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魔王妃メランは待っている

作者: 流丘ゆら


 人間はあまり好きではない。

 きっと夫がいなければ、自分はもっと早く人間界に見切りをつけていただろうと、そう思う。


 魔王城の庭園で花を手折っていた魔王妃メランは、ふとした違和感を覚えて顔を上げた。その拍子に、月光を思わせる長い白銀の髪が黒いドレスに流れ落ちる。

 目を眇めた。どこか遠くで、厄介事の気配がする。またかと溜め息をつくよりも早く、誰もいなかったはずの庭園に一人の魔族が姿を現した。



「メラン様」



 忽然と現れたその青年はメランの前で跪く。人間と変わらないその姿は、彼が強い魔力を持つ高位魔族であることを示していた。



「魔界の端に勇者と思われる聖力反応が」


「またか。放っておけ。悪さをするようなら人間界に送り返せばいい」


「始末しないので?」


「必要ない。どうせ人間など私たちが手を下さずとも寿命ですぐに死ぬ。始末するだけ時間と労力の無駄だ」



 メランは人間にも人間界にも興味がない。好きか嫌いかで言えば嫌いだが、だからといって始末しようとは思わない。

 ただ彼女は、夫の言葉を守っているだけだ。目の前の青年もそれを知っているため、短く「御意」と答えてから、メランの指示を実行に移すべくすぐさま庭園から出ていった。

 そんな青年の後ろ姿を見送ってから、メランはどこか遠くを見つめる。そして、その膨大な魔力を駆使して魔界の端にいるという勇者たちの姿を『視』つけた。彼らは恐るべき速さでどこかを目指して移動中のようだ。


 現在ちょっとした事情から魔王代理を務めている、魔王妃メラン。

 魔界を治め、その秩序と安寧を守ることが彼女の当面の仕事である。


 メランの視界の先で、勇者一行が魔族の集落を襲っているのが視えた。しかし大きな被害が出る前に、先ほど派遣したばかりの青年が勇者一行を返り討ちにして魔力絡めにしているのも確認できた。

 早すぎる到着のように思えるが、人間にしては恐るべき速度で進んでいた勇者一行と、それを遥かに上回る速度で移動できる高位魔族。そう考えると、合流までさほど時間がかからなかったのも頷ける。

 彼が勇者一行を強制送還すべく手筈を整えている様子を見守りながら、遥か遠くの魔王城にいるメランは嘆息していた。



「まったく人間とは厄介な生き物だな……」



 基本的に、魔界と人間界の間は自由に行き来できないようになっている。この二つの世界の間を渡れるのは、非常に強い魔力を持つ魔族と、非常に強い聖力を持つ人間だけだ。そしてそんな人材は、どちらの世界でも十人に満たないほど希少な存在である。

 魔界ではそのような人材を要職に就かせるのが慣例であったが、人間界ではそんな人材のことを『勇者』と呼び、なんでか事あるごとに「魔王討伐だー!」とか言って攻め込んでくるのが常だった。人間の考えることなどわからん、というのは現在不在の魔王の言であり、魔族一同それには全面同意である。


 それにしても、とメランは呆れた顔をした。視界の先では魔族の青年エレが暴れる勇者どもを締め上げて、聖剣とかいうやけに聖力がみなぎった剣をバキンとすげなく折っている。高位魔族であり魔王の右腕でもある彼だが、勇者一行を一人で返り討ちにできるとは相変わらず規格外の青年だ。

 とはいえ、そこまでしなくてもいいのではないかとメランは思う。そういうことをするから魔族は悪だとか言われるのではなかろうか。……まあ、どうでもいいけれど。

 飽きたメランは猫のように欠伸をして、広げていた視界を『閉ざして』歩き出した。向かうは魔王城の地下にある廟である。


 何度も何度も通ったため、もはや通い慣れてしまった廟へと続く地下通路。石段をひとつずつ降りていく度に、心のどこかがしんと冷えていく気がした。今もなお。……この感覚には、なかなか慣れない。

