第36話 ルール
引っ越した先のマンションは、元いた家から3駅程電車で行くとすぐに着く。
置き手紙の内容的に、親が学費すら払わなくなる可能性があるけれど、その場合はどうしても通いたい場合のみ自分で払うよう学校に交渉する事に決めた。
まぁ、流石にそこまで最低な親じゃない事を祈るけど……。
2人が入居した先は15階建てのマンションの最上階。
街を行く人が豆粒みたいに小さく見え、この辺りが一望できるようになっている。
もちろんベランダもついており、最上階に住んでいる人のみ、特典としてペットを飼うことが許可されている。
「それでさ、早速だけどルールを決めない?」
「······なにそれ。必要?」
「例えば、お互いの部屋に入る場合はノックをするとか、最低限のルールから生活に関わる事。例えば、家事の事ね。その他も色々あるでしょ?」
そう尋ねた晴也に、春香は当然のような顔をしてこう告げた。
「家事は全部私がするけど……? そのために洗濯機も掃除機も買ったし、食器洗いも出来るし食事も作れる。文句ある?」
「……はい?」
「だから、家事全般は私がするってば。私の下着とかお兄ちゃんに洗わせたくないし、そのためだけに別々に洗濯するのは電気代の無駄。豚小屋の住人のお兄ちゃんは掃除もできないでしょ? なら私がするしか無いじゃん」
「い、いやそうだけど……。でも、曜日制にするとか色々――」
「だから良いって。お兄ちゃんに任せると、絶対汚くなるから。全部私がやる。細かいルールはお互いの常識の範囲内でってことで良いんじゃないの?」
堂々と言い放つその姿に思わず委縮してしまうけれど、ここで流されたままだと絶対に後悔する。
ここは、自分の安全を守るためにも絶対にキチッと決めねばならない事だ。
「お互いの常識の範囲内だと、ズレがあるかもしれないからきちんと決めておこう。家事はそこまで言うなら春香に任せるから、この家で暮らすうえで、相手にこれだけは守ってほしいルールを決めよう」
「……なるほどね」
我ながらうまい事を言ったものだ。こう言っておけば、ヒステリックな春香でも従わざるを得ないだろう。
ゲーマーとは、相手から提示された条件を必ず守るポリシーみたいなものが存在する。
自分だってそれ相応の条件を出している場合に限るけれど、春香もゲームで稼いでいるのだから、恐らくこれに当てはまるだろう。
「じゃあ私から。2日に1回はお風呂に入る事。本当は毎日入ってほしいけど、どうせ無理でしょ?」
「······いや待って? ほとんど家にいる僕が、なんで風呂……?」
「臭いからに決まってるでしょ。外に出てないから汗かいてないって、それ本気で思ってるの?」
いや、本音を言えば思ってましたけども……。とてもそんなことが言える状況では無いので黙っておく。
なにせ目の前の妹は、自分の思い通りにならないと、すぐに物や人に当たる人間だ。
両親が家から消えた事で、その対象は必然的に僕だけとなる。
自分から地雷を踏み抜くような事は避けるべきだ。
「他にだけど、食事は栄養ドリンクだけで済ませないで。ちゃんと私が栄養を考えて作ってあげるから、それを必ず食べる事」
「……マジ?」
「マジ。それから~」
春香の料理なんて食べたこと無いので不安だけど、殴られるよりマシなので大人しく従う。
それから春香が提示した条件をまとめるとこんな感じになる。
・2日に1回の風呂。
・食事は必ず一緒に春香の料理を食べる事。
・定期テストの時だけでも良いから、きちんと学校には行く事。
・春香の部屋に入る時は必ずノックして、応答があってから入る事。
・1週間に1回は、部屋を掃除させること。
最後のは、僕の部屋が豚小屋化する事を避けるためだと言っていた。
なんか、妹がお婆ちゃんみたいな存在になってしまった気がする……。
「とりあえず、パッと思いつくのはこれくらい。文句は?」
「……ありません」
「そう。なら、お兄ちゃんの私に守ってほしいことは?」
僕を殴ったり蹴ったりしない事!と言えれば、どんなに人生が楽だったか。
とりあえず、それ以外の条件を提示する事にした。
「僕も、部屋に入る時はノックをして応答を待ってほしいかな。掃除の件は問題無いけど、部屋にいる時は基本ゲームをしているから、勝手に入られるのは嫌なんだ」
