れてる廃棄物。彼らは何でも食べますからねぇ、経済的でしょ?消化器官も強靭で、体調を崩すことも無い。まさに魔法のコンポストってやつですな。」
「しかし……廃棄されるべきゴミを食わすと言うのは……」
「まあまあ、確かに普通の家畜であればあり得ないでしょう。彼らの身は商品として売られるわけですから、衛生的にも商品の質的にもしっかりとした餌を食わすべきです。しかし、この魔物たちは違いやす。この魔物たちは殺され、その経験値だけが価値となりやす。だから、良いものを食わせるよりもコストの安い、ゴミを食わせる方が経済的にも良いのです。――それに、本人たちは美味しそうに食べてるでしょう?あれも交配の結果ですよ。どんな廃棄物も美味しいと思い込むよう、少しずつ調整してきたんで。」
確かに魔物たちは、夢中になってそのゴミを貪っていた。
とても静かに、幸せそうに、何の疑問も抱かず、誰にも逆らわず。
守られたここが、彼らにとって一番であると信じて。
「彼らは殺され、その経験値だけが価値になるんです。肉も骨も何の意味もない。だから衛生的である必要もなく、経験値となるように育てば良い。素晴らしく合理的でしょう?」
魔物たちの方を見ると、美味しそうにがっついている。人間にとっては酷いゴミでしかないこの餌も、彼らにとってはご馳走らしい。いや、御馳走と思うように改良されている。
彼らの言う事は理にかなっている。競合が居ない業界で、コストを極限まで削減し最大限の利益を生み出している。
魔物の一体がこちらに目を向ける。
やはり、穏やかに笑っている。これ以上望む物は無いと言わんばかりに。
お前はどう思う。
そう言いたくて、そっとローブの下に隠したウサギを撫でた。
外の様子は見えずとも、匂いと言葉で状況は理解しているはず。それでも、何かを考えこんだようにピクリとも動かない。
「……この状態を、外の連中は知っているのか?特にあの愛護団体とかいう奴らは。」
「この地下に入れたことはありやせんが、昔は地上で魔物を飼っていましたから、大体の状態は知っているでしょう。なんたって、その時の魔物を見て彼らがケチをつけてきた位ですから。人が何で商売をしようが自由だし、この魔物たちはこんなにも幸せそうだというのに。」
店主はチッと舌打ちをした。商人が客の前でする態度じゃない。
「そうか。」
だが、勇者はそれ以上言及することは無かった。議論なんて無意味だ。価値観が違い過ぎる。
「ところで、レベル上げしていきやすか?」
「そうだな、だが今日は止めておこう。代わりに見積もりを頼む。これだけの設備を揃えているんだ、そう安くはないんだろう?」
「よく分かっていらっしゃる。では、お見積りをさせて頂きやすね。」
店主はにやにや手を揉みながら階段を上るように促した。
勇者も素直にそれに従い、ちらりと軽く後ろを向いてから、その場を後にした。