 石段を降りきった先にはひとつきりの大きな扉があった。メランが触れると、魔力が通って自動的に扉が開く。この扉を解錠できるのは、歴代の魔王と魔王妃だけだ。こつりと中へ足を踏み入れれば、メランの背後でやはり自動的に扉が閉じた。



「――――……」



 耳鳴りがしそうなほどの静寂が訪れ、メランはしばし立ち尽くす。やはりこの場所は苦手だ。それでも彼女にはここへと足を運ぶ理由がある。

 扉の大きさからは想像もつかないほど広いその場所で、メランは一番手前に安置してある棺へと近づいた。



「……シュヴァルツ」



 棺の中で眠る男へと呼びかける。返事はない。けれど死者しかいないこの場所で、ただひとり彼だけがまだ生きていることをメランは知っていた。まだ希望があることを。だから。



「また懲りずに勇者が来たよ。すぐにエレが追い払ってくれたけど……人間というものは、どこまでも愚かしくて、それでいて眩しいな。お前が言っていた通りだ」



 答えなどないと知りつつも、今日もメランは棺の中で眠り続けている男へと話しかける。この三百年、毎日欠かさず続けているメランの大事な習慣だ。


 魔王シュヴァルツ。メランの夫。

 かつて魔力に当てられて凶暴化した勇者からメランを救うために、魔力のほぼすべてを分け与えてくれた馬鹿みたいに優しい魔王。


 聖力を失っても生きていられる人間とは違い、魔力を失った魔族には死が待ち受けている。だからメランに魔力を分け与えるということは、すなわち自らの命を縮めることだと彼も当然知っていた。

 それなのに、躊躇わずに瀕死のメランに魔力をくれた。意識を失うギリギリまでメランに注いで、そうして僅かな魔力だけを残して眠りについた。



『どうせ魔力なんて寝ているうちに回復する。だから人間を恨むなよ、メラン。人間はどこまでも愚かしいが、同時にその命は眩しいまでに鮮烈だ。……俺が眠っている間、魔界と人間界を頼んだぞ』



 メランの表情が歪んだ。本当に、馬鹿みたいに優しすぎる。

 あれから三百年。彼女は魔王代理として魔界を治めながら、何度も懲りずにやってくる勇者たちを殺さずに送り返し続けていた。はじめは夫の言葉を守っていただけなのだが、一向に学習しない人間たちを見ているうちに、夫の言葉の意味が徐々に理解できるようになっていった。


 魔族に比べて、人間の命はずっと短い。それこそ人間と蜻蛉(かげろう)くらいの違いがそこにはある。

 例えるならば、人の命は花火のようだった。思わず目を奪われてしまうほどの、散り際まで美しい鮮烈さ。

 愚かなのは仕方がない。寿命の短い種族なのだ。むしろあれだけの文明を築けたこと自体が奇跡だろう。


 ……でもたまに、極めて優れた人間が現れることもあった。人間界がここまで繁栄してきたのも、それら特異な存在の功績が大きいとメランは思う。

 人間はそれを英雄と呼び、魔族はそれを災厄と呼んだ。

 高位魔族であるメランに瀕死の重傷を負わせ、シュヴァルツを昏睡状態に追い詰めた当時の勇者も、いま思えばその類の人間だった。少なくとも並程度の勇者では、メランに傷をつけることすらできないのだから。



「シュヴァルツ。お前はいつまで寝ているつもりなんだ? 言っておくが寝坊もいいところだぞ。いい加減、待ちくたびれてきたよ」



 そんなことをボヤいて、メランは先ほど庭園で手折ってきた花をそっと夫の棺の中に置いた。昨日捧げた花は萎れかけていたので、そっちは手早く回収する。これはあとで自分の部屋の花瓶にでも突っ込もう。