「分かった。他には?」
「僕の食事を作ってくれるのはありがたいけど、1ヶ月に1回は好物を出してくれると助かる」
「……考えとく」
「後、今後はブランド品を買い漁るような無駄な消費を抑えて欲しい。生活必需品なら多少は目を瞑るけど、必要ないものを買うのは控えて欲しいかな。どれだけお金に余裕があるのかは知らないけど、無駄遣いはしないでほしい」
春香に比べれば、僕の提示した条件は緩いかもしれないけれど、とりあえずこの3つは最低限守ってほしい。
春香が浪費しすぎて家賃が払えません。そんなことが起きれば、笑い話にもならない。
その他の事は、お互い高校生なので常識の範囲で問題無いだろう。
「分かった。じゃあ、これからよろしく」
「……よ、よろしく」
突然握手を求められ困惑するも、一応は手を握っておく。
その後、お互い何もないリビングにいるよりは自室に戻って荷解きをしたいのか、それぞれの部屋へと戻った。
ドアを閉めた僕は、とりあえず新品のベッドへと腰掛け、ホッと一息ついた。
(とりあえず全部は言えなかったけど、第一段階はクリアか……)
ルールに関しては、1番言いたかった事を言えなかったけれど、それ以外は万事オッケーだ。
食事を管理されるのも少々不満だし、春香の料理は食べたことが無いので不安だけど、あそこまで言っているのだしそこまで酷いものではないのだろう。
むしろ、お金の管理は自分がするとか言い出さなくて本当に良かった。
それからしばらくして気を落ち着かせた晴也は、最近いつもとは別の意味で賑わっているSNSを開いた。
そこには、ファンの人が自分を心配する声で溢れており、その中にはあのマイさんの姿もあった。
〖ご心配をおかけして申し訳ありません。大会後から2週間、引っ越し作業でバタバタしていてゲームをする余裕がありませんでした。ちゃんと生きております〗
そう発信すると、瞬く間に拡散され、うっすらと出かかっていたネクラ死亡説が綺麗サッパリ無くなった。
しばらくして隣の部屋から春香の喜ぶ声が聞こえてきたけれど、何をそんなに喜んでいるか分からないのでとりあえずスルーしておく。
〖大会の初戦の動画をアップする件ですが、引っ越しがありましたので少し遅くなるかもしれません。解説動画も同様です。待ってくださっている皆様には申し訳ありませんが、もうしばらくお待ちいただけると幸いです〗
とりあえず謝罪文も掲載し、こちらの誠意を受け取ってもらう。
解説動画に関しては、一応前もって録画しているのだが、編集技術というものをほとんど持っていないため、まだアップできていないのだ。
必要最低限の編集技術勉強するにも1週間はかかるだろうし、そんなにすぐアップできるとは思えない。
しかし、予想とは全く違う方向でネクラのファンたちは持ちあがりを見せていた。
それは、ネクラの引っ越し先がどこなのかという事だ。
もちろん住所を特定しようとする人などおらず、あくまでどこの県に住んでいるのかを気にしている人が多数なのだが……。
(こういうのって、答えても大丈夫なのか……? まぁ、都内に住んでいるって言っても特定はされないか……)
都内に住んでいる。その情報だけでここまで辿り着ける人がいるとすれば、その人は正真正銘の化け物なので、諦める事にした。
実際の僕を見ても、多分ネクラだとは思わないだろうし。
〖都内に住んでいますよ。歳不相応な場所に引っ越してしまったので、凄く緊張しています〗
ネクラのその発信内容を見て、ある1人の少女はその文面に違和感を持った。
もしかしたら、自分の憧れの人が住んでいる場所を特定出来る可能性が出て来たのだ。
もちろん突きとめたとしても公開はしない。だけど、ファン心理としては少し知りたい気持ちもある。
謎に包まれたネクラという存在を特定したい。
憧れの人に褒められた自分であれば出来るはず。そう考えていた。
もし自分の好みの人であれば……私は多分、声をかけてしまうだろう。
そこから色々と妄想を膨らませ、少女は早速調査を開始した。
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やる気が、出ます( *´ `*)




