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周囲に注意を払いつつ、さらに森の奥へ進む。ここまで、やはりというか野ネズミやリスなどの小動物すら見かけない。出来れば予想が外れてほしいヤクとしては、否でも緊張が増していく。
「出てきませんね、魔物」
「そうだねぇ」
緊張で破裂しそうなヤクに比べ、アーガはどこまでもおっとりと返事を返す。いつもならそんなアーガに安心するヤクだが、今は全く安心できない。
生き物の気配のない森は、何とも言えない気味悪さがあって、とにかく早く依頼を終わらせて森を出たいという思いがどんどん膨らんでいく。
「師匠、何か手がかりとかありましたか?」
「無いんだよねぇ。困ったねぇ」
ちっとも困ってなさそうなアーガに、ヤクは泣きそうになった。
「師匠にも分からないくらい、厄介な魔物なんですか?」
「というか、痕跡が本当にないんだよ。擬態しているにしろ、植物型にしろ、動物がいないなら動物を餌にしているはずなのに、狩りや食事の痕跡が一切ないんだ」
「狩りや食事の痕跡?」
周囲に視線を巡らせながら言うアーガの言葉に、ヤクは首をかしげる。
「足跡も引きずったような跡も何もないんだ。獲物を捕まえたその場で喰うにしても、血の跡や臭いもしない。どこかに拠点があるんだろうけど、その拠点が見つからないし、痕跡もないからどんな魔物なのか判断できない」
話しながらも足を進めると、不意にぽかりと木々が途切れ草地に出た。
日当たりの良い、草の合間に黄色い花の咲き、いい匂いがしている。大変居心地よく、昼寝でもしたくなるような場所だ。ヤクも緊張がゆるみ顔に笑みが浮かぶ。
しかし、草地に足を踏み入れようとしたヤクをアーガが止めた。
「ヤク、ここから前に出ないように。ここが魔物の生息地です」
森に入ってから初めて、アーガの声に緊張が乗る。視線は油断なく草地を見渡している。
同じように草地を見渡すが、ヤクにはただの草地にしか見えない。むしろ日当たりの良さと花のいい香りで、ここ以上に寝心地のよさそうな場所もないように思える。
「師匠、本当にここなんですか?こんなに気持ちよさそうなのに」
ヤクが投げた疑問に、アーガは視線を草地からヤクに移した。
「そうだね。今のヤクの状態で、確信したよ」
「俺の状態、ですか?」
言われたヤクは、自分の状態を確認するが、特に痛みや眠気、気持ち悪さなどはない。むしろ花の香りのおかげで、さっきまであった緊張が緩和されている。
「特におかしいところはないですよ?」
「この状況で、ヤクの緊張感がないのがおかしいんだよ」
言われた言葉は、意味を理解するのに数秒かかった。
「緊張感・・・」
「そう。この草地に来てから、ヤクの緊張感は薄れている。周りへの警戒も緩くなったね」
「え、でも、こんなにきれいな場所で警戒なんて必要ですか?」
心底不思議そうに言われ、アーガの眉間が寄った。一方のヤクは自分の言葉に違和感を覚えた。
確かにきれいで心地よさそうな場所だが、何かがおかしい。だが、何がおかしいのか分からない。
「ヤク、私達は何をしにこの森へ入ったか覚えているかな?」
考え込んだヤクの頭を撫でながら、アーガは穏やかに問いかけた。ヤクの感じている違和感を言葉にするのは簡単だが、自分で気付き対処できるようにならなければ、同じことを繰り返させるわけにはいかないのだ。
「調査依頼で、生き物の気配が、無くて、だから・・・あぁ!!」
「何がおかしいか分かったかな?」
「はい。すみません、師匠」
魔物がいる森の中で、さっきまで痛いほど感じていた緊張感がいつの間にかなくなっていた。いつからかと考えれば、この草地に来てから。さらに言えば花の匂いを嗅いだあとからだ。
だとすれば、自ずと答えは出る。
「花の魔物?」
「おそらくね。ヤク、何が一番気になった?」
「え?俺ですか?」
アーガの問いに、ヤクはきょとりと瞬いた。