第38話 手料理
散々祝われた後現実世界へと戻ってきた晴也は、VR機器をはずした瞬間から聞こえてきたドアのノックに、思わずビクッとなる。
一応、決めたルールは守ってくれている事に一安心しながら返事をする。
「ちょっと早いけど、夕飯作ったから早く来て」
「……はい」
VR世界の中でいろいろ食べて来たので、実際にはお腹は膨れていないけれど、食欲が無いです。そう言えたら、彼の人生はもう少しだけ楽で良かっただろう。
大人しく部屋の中から出た晴也を、リビング中に広がるカレーの匂いが出迎える。
「どうせならと思って、毎月10日はカレーかオムライスにした」
「……ありがとう」
今日がちょうど8月の10日なので、1月ごとの僕の好物が出てくるのは10日に決まったらしい。
意外にも、春香がちゃんとルールを守ってくれている……。
その事に少しだけ感動を覚えながら、昼間は無かった椅子へと腰掛ける。
目の前には少し小さめのダイニングテーブルが置かれており、家のリビングから勝手に持ってきたものだと自慢げに話す春香に、やっぱり相変わらずだとどこか安心する。
「リビングとかお兄ちゃんが使わないところは私が家具とか決めていいって言っていたでしょ? その机も、私が買った物が来るまでの代用品だから、届いたら送り届ける」
「……着払いで?」
「もちろん。良く分かってるじゃない」
自慢げにご飯をよそってるところ悪いけど、その炊飯器と鍋も、全部家から持ってきた物でしょ……。
泥棒みたく家具を根こそぎ持ってきた挙句、返ってきたと思ったら送料を払えと言われる両親の顔が目に浮かぶ。
「僕が色々考えている間に選ばなかったの?」
「いや、選んだけど、値段の問題があったからさ。リビングに置く物以外は全部相談しようかなって。半分出してくれたらありがたい程度だけど」
「……ちなみに、全部でいくらくらい払ってほしいの?」
あえて『リビングに』の部分を強調したってことは、冷蔵庫なんかも僕が払う代金の中に含まれているんだろう。
当然今春香が持っている食器も家で見たことがある物なので、食器や調理器具諸々をそろえるとなると結構な値段になるはずだ。半分払ってほしいと思うのは当たり前か。
「ん~。今考えているものだと、大体30万くらいかな? 妥協したらもうちょっと安くなるけど」
「……それが安いのかどうか全く分からないんだけど、どうなの?」
「安い方なんじゃない? 私も詳しく知らないけど」
「僕が30万払うってことは、全部で60万くらい使うってこと?」
震える声でそう言うと、春香は当然という顔でこちらを見てきた。
そして、そのまま2人分のカレーをテーブルに置き、自分も椅子に座る。
「まぁとりあえずさ。食べてみてよ」
「……うん」
恐る恐る運ばれてきたカレーを口に運ぶ。
好物と言っても、ここ数年は口にしていなかったのでなんだか新鮮な気持ちだ。
しかも、妹が初めて作ってくれた手料理だ。もし味があれでも、精いっぱい美味しそうに食べてやる。そう覚悟して目を閉じる。
「……どう?」
「お、美味しいです……」
意外な事に、春香のカレーはかなり美味しかった。
僕が甘口しか食べられないと知っているのか、辛さ控えめのカレーの中にハチミツまで入っている。
久しぶりに食べたという感動と、普段は怖い春香にこんな才能があったのかと驚く。
「そう。なら良かった。じゃあ、食べながらで良いから聞いて? 明日、頼んでおいたものが色々届くはずだから、ちゃんと受け取ってくれる?」
「頼んでおいたものって?」
「冷蔵庫とか電子レンジとか、その他諸々。私は食材の買い出しに行って、家に送り返す家具の手続きとかしないといけないから、明日は家にいないの」
「……分かった。要は、明日はゲームせずに家具が来るのを待ってろって言いたい訳だね?」