 最後に夫の額に口付けを落として、メランは静かに踵を返した。


 彼の目覚めを待ち続けて早三百年。本当に寝坊もいいところだが、まあ、今は大目に見てやろう。少なくともあと少しくらいは。

 そんなことを考えながら、閉ざされた扉に魔力を通して地下通路へと出れば、そこには勇者一行を送り返してきたばかりのエレが直立不動の姿勢で待っていた。



「メラン様、緊急事態です」



 珍しく深刻そうなエレの表情を見てメランの眉間に皺が寄る。魔族と相性が悪い聖力の塊である勇者たちすら一人で返り討ちにできる彼が『緊急事態』と称するなんて嫌な予感しかしない。それでも一応「なにがあった」と訊いたけれど。



「たった今、()()()()が送り込まれてきました」


「……。は?」



 彼が何を言っているのか、メランはすぐには理解できなかった。次の勇者。……勇者だと?



「勇者ならさっきお前が追い払っただろう」


「それとは別の勇者です。……信じられませんが、間髪入れずに勇者がもう一人送り込まれてきたようでして」



 つまり二人目の勇者が魔界に侵入してきたのだと。その言葉でようやく状況を把握したメランだが、同時にその事態の深刻さに顔色が変わった。

 本来、勇者と呼ばれる英雄はひとつの時代に一人しか現れない。つまり二人以上が同時に存在することなどありえないのだ。それなのに。



「……被害は出ているのか?」


「いえ、すぐに配下たちを送り込みましたので大きな被害はまだ。しかし曲がりなりにも勇者です。あの聖力の強さは尋常ではない。並の勇者ならば二人いようと三人いようと対処が可能ですが、災厄級の勇者ならばさすがに厄介かと」



 エレは自分の能力の高さを知っている。それと同時に自分の限界もわきまえている。だから彼が無理だと判断したことは本当に無理なのだと、誰よりも近くで彼を見てきたメランはちゃんと知っていた。



「お前をもってしても、やはり災厄級は手こずるか」


「はい」



 わかった、とメランは頷いた。エレは強い。人間界へと渡れるほどに強い魔力を持っている。そんな彼でも対処が難しいと言うのであれば。



「――――っ!」



 どん、という強い衝撃を感じてメランとエレが同時に息を呑んだ。実際に地面が揺れたわけでもないのにこの衝撃。魔力と相性の悪い聖力が、この世界に容赦なくぶつかってきたのだと嫌でも分かった。

 すぐさまメランは視界を開く。千里眼だ。膨大な魔力を必要とする能力とはいえ、彼女が持つ生来の魔力と魔王シュヴァルツから分け与えられた魔力をもってすれば、魔界の果てまで見通したとしても大した消耗にはなりもしない。



「あ……」



 視えた景色にメランは思わず呻いていた。

 並程度の勇者が十人。そして絶大な聖力をみなぎらせた勇者が、三人。ありえない。だが、そんなありえないことが現に起きてしまっている。



「メラン様?」


「エレ、今すぐ魔界全域に緊急事態特別警戒避難命令を発令しろ」


「は、え、き、緊急事態……警戒、命令……?」


「緊急事態特別警戒避難命令。要は、緊急事態宣言と特別警戒情報と避難命令を同時に発令しろということだ」



 メランは左目で勇者たちの動向を追いながら、右目で目の前のエレを見据える。



「勇者とは災厄だ。しかもそれが十三人も同時に襲来したんだ。どう考えても超弩級の災害だろうが」


「じゅ、じゅうさっ……十三人ですか!?」



 いつもは冷静なエレも、その異常な人数に目を剥いた。

 とりあえずメランは、手にしていた萎れかけの花の花びらを次々とちぎる。そしてその一枚一枚に息を吹きかけて、それから指をパチンと鳴らした。



「第七十七代魔王妃メラン・ディル・ディ・スヴァッティンの名のもと、お前たちに使命を与えよう」



 その声に答えるかのように、バラバラになった花びらたちが鳥の形になって舞い上がった。



「十三人の勇者たちにそれぞれ取り付け。花びらの形に戻ればそうそう怪しまれないだろう」



 花びらの鳥たちはこくりと頷き、それぞれどこぞにいる勇者たちのもとへと飛び去っていった。これで勇者たちの動向がメランに筒抜けとなる。なお花びらが枯れるか、あるいは勇者によって術が破られるまでその効果は持続する。

