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ゆるっとお付き合いください。
「見えたっ!!ししょー!港が見えました!!!」
船の縁から精一杯背伸びをして航路の先を見ていた少年が、興奮に空色の瞳を輝かせて振り返る。青灰色の髪は海風に煽られてボサボサだ。
「坊主、あんまり乗り出すと海に落ちて海獣の餌になるぞ〜」
「そんな間抜けじゃないっ!」
近くにいた船乗りにからかわれ、頬を膨らませた少年に周囲から笑いが起こり、さらに少年の頬が膨らんだ。
「ヤク、そんなに騒いだら迷惑になるよ」
「・・・スミマセン。師匠」
「はははっ!流石のヤクも、アーガさんには素直だな」
やんわりとたしなめられた少年―ヤク―が萎れて謝れば、途端に周りから囃し立てられる。
海の上では娯楽は少ない。その中で、物怖じしない元気の塊のようなヤクと、穏やかで意外に酒豪なアーガの師弟は一月の航海の間に船乗りたちに大層気に入られていた。
「じゃあな、帰りに縁があったら、またこの船に乗れよ〜!」
陽気な船乗りたちと別れ、二人は港町ナグラへ入った。
師弟が歩くと、周りの視線が集まる。ヤクの空色の瞳も珍しいが、アーガの漆黒の髪と瞳はもっと珍しい。しかも二人とも整った容姿をしているため、目立つのだ。
すれ違う老若男女が皆振り返るが、二人は全く気にせず宿屋に向かった。
「さて、今日はこのまま休みましょう。明日から忙しくなりますよ」
「はい、師匠!」
明けて翌日。二人はギルドで依頼を受けて、町から半刻ほどの場所にある森の奥にいた。
頭上は緑豊かな木々の天井。足元は青々と茂る草花の絨毯。大変静かで長閑かつ癒される環境で、仕事で来ているのでなければ昼寝でもしたくなる環境だ。
「師匠、こんなに静かな森なのに、なんで緊急の調査依頼なんですか?」
不思議そうに周りを見渡すヤクを振り返り、アーガは微笑んだ。
「『静か』だからだよ」
「え?」
アーガの言葉の意図が分からずきょとんとしているヤクは、周りを見ろと言われて改めて周囲を見渡した。
見た限りは、以前行った森と変わりはない。けれどどこか違和感を覚えて意識を、感覚の全てを森へ向けてみた。
「鳥の声が、しない・・・?」
「正確には『動物の』だね。静かすぎる」
いつも穏やかなアーガの声音がわずかに緊張していることに、ようやくヤクは気が付いた。
「えっと、師匠。今までいなかった動物が住み着いたとか、どれかの数が増えすぎたとかってことはないですか?」
「それだけの理由でここまで生き物の気配が途絶えることはないね。森の奥に入るほど、鳥も動物も痕跡すらなくなる。当初の依頼内容も『森から生き物の痕跡がなくなった』というものだったしね。人が消えたという内容じゃないのがまだ救いだね」
一縷の望みは、あっけなく否定された。
アーガの言う通り、今までいなかった動物が住み着いたくらいで動物の気配が無くなることも、緊急依頼が出ることもないことくらいはヤクにも分かる。
「じゃあ、あの、もしかしなくても・・・」
「魔物だろうね。しかも、これだけ森に気配がない状態なら、中級以上かな」
アーガの言葉に体をこわばらせたヤクの頭を撫でながら、アーガは周囲を見回した。
「擬態の得意な魔物か、あるいは植物型かな」
軽い口調で言われたが、すでに周囲に動物の痕跡がないことを考えればいつ魔物に襲われてもおかしくないということだ。ヤクはアーガに身を寄せ、恐々と周りを見渡す。
「あの、師匠?もしかしなくても、今すっごく危ない状況なんじゃ?」
「うん、そうだねぇ」
あくまでのんびりとしたアーガの様子に、ヤクもわずかに体から力を抜く。
「師匠、このまま奥へ行くんですか?」
「奥までというより、魔物のところまで、かな。どんな魔物なのか確認しないと、報告できないし」
「え?倒さないんですか??」
ヤクの言葉に、アーガはにこりと微笑んだ。
「だって、『調査依頼』であって、『討伐依頼』じゃないでしょう?」