「そういう事。私だけで動かせない物は運んできた業者さんに動かして貰うしかないから、指示出したところに運んでもらえるよう言っといてね」
人見知りでコミュ症の僕にはハードルが高い。そう思ったけれど、よくよく考えたら荷物を運ぶ業者ってことは、ロボットか何かが来るはずだ。
人間相手じゃ無いならなんとでもなる。
ロボットには表情が無いし、そもそも感情という物が無い。そんな人が相手なら、僕でも何とかなる。
「後、ペット飼って良いんだよね?」
「……やっぱり飼うの?」
「部屋が1つ余ってるでしょ? そこに色々揃えて飼いたいなって」
「一応、何を飼おうとしてるか教えてくれない?」
まさか本当に柴犬とか言い出さないだろうな……。
そう心配した僕の気持ちをあざ笑うように、満面の笑みで「柴犬!」と言ってきた春香は、流石だと言わざるを得ない。
いくら部屋が1つ余っていようが、あんなに大きな犬を広いとは言えないこの家で飼う訳にはいかない。
それに、吠えたりして近所の人から苦情を貰うのは勘弁なのだ。
「他ので。出来れば犬以外」
「なんで犬はダメなの!」
「……まず、吠える声がうるさいと苦情が来る可能性がある。最上階と言っても、何でも許される訳じゃないんだよ。次に、散歩に行く時はどうするの? エレベーターを使えるとは言え、毎日往復するのは面倒でしょ? 春香には学校があるんだし、僕は極力外に出たく無い。そんな家庭に来る犬の気持ちも考えてあげなきゃ」
出来るだけ反感を買わぬように優しく身ぶり手ぶりで説明する。
一言間違ったことを言えば、春香の目の前にある皿が僕の顔めがけて飛んでくる。
アツアツのカレーが顔にかかったら、目も当てられない。そう、自分に言い聞かせながら……。
「鳴く動物はダメってこと?」
「全部が全部ダメってわけじゃないよ。極端な話、猫とかなら問題ないでしょ? でも、出来る限り中だけで飼える子だと助かるよ。僕は外に出たくないし」
「そう……。なら、また考えとく」
見るからに落ち込んだ春香は、そのままちびちびとカレーを食べ始めた。
今はこんなにペットが欲しいとか言っている春香だけど、どうせ1年もすれば世話をしなくなる。
その時、適度な散歩が必要な犬を飼っていると僕が連れて行かないといけなくなる。
外に出たくない僕としても、出来れば室内だけで世話が完結するような動物が良いのだ。
でも、まさか本当に柴犬が欲しいとかいうとは思わなかった。
マンション内で柴犬なんて聞いたこと無いんだけど……。
どんな物語を読んだらそんな発想が出てくるのか……。
まぁ、最悪なのはトリッキーな動物を飼いたいとか言ってきた場合だったので良いとしよう。
猿とかが飼いたいと言われても、僕はどうしたらいいのか分からないからな……。
「ご馳走様。美味しかったよ」
「はい。じゃあ、片付けは私がやるから部屋戻って良いよ。明日、よろしく」
この家に来てから、まるで借りて来た猫のような春香に困惑しながらも、僕は大人しく部屋へと戻る。
今夜はこれ以上ゲームをする気にはなれないので、まだ19時前だけど寝る事にする。
それにしても……あのヒステリックな春香があんなに美味しいものを作れるなんてまだ信じられない。
実のところ、僕がゲームしている間にどこかから買って来たものではないのか。そんな疑いさえ湧いてくる。
人はみかけによらないって言うけど、春香は料理だけでなく家事全般を出来ると言っていた。
普段の態度だけを見ていると、家事なんてほぼできないだろと一蹴したくなるほど粗暴なのに……。
そんな失礼な事を考えながら、晴也はここ数日の疲れを一気に解消するための深い眠りについた。
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やる気が、出ます( *´ `*)




