2-1
少し凸凹の残る広めの砂道の上を、キコキコと木が擦れる音を鳴らしながらゆっくりと進む荷馬車。その後部座席で勇者とウサギは静かに揺られていた。
最初の町から次の町までは大分距離がある。最初は健気に歩いていたが、如何せん山も谷も越えなくてはならない距離だ。流石に時間がかかり過ぎる。
そこでたまたま通りがかった次の町行きの商人馬車と交渉し、数枚の銅貨と引き換えに乗せてもらうことにしたのだ。
「おい、着いたらすぐに店に向かうぞ。ちんたら休んでいる暇なんてねーからな。」
「分かってるよ、そっちこそ年で足が痛いとか言うなよ。」
前方ではこの馬車の持ち主である商人の男が二人、時にああやって言い争いをしている。しかし口調は粗暴でも仲は悪くないのだろう、互いの肩を叩き合い最終的には笑い合い商売の話で盛り上がっている。
次の町は最初の町よりも発展しており、人口も多いと聞いている。きっと彼ら商人も町に着けば大忙しいに違いない。
「おーい勇者様、そろそろ町に着きますぜ。悪いが、着いたら俺らはすぐ行かなきゃなんねーんだ。」
「自分もすぐに降りるので大丈夫ですよ。お礼はここに置いて行きます。」
「すまねーな。勇者様を俺らの馬車に乗せるなんて最初はなんて恐れ多いと思ったけれどよ、腰も低くて丁寧で何ていい人だって俺は感動したよ。魔王討伐、頑張って下せえ!」
商人の男二人は笑顔だ。最初に勇者が自分の身分を明かした時は驚愕と困惑が入り混じった顔をしていたが、数言やりとりをすればすぐに勇者を歓迎し喜んで馬車に乗せてくれた。
勇者は人とのコミュニケーションが得意であった。これが今まで勇者が王城で培ってきた処世術か、とウサギがこっそり感嘆する程に。
商人にお礼の小銭を渡し、町の入口へと向かう。入り口には門番が数名立っており、そこから数十名に渡る入場者の列が形成されていた。
この町も他の町と同様に高い城壁に囲まれ、入り口はここ含めて両手で数えられる程度しかない。初めて入るには身分証と多少の手続きが必要になる。外から犯罪者が入るのを防ぐ為だろう。
「止まれ!お前は……なんだ、冒険者か?身分証を出すんだな。もしくは入場料とこの書類にサインをだな……」
「冒険者ではない。俺はこういう者だ。」
大きな剣と盾を背負った勇者に書類を渡そうとする門番を制し、彼は胸元からペンダントを取り出した。丈夫な紐の先には透明な雫状の石がついており、何やら細かく模様のようなものが彫られている。見たことのないそれが高そうなブツであることくらいしかウサギには分からなかった。
だが、それを見た瞬間門番はさっと顔色を変えた。最初の粗暴で乱雑な態度が嘘のように、即座に背筋をピンと伸ばして敬礼のポーズを取った。余りの背中の剃り具合にそのまま後ろに倒れてしまうのではないかと思わず心配してしまう。
「失礼いたしました!どうぞお通りください!」
多少周囲の注目は集めたものの、結果的に勇者は他の人のように面倒な手続きをすることもなく門をくぐり、難なく町へ入ることができた。
「……とんでもない態度の変わり方ですね。」
「これでも天下の勇者様だからな。貴族に次ぐ地位は持っている。」
「地位って中々複雑なのですね。勇者という地位がどういった立ち位置か、勉強になります。」
町に入って暫くの間、勇者とウサギには互いにしか聞こえないような小声で会話を交わしていたが、その声は次第に聞こえにくくなった。
町の賑やかな活気が、その小声をかき消すほどに大きくなったからだ。
「いらっしゃい、良いの入ってるよ!」
「この町で一番の大特価だよ!どうだそこの兄ちゃん、買ってかないか?」
幾つもの商店が並び、店員たちが必死に大声を張り上げて客を寄せている。
ここは商いの町だ。近くの農村から仕入れた新鮮な農作物を売る商店街の隣には、今流行りの大衆向けファストファッションを売る店が立ち並んでいる。その奥には富裕層向けのちょっとお高めの高級品が並ぶブランド店が厳かに構えられており、いずれも人でいっぱいだ。
「私、こんなに人がいるところ初めて来ました。」
ウサギはそっと勇者の肩に上り、周囲を見渡しながらぽつりと呟いた。前の町とは違って、この町では誰も角兎の存在なんて気にしちゃいない。多少喋ったところで気づかれることもない。
「そういやずっとあの山に住んでいただっけか。あの町に下りてもここまで人を見ることはないだろう。聞くところによると、元々ここは地理的に複数の大きな都市から繋がる道が交差する場所で、物を運ぶ商人たちが休憩所として利用していた地域だったらしい。物の流通に恵まれていたお陰で町として発展し、次第に定住する人が増えて今のような城壁に囲まれた町になった――と昔習ったな。」
「へえ、つまり商いが生んだ町ってことですか。それにしても建物も人も多くて、これが都会なんですね、何だか落ち着きません。勇者さんは慣れているんです?」
「俺は基本王城暮らしで、時々王都は出かけていたからな。……王都はここよりも人が多いぞ。」
「ええ、これ以上人がいるなんて……人だかりはそんなに得意でないのですが、人生経験として一度は行ってみたいです。ね、いつか連れて行って下さいね。」