 メランはエレに向き直った。はじめこそ勇者のありえない人数に動揺していたが、すでに彼は落ち着きを取り戻していた。



「エレ、本日限りお前に全軍の指揮権を移譲する。警報を発令したらすぐに動け」


「はい、メラン様」



 やはり人間はあまり好きではないと、メランは思う。

 きっかり三拍考えて、それから彼女は腹を括った。……人間を恨むなと言った夫。迷いは一瞬で断ち切れた。

 エレを引き連れて魔王城の一階へと戻る。エレは警報を発令するため走っていき、メランは集まってきた兵士たちに次々と指示を飛ばした。



「メラン様、勇者が!」


「わかっている。とにかく被害を抑えろ。魔界の民を守れ。将軍各位は動かせる戦力をすべて動員させて構わない。指揮はエレが執る」


「は!」


「城にある武器や薬も好きなだけ持っていけ。ああ、面倒な手続きはすっ飛ばしていいよ。お前たちが無事ならそれでいい」



 黒いドレスと長い白銀の髪を翻し、猛然と歩いていたメランが急に立ち止まった。かと思えば彼女は兵士たちを振り返る。



「やるべきことはシンプルだ。――守るべきものを守れ。そして生きろ。あと魔王城を守ることは考えなくていい。ここは私が守るから」



 城を守らなくていい。ここは自分が守る。……その言葉の意味を理解した途端、兵士たちが口々に叫んだ。



「お待ちください! それでは誰があなたを守るのですか!」



 三百年もの長きに渡り、魔王シュヴァルツに代わって魔界を守り続けてきた魔王妃メラン。城は破壊されてもまた建て直せばいいだけの話だが、彼女の代わりなど誰もいないのだ。守るべきものを守れと言うのなら、彼らにとっての守るべき存在はメランをおいて他にない。

