1-1 (プロローグ)
「勇者だけで魔王倒しに行くのっておかしくないですか?」
「はあ?」
森の中、勇者は目の前のツノが生えたウサギ――角兎の首を掴みながら素っ頓狂な声を上げた。
別に特別なことはない。ただ依頼達成の為に森に入り、腕慣らしがてらたまたま近くにいた角兎を一匹とっ捕まえて殺そうとしただけ。角兎なんて、最弱の魔物と呼ばれる程に無力で下等な魔物。
そんな魔物を殺そうとした瞬間、突然脈絡もない質問を投げかけられるなんて誰が予想できようか。
そもそも、勇者は勇者である。それ以上でもそれ以下でもない。
生まれながらにして、魔王を討伐するという使命を背負った者。この国に住む人間を守る為の存在。そのつもりで生きてきたし、周囲からもそう期待されて生きてきた。
それに異論を唱えるものもなく、その世界の在り方に疑問を持ったことも無い。
20年にも満たぬ期間だったが、この人生全てを魔王討伐に捧げてきた。王城で日々訓練を受け続け、ついこの間ようやく旅に出る許可を得られたところ。
そんな旅に出て直ぐに今まで考えたことも無い疑問をぶつけられ、勇者の頭は混乱した。
ウサギが喋った?しかも、傲慢にも勇者である自分の存在意義を問うた?
全てに理解が追いつかず、思わずウサギの喉元に突きつけていた剣先がブレる。
「だってそうでしょう?貴方、勇者でしょ?勇者1人が一国の王を討伐しに行くのって冷静に考えてあり得ないですよね?普通、軍隊で攻めるとか、もっと効率的な方法がありますよね?」
角兎は不自然なほど流暢な口調でまくし立てる。命乞いか、それとも時間稼ぎか。或いは気を逸らせて隙を作り、その隙に脱走しようと企んでいるのか。
いや、そもそも角兎程度の魔物に言葉を話す知能なんてなかったはず。
今自分が左手に捕まえているのは本当にただの角兎か?
「……勇者が魔王を倒すのって、そういうお約束だろう?昔から代々続く伝統じゃないか。何を今更そんなことを。」
「伝統伝統って言って、意味が無いのに続けていいのは形が大事な文化遺産だけですよ。国の存続にかかわる程大きな戦争に伝統を持ち込むのは余りに非合理的。太古より人間は群れで生きて、群れで戦う生き物ですよ。わざわざ勇者を祭り上げて、数減らして戦う合理的な理由はありますか?」
ウサギが首を回転させ、丸く黒い目が勇者を見上げた。仕草一つ一つが人間じみて、正直気味が悪い。
「……所謂、少数精鋭ってやつだろ。ぞろぞろ攻めるよりも実力の高い1人が不意を突いた方が早いって言われてきたし。」
「それ勇者ってより暗殺者ですよね。暗殺者なら普通、敵が警戒しないように存在を隠しておきますよね?なんで貴方は堂々と『勇者』名乗って魔物退治に明け暮れているんですかね?」
ウサギはバタバタと暴れて何とか勇者の左手から逃れようとするも、悲しいかな、最弱魔物の力では勇者には勝てない。ただ無常にプランプランと体が揺れるばかりだ。
「それはほら、プロパガンダとか。人間側の士気を高める為とかなんか色々あるだろう。」
「だったら尚更数で攻めた方が早いでしょう?士気上げた結果、突撃するのは1人って矛盾してますよね。マスコットは広報用に置いとかないと、死んだりしたら大変ですから。」
「形だけの勇者に誰がついていくんだ。魔王を実際に討伐するからこその勇者じゃないか。他にできる人がいないから勇者がやるべきなんだ――って言われてきた。」
「実際に対魔王軍用の軍隊あるらしいじゃないですか。人間の街に攻めてきた魔王軍と戦うための軍隊はあるのに、攻める時は単身なの意味わかりませんよ。」
ウサギは勇者の発言を片っ端から否定して反論していく。
というか、何でこいつは殺されかけているのにこんなにも煽り口調なんだ。命乞いなら普通もっと丁寧に下から目線でお願いするものじゃないのか。
だが確かに、こいつの言うことにも一理ある……気がしなくもない。勇者は少しだけ考え込む。
……が、魔物の言葉に惑わされてはならないとすぐに考え直した。
「知らねえけど、装備とか人数が足りないとかじゃねーの?俺だってカスみたいな装備しか貰えなかったんだから。」
「寧ろ少人数精鋭って装備面で万全にするものじゃないんですかね。後、人数が足りなくても1人は無いでしょ、流石に。歴代の勇者ですら5人くらいで動いていたらしいのですが、なんで貴方1人なんですか?ぼっちなんですか?」
そこまで言って、ウサギはしまったと口を噤んだ。首を絞める手に力が入り、地雷を踏んだことを悟ったからだ。
恐る恐る顔を上げると、そこには額に立派な青筋を立てて眉を吊り上げた勇者の顔があった。
「うるせえな、人には人の事情があるんだからウサギ風情は黙ってろ。というか、どうして俺は角兎なんかに存在否定されなきゃならないんだ。俺は今、風狼討伐依頼を受けてこの森に来たんだから、角兎なんかにかまけてる暇は無いんだ。とっとと殺してレベルアップの糧にしないとな。」
「ひええ、すみませんすみません!ああでもつまり、私たちの天敵である狼型魔物が討伐対象なのですね!私は討伐対象ではなかったのですね!私のような弱小魔物を殺しても得られる経験値などたかが知れているでしょう、ここは何とか逃がして頂くことは……」
「いいや、腹が立ったから殺す。お前ら魔物にそれ以外の存在価値なんて……いや待てよ。確かに僅かな経験値にしなくても、もっといい活用方法がありそうだ。」
勇者は僅かな時間考え込み。そして、にやりと笑った。
「ああ、いいことを思いついた。」
その笑顔に、ウサギは嫌な予感しかしなかった。
勇者は左手でウサギを掴んだまま、カバンに手を突っ込んで何やらごそごそし始めた。
「あった、これだ。」
そう呟くと何かをカバンから取り出し、ガチン、と長い革紐の付いた鉄の輪をウサギの首に付けた。
それはまるで、犬の散歩に使われる首輪とリードのようだった。
「え?え?」
「ペット魔物用の首輪さ。魔物が人間に危害を加えたり勝手に逃げ出さないように魔法で行動制限を掛けられる優れモノだ。外そうとしても自分じゃ外れないし、頑丈だから壊れやしない。依頼受けた町ではゴミ同然らしくてな、タダで貰えるって言うから貰ってきた。」
「そんなものつけてどうするって言うんですか!逃げられないじゃないですか!」
「逃がす訳ないだろう。これからお前には囮として活躍してもらうんだから。俺が討伐すべき風狼はお前ら角兎の天敵なんだろ?じゃあ、お前を餌にして置いといたらつられて出てきた風狼を狩れる。探しに行く手間が省けて助かるよ。」
勇者はフハハと声を上げて笑った。
その笑顔は勇者というより、悪魔と言った方がより的確に違いない。
「それじゃあ、短い間よろしくな。クソザコウサギ。」
角兎は心の中で泣いた。