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パドロム「食への賛美」

作者: アシカ

ある日のこと、自信を持てず、食べることを恥じているパドロムがいました。


パドロムは、毎日あちこちを走り周り、自信を持ちたく「生きる」ということを探求していました。


どの人にあたっても、そんなことを考えても無駄で考える必要がないと言われました。


たまに、心ひかれるものがおりましたが、しばらくすると違和感が生まれ「これだ」という答えまでには、たどり着きませんでした。


例えば、「食べることを恥じているのですが、食べるの徳について教えてくれますか?」


と、人生のセミナーをしている人に説いても、


「みんなで大集会をして幸福に食べれば、恥じずに食べることができる」と、言いましたので、会社の大集会で楽しくお酒を飲んで宴会をしていますが、それでもお酒と人の接待をするあまりにかえって、食べることが分からなくなりました。


そんな迷宮に陥っている中、パドロムに、世間からは変わり者とされる「イム」さんを紹介されました。


こうして、パドロムとイムさんが、「食べること」と「生きること」について対談していました。


その対談を記していきます。


パドロム「どうして、生きることは迷いがでるでしょうか」


イム「どんなことに迷っているのでしょう」


パドロム「うーん、そうやって言われると困りますが、まずは生きることに欠かせない食べることにです」


イム「食事についてか。食べることに善悪をつけ、自分が豪華の物を食べると恥を感じ、質素な食べものでないといけないということか」


パドロム「さようでございます。食べることによって、自分が獣や動物であるように感じるのです。肉を食べても、野菜を食べても、生命を殺して私は死を免れている。そんな自分を恥じているのです」


イム「尊大な羞恥心だな。食べなければ、生きることができないが、では、食べなければ、その食材はどうなるだろうか」


パドロム「ゴミに捨てれば、焼却され、野菜を畑に戻せば、土に還ります」


イム「そうだろう。もし食べたらどうなるだろうか」


パドロム「体で消化され、糞となります」


イム「そうだな。その糞はどうなる」


パドロム「下水場処理へいき、土に帰ります」


イム「そうなのだ。すると、食べることで循環があるだけではないかな」


パドロム「確かに、そうです。」


イム「では、食べることが、恥ずかしいと思うようになった理由は違う処にあるのではないか?」


パドロム「そうかもしれませんが、思い当たるところがありません。その恥はどこから生まれるのでしょう」


イム「小さい頃の記憶に付随しているのではないかね。良く思い出してみたまえ」


パドロム「小さい頃に、親に米粒を茶碗にひっついていることを厳しく注意を受けました。親はとくに気にしていなかったのですが、食べることがいけないような気がしたのです。また、学校の給食でも残すことはいけないことであり、食べなければいけませんでした」


イム「そうなのだ。もったいないと言う理由から、恥ずかしく思うようになったのだ。パドロムよ。他の人の食べる姿をみてみなさい」


パドロム「美味しそうに、ただ食べている人。何かに取り憑かれたように食べている人。何も考えず食べている人。もったいないから、余らさず食べている人。欲張ると、注意をして怒る人。子供に、百姓さんが一生懸命作ったのだから、余らさずたべなさいと言いながら食べている人・・・・・」


イム「そうだろう。毎日、欠かせない重要なことなのに、だれも深く食べるということを考えないのだ。私は、それが不思議でしかたない。分からないを前提に話しているのだが、少し考えるばかりに異端者や変質者として世間は扱うのだ。食事についても、分かっていないのに、分かっていると思って、説明したがるのだ」


パドロム「わたしは、他のカウンセラーの聴こえの良い食事や学校の先生の言っていたことよりも、あなたの仰ることのほうが、マシなように感じます。もうすこし、食べることについて教えていただけないでしょうか」


イム「勝手な持論であり、食べるということに根拠はなにもないが、食事は、毎日欠かせない現象である。3日、水を飲もないだけで死んでしまう。それにもかかわらずだ。食事について学ぶのは、余さず食べること。バランスの良い栄養をとること。専門家と呼ばれる栄養士に食事を任せて終わりところ。病気になったら薬を飲むことだけだ。

お金を払えば、美味しくてご飯が食べられ、健康になれると思っているのだろう。唾液でデンプンになって、よく噛んで食べましょうで、終わり。給食では、先生は誰よりも速く食べ終えている。で、よく噛んで食べている人は、机を引っ張られながら、周りは掃除をして、居残りで埃がたちながら食べている。言っていることとやっていることがあまりにも違いすぎると思わないかね」