 それなのに、兵士たちの懇願をメランは鼻で笑ってはねつけた。



「全員で私を守ってどうするんだ。いいから行け。各地に散れ。お前たちの助けを必要としている連中のところに一秒でも早く駆けつけろ。これは命令だ。……最後のね」



 最後の一言に誰かが物申す前に、メランは全員を強制的に各地へと転移させた。ついでに城にあった物資もこれでもかというほど大量に送りつけておく。

 あまりにも大規模な転移だったため、魔力をごっそりと持っていかれる感覚がした。でもまだ余力はある。メランは吹き出した冷や汗をぐいと拭い、そのまま足早に歩を進めた。

 その間にも、十三人の勇者のところに派遣していた花びらの使者たちからひっきりなしに情報が入ってくる。


 ――魔族は悪。

 ――魔界を滅ぼし、封印しろ。

 ――諸悪の根源である魔王を殺せ。

 ――それこそが、人類の救世主たる勇者(われわれ)の使命だ。



「……は」



 メランの口から笑声が漏れる。口元に歪んだ笑みが広がった。

 これが笑わずにいられようか。あまりにも一方的な言い分で、もはやこちらの言い分を主張する気も起きない。こんな連中と話し合おうとするだけ時間の無駄だ。意味がない。


 魔王の間へと辿り着いたメランは、玉座が置いてある方向へと一直線に足を進めた。正確には、玉座の隣にある一回り小さな椅子へと。

 ふわりとドレスを広げて、いつものように優雅に腰かける。魔王妃だけが座れる場所。シュヴァルツの妻である証。

 メランが魔界を治めていたこの三百年も、彼女が玉座に腰かけることなど一度もなかった。ただの一度も。なぜならこの席にふさわしいのは、たった一人だけなのだから。


 千里眼を使って魔界を見渡す。並の勇者十名に関しては、メランが直接現場へとぶっ飛ばした将軍たちとその部下たちの奮戦のおかげでなんとか捕縛できそうだ。

 そしてエレ。恐ろしいことに、あの馬鹿馬鹿しいまでに聖力をみなぎらせた勇者たちを相手に派手に暴れてボロボロになって、それでいてなお『勇者を始末しない』というメランの信念に忠実に従ってくれていた。それを視たメランは複雑な気持ちになる。……緊急事態である今、満身創痍になってまでメランの信念を守る必要などないのに。



「…………」



 それにしても、やはり災厄級の勇者の力は異常だった。各地での奮戦の手を逃れ、ひとりの勇者がこの魔王城へと向かってくるのが視える。花びらの使者たちはとっくに彼に見破られて排除されているため、得られるのは千里眼による情報だけだ。

 聖剣を携え、激しい戦いの中で浅からぬ傷を負いながらも、その勇者の聖力は未だに十分保たれている。


 メランは千里眼の視界を閉じて、からっぽな魔王城でひとり溜め息をついた。……三百年前の借りを返す機会がついに来た。そういうことにしておこう。

 ばんっ、と勢いよく魔王の間の扉が蹴破られたのは、それから間もなくのことだった。



「――覚悟しろ、魔王! お前も魔界も今日で終わりだ! これまでの悪行のすべてを地獄の底で後悔するがいい!」



 短絡的で、それでいて懐かしい言葉だった。かつてメランが戦い、そして重症を負わされたあの時の勇者も同じことを言っていた。目の前の彼が身にまとっている鎧にも、マントにも、手にした聖剣にも既視感がある。

 メランは笑った。人間と直接会うのは、それこそ三百年ぶりだった。



「……我が配下の手を潜り抜け、よくぞここまで辿り着いたものだ。その無謀さと幸運だけは褒めてやろう」


「馬鹿にするなっ! 貴様を今すぐ殺……え?」



 急に勇者の勢いがなりを潜める。彼はまじまじとメランを見つめた。……()()



「……お前……魔王じゃない、のか……?」


「おや。『勇者は魔王を一目で看破することができる』とかいうあの噂は眉唾ではなかったのか」



 どうも勇者には魔王を知覚する特殊な感覚が備わっているらしい、という話は聞いたことがあった。こればかりは勇者にしか分からない感覚なのでメランはあまり信じていなかったのだが、彼の様子からしてもあの噂は本当だったらしい。

 しかし、だからといってお互いのことを見逃すわけもない。勇者は聖剣をメランに向けた。



「お前が誰かは知らないが、魔王はどこだ。匿っても無駄だぞ」


「私が素直に教えると思うのか? おめでたい頭の生き物だな。だから人間は愚かだというんだ」


「減らず口を……!」



 勇者がメランに斬りかかってきた。速い。けれど避けられない速度ではない。

 メランはパッと身を翻して玉座の後ろへと回った。それから当てずっぽうに手を伸ばして――あった。



「魔王の居場所を言わないのなら、まずはお前から始末する!」



 再度勇者が聖剣を振るう。しかし、その斬撃は漆黒の大剣によって受け止められてしまった。その大剣を見た勇者が目を見開く。



「魔剣……!?」



 玉座の後ろに置いてあった、黒い光を放つ大剣――魔剣だ。メランはそれを使い、聖剣を思い切り弾き返した。それにより勇者とメランの間には一定の距離が空く。

 魔剣とは、すなわち魔王の剣だ。そのため魔王以外の者が使っても本来の力の半分も引き出せない。それでも、メランにはその半分程度の力さえあれば十分だった。



「ここから去れ、勇者。そうすれば手は出さない。このまま人間界まで送り返してやる」


「そういうわけにはいかない。俺は魔王を討伐する使命を帯びてここまで来た。それを果たせずにおめおめと帰れるわけがないだろう!」



 予想通りの反応に、メランは渋い顔をする。話して分かるなどとは期待していなかったが、やはり見事に平行線だ。ここまで話を引き伸ばしたのは時間稼ぎでしかなかったのだが、これ以上待っていてもどうにも間に合いそうにない。