ウサギは興奮したように小さい鼻をぴくぴくと動かし、勇者の髪を引っ張った。
勇者は広い大通りの中心をゆっくりと歩いた。
まだ勇者が来たことは知れ渡っていないのだろう、変に視線を集めることもない。売り手は自分の仕事に夢中になり、買い手は商品を食い入るように見つめている。
ここはビジネスの町。金の匂いが集まる町だ。
「泥棒!」
突然甲高い声が響き渡り、周囲の人々がピクリと体を震わせた。
視線を声の方へ向けると目には行ったのは、人混みの隙間を素早くすり抜けこちらへ向かってくる小柄な人影。フードを深くかぶり、腕には何かを抱えている。
「お願い、捕まえて!」
再び人混みの奥から高い声が響き渡り、人々の視線が波打つようにこちらへ向いた。
考えるよりも体が先に動いた。
傍をすり抜けようとする人影の腕を掴んでそのまま捻り上げると、彼はあっけなくバランスを崩してその場に倒れ込んだ。随分体重は軽く、子供のようだ。
彼の手に抱えていた麻袋が破れ、中からキラキラと輝く宝石が大量に飛び出した。
ビンゴ。
「泥棒を捕まえてくださりありがとうございます!」
宝石屋の主人は勇者に深々と頭を下げ、それに合わせて周囲の人々もまばらに拍手を送った。
「いやあ、最近はどうも泥棒が多くて……見慣れない方ですが、冒険者さんでしょうか。もし良ければお名前をお伺いしても?」
「いいえ、名乗る程でもございませんから。」
今はこれ以上人目を引きたくなかった。どうせ暫くしたら嫌でも目立つのだから。
---
この町の領主の家は大きく、作りも随分豪勢だ。薄黄色の壁に汚れのついていない白い柱は家がよく手入れされていることを示している。
両開きの玄関から入ると、白黒タイルのホールに数十人の使用人たちがずらりと並び、一斉に頭を下げた。
「ようこそ、我が町へ。勇者殿、歓迎するよ。」
ホール奥の階段からゆったりと歩いてくるのは、この町の領主。伯爵の地位を持ちながら、幾つもの会社の社長の座にいる男だ。
勇者はその場に跪き、ウサギもまたその肩で見様見真似に跪いた。
「伯爵、お招き頂き感謝致します。」
「そう堅くなるな、私も勇者殿に会えるのを楽しみにしていたのだ。……おや、その肩に載っているのは角兎かい?」
「はい、その通りです。以前男爵領で捕まえて以来、旅の相棒として連れております。もし不快であれば外に繋いで参りますが……」
「いやいや、そのままで良い。私も小動物は好きだ、癒しになるからな。」
伯爵はハッハッハと豪勢に笑うと、勇者を自室へ案内した。良かった、事前のリサーチ通り伯爵は動物に甘い。このままウサギを連れていても機嫌を損ねることは無いだろう。
「勇者殿、こちらが私が君に依頼したい件についてだ。」
広い屋敷に似合わず、書斎は意外と地味だ。本棚から溢れそうな程のビジネス書のせいだろうか、男爵家の書斎と大して変わらない広さに見える。
ふかふかのソファーに座りながら渡された書類は、要点が簡潔にまとめられており、無駄のない構成だ。書き慣れているのだろう。
勇者はその内容に粗方目を通し、呟いた。
「……犯罪組織の調査?」
「そうだ。この町が抱える問題、それが近年肥大化する犯罪組織だ。」
伯爵はタバコに火をつけた。ウサギは煙に顔を顰めたが、当然伯爵がそれに気づくはずもない。
「見ての通り、この町はビジネスの町だ。ビジネスというのは、金が集まる場だ。金が集まるところには、当然碌でもない奴らが集まるものだ。不当な手段で利益を横取りし、通貨の循環を滞らせる社会の癌がな。」
伯爵は低く唸り、額に青筋を浮かべている。相当頭に来ているようで、手に力が入る余り、ついさっき火をつけたタバコが真っ二つに折れてしまった。
「その碌でもない奴らを私に討伐して欲しいと?」
「時間をかけて成長した組織だ、完全に無くすことは難しいだろう。だから討伐とまでは行かなくとも、何とか少しでもそいつらの力を削いで欲しい。現状は調査に難航しており、奴らの犯行を阻止しようにも毎回後手に回ってしまっている状態だ。」
伯爵は追加で数枚の書類を勇者に手渡した。近年の犯罪記録と追跡について記載されているが、いずれも組織的な犯行の割に犯人を捕まえられていないようだ。
「現地の人間でも難航するような調査を、つい先ほど来たばかりの私が担当してもよろしいのですか?」
「何でも勇者殿は、魔物に打ち勝つだけでなく問題の本質を見抜いて解決する力があるらしいからな。」
伯爵がウインクをして勇者に目線をやる。どうやら、最初の町でやったことがもう彼らに伝わっているらしい。
ビジネスマンは耳が早い。恐ろしいことに、勇者の移動速度よりも早い。
「……そのように仰って頂き、光栄です。」
「現状分かっていることについては衛兵団で聞くと良い。私の私兵のようなものだ、話は既に通してある。」
勇者に選択権はない。やれと言われればやるしかない。
勇者はウサギを小突くと、ウサギも勇者の腹を軽く蹴飛ばした。特に意味は無く、互いのストレス発散でしかない。
どうやらこの町でものんびりはしていられないようだ。