パドロム「おっしゃるとおりです。毎日欠かさず食べることなのに、どうしてこのようなことが起きるのでしょうか」


イム「食べるという時間は、生存するために最も欠かせないことだと忘れているのだ。だから、軽率に扱っている。それ以上に数学や米を噛んで科学式で現すことのほうが価値が高いように思っている。

数学や国語、化学式の勉強を3日サボったからって、死ぬことはないにもかかわらずだ。

それにもかかわらず、一生懸命に教科書を暗記させ、大人になったら、化学式で米と唾液の酵素反応・加水分解は忘れる。覚えているものは、それを扱っている教師と研究者くらいのものだろう。

唾液の分解を証明せよと言われたら、論文1つができあがる。つまり、覚えれるわけがないのに覚えさせる。その仕組だけをしっていれば問題ない。気になったときに、調べ活かせば良いのだ。すると、噛むことにより、唾液がたくさん出るため胃もたれや胸焼けの役に立っていることがわかる」


パドロム「つまり、無駄に考えすぎているせいで、食べることに対してわからなくなっているということでしょうか」


イム「そうだ。食べるというのは、どのものでも基本は、噛んで。味わいがあって、飲み込む。これだけなのだ。それを小さい頃の食文化で勝手にその人が美味しい、美味しくないと判断をする。ピーマンは苦い。だから美味しくないと言った具合にだ」


パドロム「苦くないピーマンや辛くない玉ねぎが増えましたよね」


イム「そうなのだ。人間の味覚は、甘いものが美味しいと思うようになっている。それで、そのような商品を開発したのだ。苦みも味わいであり、エグ味も味わいであることを忘れてしまって、自分にあったそのときの食べものがあるにも関わらず、ハウス育ちの栄養がない甘い野菜を食べて、バランスの良い食事をとることが健康になると、矛盾を抱えていることまで誰も考えないのだ」


パドロム「それはどういった理由からでしょうか」


イム「さまざまな味わいを求め、たくさんの種類の料理はあるけれど、先ほどの味わいの作用を知らないのだ」


パドロム「どういうことでしょうか」


イム「繰り返しになるが、食べることがあり、噛むことが生まれ、唾液がでて、味わいが生まれる。これだけなのだ。あとは、内臓が反応して勝手に動き出す。味わいにいろいろなテーストをして、料理人がこだわるが、ほとんどのものは、化学製品のアミノ酸で旨味を高めて終わりなのだ。高級料理店で高いお金を払っている人も、ジビエなどの美味しいもの食すが、人より見栄っ張りなだけで、実際にはとくに栄養とは関係ない。お金持ちがみんな長生きであるか言われたそうではないだろう」


パドロム「そうですね。と、なると、高級料理でも、安い料理でも関係ないということでしょうか」


イム「そういうことではない。何度も繰り返し同じことをいうが、食べるという行為があって、噛むという行為があって、味わいがあって、食べものや体調、環境。調理方法、量などによって、内臓の働きが変わってくる。味わいというのは、甘味、旨味、苦み味、えぐ味などいくらでも感じ、いくらでも表現できる。それを商業ベースで安く済ませるために、アミノ酸と旨味の成分で安く高利益を出そうとした結果、味わいそのものを忘れているのだ。スーパーの野菜は、同じ形の甘みをどの野菜でも表現している。どれも一緒のようにしているのだ。キャベツなども水につけて、苦みなどをすてるが、それと同時にミネラルも捨てられていく。さらにいえば、農薬と除草剤を吸って、育っている。土もそれに合わせて作られた化成肥料だらけのものだ。甘いものが美味しいものと錯覚したばかりに、ミネラルというものがほとんど失われている。そのために、食べること全てに恥じらいをパドロムくんが覚えているのは、體が必然的に拒否をしているのではないか」


パドロム「なるほど。確かにそうかもしれません」


イム「ある意味。食べるものに違和感を覚えるのは正常な証である。高いお金を払って農薬のない自然の食すこともできる。だが、自分で触れて、自分でそのとき選んで、食べる。それ以上の褒美はない。栽培をする必要もないのだが、いまは必要だろう。(後述)それこそ最高の食材なのだ」