 仕方ない。メランは魔剣を握り直した。先ほどごっそり持っていかれた魔力はまだ回復していないが、一般的な魔族が保持している程度の魔力はまだ残っている。

 三百年前は遅れを取ったが、今度はそうもいかない。手にした魔剣に魔力を込めながら思う。……やっぱりお前は寝坊助だよ、シュヴァルツ。



「安心しろ、魔族。せめて苦しまないように殺してやるさ」


「それはこちらのセリフだよ、人間」



 魔剣と聖剣。魔力と聖力。相反する二つの力が激突する、その直前のことだった。



「うぐっ……!?」



 勇者が呻く。メランが瞠目する。

 ずん、と。まるで腹の底から突き上げられたかと思うほどの衝撃。あまりにも強くて圧倒的なその存在感に、思わず息が止まりかけた。この、気配は。

 自分がいつ魔剣を手放したのかも、メランには分からなかった。気づけば床には大きな穴が空いていた。


 勇者が絶句する。床に大穴を開けて地下から直接乗り込んできた男は、メランが握っていた大剣を奪ってそこに遠慮なく魔力を注いで、無遠慮にも出力を全開にした。



「ったく、目覚めた途端にこれか。どうせなら笑顔の妻に迎えて欲しかったんだが……」



 低くて、少し掠れた心地よい声。三百年ぶりに聞いた声。

 メランはシュヴァルツを呆然と見上げた。いくら魔王とはいえ、こんな滅茶苦茶な登場の仕方があるだろうか。



「人間界に帰れ、勇者。夫婦水入らずの再会を邪魔するな」



 魔王城に着くまでに満身創痍になっていた勇者と、三百年の眠りから覚めたばかりで魔力に満ち満ちた状態の魔王。どちらに分があるかは明らかで。

 結局勇者の奮戦虚しく、彼はシュヴァルツにかすり傷すら与えられずに聖剣ごと人間界へと強制送還されたのだった。見ていたメランは呆気に取られる。……いくらなんでも強すぎやしないか。



「シュヴァルツ……」


「なんだその呆れた顔は」



 夫が不本意そうな顔をするが、これで呆れるなというほうが無理ではなかろうか。

 あまりにも呆気ない幕切れ。前代未聞の緊急事態特別警戒避難命令とかいうふざけた警報まで発令したというのに、なんなんだこれは。本当になんだったんだ。


 残っていた魔力を使って千里眼を開けば、各地の被害状況が視えてきた。ついでにボロボロになりながらも魔王城へと全速力で駆け戻ってくるエレの姿も。



「おいこら、メラン。久しぶりに再会した夫になにか言うことはないのか」



 目の前にいるというのに全然自分を見てくれない妻。つれない彼女の態度にシュヴァルツが不貞腐れた声を出す。子供かと思わなくもないメランだが、彼と同列にしては息子であるエレが可哀想だと思い直した。それに彼の言う通り、言いたいことは山ほどあったので。


 それにしても「なにか言うことはないのか」と催促されると、逆に彼が一番聞きたいであろう言葉は後回しにしてやりたくなるこの気持ちはなんだろう。

 だからメランは再会を喜ぶ言葉よりも早く、彼が目覚めたらまず言おうと思っていた言葉を先に言うことにした。


 顔を上げて、目尻を緩ませ、にっと唇を引き上げて。

 滅多に見せないとびきりの笑顔を浮かべてみせてから、メランは言った。



「――遅い。待ちくたびれたよ、シュヴァルツ」


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[一言] すごく好きです。続きが読みたくなりました。
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