パドロム「それは、現実的に難しいのではないでしょうか」


イム「いまの世界では難しいな。だが、小さい頃を思い出してほしい。ミネラルが欲しくなったら、そのへんのツツジの花をとって蜜を吸っていただろう。そのへんのキイチゴを食べていただろう。その自然にあるものに所有の概念もなく食べていた。恥もなければなにもない。ただの食事という行為をしていたのだ」


パドロム「なるほど。人間は産業を追い求めるあまりに、このようなものを放棄したわけですか」


イム「そうなのだ。それで、都合がいいときだけ百姓は一生懸命つくったのだからと漠然とした理由で結論づけてしまう。だが、産業ベースで防腐剤を投与することで、安定した食料確保ができるようになったのもまた事実である。すぐに、體に害がでるわけではないからな」


パドロム「一般の常識の教養を身につけている人やそこで働く者から批判をくらいそうですね」


イム「一般など時代の思い込みに過ぎないと思わないかね。天動説が地動説に変わったように、当時の人はいまが1番賢いと思い込む。これも一種の障害である。古くて、残っているもののほうが自然である。だから、新しいものというのは、時代が過ぎてみないことには、その結果が分からないのだ。いまの食事にしても同じことがいえるとは思わないかね。また、資本主義に民主主義も同じことが言えると思わないかね」


パドロム「そうかもしれません」


イム「それこそが恥を感じる大きな理由にもなっているのだ。まぁ、私からしたら小さな問題に過ぎない。考えてもみなさい。野菜が肥料や農薬で育ち、それを人間が食べて、人間が消化して、体を壊して、灰となる。それも、自然の循環の1つだろう。そうやって、物事を大きく考えたときに、問題という問題は、対したことのないものとなる。そうとは思わないかね」


パドロム「そうかもしれません」


イム「すると、食べることとは、噛むと味わいと内臓の働きの認知だけとは思わないかね」


パドロム「あなたが言うなら、そうでしょう」


イム「では、内蔵の働きがもっとも活かされるその方法を考えるべきではないかね」


パドロム「内臓の働きと言われても、よくわかりません」


イム「梅干しを思い出すとよだれが出る。それは、しょっぱいものは、水分を多くし體が塩分濃いものを中和させようとする作用が働く。このように、食材1つずつに無意識的に内蔵が反応するわけだ。他にも、海苔を食べ過ぎれば下痢となる。外国人は海苔を消化できないので、少し食べただけで下痢に成る。つまり、その人にあった、その場所にあった食事があるのだ」


パドロム「なるほど、そうかもしれません。」


イム「さらに言えば、その日や季節、體調によってそれは変わる。みんなが同じ給食で同じ時間にたべるなど本来、あり得るはずがないとは思わないかね」


パドロム「そうかもしれません、ただ。ほとんどの人が働きに出て時間を言い訳にできないということでしょう」


イム「そうなのだ。現在の人類にはできないと思い込んでいるのである。だが、すべてできないわけではないだろう。会社のちょっと時間にお菓子を食べているだろう?それは、自分が欲しい栄養を取り入れたい合図であるが、そこに添加物を入れて生命を自ら破壊している。本当に、恥ずべきことは、恥を恥として認めないこと、受け入れないことだとは思わないかね」


パドロム「私も恥じているため、食べることが分からなかった愚か者の1人であります」


イム「いま分かったのだから、受け入れて認めれば良い。そして、全てできるわけない」


パドロム「もし、無農薬・無肥料の野菜や米で賄おうとすれば、供給が追いつかないでしょう」


イム「そうなのだ。だが、雑穀などはそのへんに生えている草であった。楽園があったときは、ツツジを吸って賄えるだけの環境であったのだ。インドの一部ではそのへんに果実が生え、食べたたいときに食べている。誰かが、所有するわけでなくな。だから、少しずつでいい。誤りを認め、なにかを行っていけばいい。それでいいのだ。何度も言うが、その肉体の器も、1つのフィルターなのだからな」


パドロム「もう一つ、食材に関してお伺いをしてもよろしいでしょうか」


イム「問題を抱えているのであれば、それを何でも聴くと良い。それは議論に値する」


パドロム「やたらと、大宴会でみんなで食事を楽しく行う事が幸福だ。みたいな思想があります。それに関してどのように思われますか?」


イム「まずは、パドロムくんの頭の整理をさせるから始めよう。大宴会でみんなで食事を楽しく行うことが幸福というが、それは状況によっての判断の幸福であろう。質や量ではない。そして、共通してあたる壁として、恥じらいがあるから、みんなで食事をすれば、自分は申し訳なく食べずに済むとう結論にいたっているのだろう。偽善者ぶって、世界には多くの餓死者がいる。そんな中が自分だけが、毎日ご飯を食べていていいのだろうか。このような背景から、自分が食べることを恥じただろう」


パドロム「私と似たような悩みですね」


イム「だが、これは実際に目の前で起きている問題ではない。それ以上を考えて寄付をしても意味がないのだ。自分たちが自分たちで創っていくしかないのだ。日本は段階を踏んでいる。戦後に焼け野原となり、食事がなかった。また木を植えて、植物が育って、生産ベースの同じ食事となった。孫の代まで飯を食わすという信念から、ある程度、食事に困らなく成った。だが、ミネラルが不足した。これが、日本全体に言える問題である。では、海外の孤児者はどうだろう。焼け野原で水も探すのがやっとだ。餓死者が多いところは、戦後の日本とまだ同じ状態なのだ。そしたら、まずは、慣行農法をべースに緑をはやしてから、食事の確保をして、自然の野菜にしていけばいい。問題が起きたら、ただ、できる自分のことをすればいいのだ。それを、変に大宴会でみんなで食事を行えば幸福だというのは、不幸を呼び寄せることに成る」


パドロム「どういうことでしょうか?どうして、不幸を呼び寄せることになるのでしょうか?」


イム「幸福を形に決めてしまえば、不幸の形も現れるのだ。もし、大宴会ができなければ、不幸になってしまうのだろう。これはまさに幻想をみさせるための人間の虚像である。まだまだ、権威性を理解していない証だ」


パドロム「誰かにとって都合が良いわけですね」


イム「そうだ。条件付きで食事が食べられる。人がちょうど家畜をして、餌を与えているように、誰かによって家畜にされ、それを幸福と読んでいるのだ。家畜小屋でみんなに入って、大宴会をして、それが、最高の幸福なのだとね。度重なりになるが、その時の自分で食べたいものは変わり、人によって食べる時間も違ってくる。みんなで大宴会の食事など有りえないのだ。鳥には鳥の食べものがあるように、あなたにはあなたにあった食べ物がある。それを探求していけば、恥もなくなる。ほとんど1から創らざる終えない状況ではあるけど、それでいいのだ。いまの慣行農法をベースに少しながら変化させればいい。ちょうど、アルコール中毒者が、少しずつ量を減らすようなにだ。私からできる提案はここまでだ」


パドロム「ええ、これでおおよそ片付きました。また、新たな疑問が浮かびました。菜食主義とか肉食主義とかそういったものもないとうわけですね」


イム「理解できたようだね。では、質問に対して質問で返すが、なんで菜食主義も肉食主義もないとおもうのかな」


パドロム「雪などで栽培できない場所では、放牧をベースに食事をするしかなかった。そして、そのように食事が體にあっている。つまり、それがその人にあった生存方法だから肉食でいいのです。反対に、日本などは米をベースに生存してきました。だから、パンや牛乳はなかなか消化されにくい。海苔などを消化できるようになりました。その土地にあった、その人にあった食べものに成ってりるわけです」


イム「そうなのだ。少しだけ加えると、同食は、體には調和されにくい。考えてみても分かるだろう。哺乳類を食べたら、臓器の同じ場所が反応する。それは循環しにくい。だから、共食いである人肉を食べるのは、ものすごい抵抗が生まれるだろう。猿を食べる気がしないのもそれが理由だ。だから、海の魚や草食系の動物を食べる。どうしてもお腹が減ってしまったときに、マンモスや肉食のものも食べていた。しかし、寒い地域でも徐々にじゃがいもの栽培やレタスなど育てる事ができるように成ってきている。最終的には雪に含まれミネラルを活かすことができるだろうが、いまは、かなり汚れた雪となっている。プラスチックがまぎれている。気長にやっていくことだ。さきほども話した通り、死など分岐点にすぎず、生などないのだ。どれも、分岐点になるだろう。すれば、どこに死があるのかわからなくなってくる。それはまた、ゆっくり話そう。パドロムくん。私もそれがわからないのだ。無知なのだ。だから、無とは何かの探求をしている」


こうして、食べることについてパドロムとイムの対談は終わりました。

食べることに罪悪感があるのであれば、それは改善できる証。

そして、その日に畑に、じゃがいもを植えたパドロムでした。












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