第283話 軍師の謀略 警戒
ホテルから会場となる野球場までは徒歩で10分程度なのでかなり近い。
その道中でもネクラさんは自分が導き出した結論に納得できないのか、小声でああでもないこうでもないと言っているけれど、考え方を変えない限り確信に変わる事は無いので放置して大丈夫だ。
そんなこんなで会場へと到着すると、そこは明日のイベントに向けて関係者以外の立ち入りが禁止されており、イベントスタッフらしき人が大勢テキパキと働いていた。
私もこの手のバイトをした事があるけれど、今時機械を使わずに人力でするのは珍しい……と思ったけど、機械を購入するのにもそれなりの値段がかかるんだった。
今回の場合は膨大な数の機械に急ピッチで作業を進めてもらわなければならないけれど、バイト代等は全てネクラさんが負担する事になっているので、会場を抑えた人が気を遣ったのだろう。
ドーム内では流石に人力じゃ間に合わないだろうから機械を動員しているだろうけど、会場の外は人員を投入すればギリギリ間に合うという事だろうね。
当日大量のお客さんに対応できるために列を形成するための柵だったり、屋台の手配や警備の手配、見回りの順番決めだったりその他様々な事はしっかりした人が統括すればさほど問題にはならない。
そして、今回その役目を引き受けてくれたのが、誰あろうコロさんだった。
あの人都内のカフェで働いてるはずなのに、今回のイベントの為に長期休みを取ってわざわざこの事に集中しているらしい。
随分熱心な事だけど、その実下心満載なんだろうなとか思ってしまうのは、あの人の性格を知っているからだと思いたい。
今のところ大きな問題は出てきていないし、人件費もファンの子達に頼んだらしいので必要最小限で済んでいるというのは評価できる。
皆嫌々やってるんじゃなく、至福の労働みたいに満面の笑みを浮かべている所から見ても、士気は高いようだ。
「じゃあ、行きましょうか。ドーム内じゃなくて、外のテントで軽い打ち合わせと当日の確認だけの予定です」
「……なんでそんなに手際が良いんですか? 逆に怖いんですけど……」
そう言って引きつった笑みを浮かべるネクラさんの気持ちは理解できる。
このイベントの主役のはずなのに打ち合わせは必要最低限。
今日まで会場すら知らなかったし、当日何が行われるかすらも知らされていなかったのだ。どれだけこっちで話が進んでいるのかと、この人の内心では軽くパニックになっている事だろう。
しかし、今回こっちが狙ったのはそのパニックだ。
私個人的な意見としては、ここまでネクラさんを追い詰めて正常な判断能力を失い、バレンタインでチョコを貰えると微塵も思わせない事が重要だ。
ここでチョコという単語が出てくれば警戒しなければならないけれど、事前の打ち合わせでその手の物はネクラさんがここから離れてから設置されることになっている。
唯一心配しなければならないのはネクラさんに負担をかけすぎてしまう事だけど、ネクラさんはこうは言いつつも場への適応は異常に早い。
この後仮に自分が黒幕、もしくは共犯者と疑った人が出てきたとしても冷静に頭の中で処理しつつ、本能的にこの場を乗り切ろうとするはずだ。
なら、後はホテルに帰った後でケアをすれば良いだけであり、その時にさりげなくチョコを渡せば、ケアとの相乗効果でさらにこっちを意識させることが可能だろう。
その後の真の計画については、私の勇気が未だに定まっておらず、幽霊船のようにユラユラ揺れているので成功するかは分からない……とだけ言っておく。
「あ、どうもどうも~! ネクラさん、お久しぶりです~!」
警備員の人に身分を証明して中へと入れてもらい、しばらく野球場の外周を回っていると、仮設置されたテントの中でなにやら指示を飛ばしていた女の人がこちらに手を振りながら近づいて来た。
周りのバイトの子達もその声で初めて私達の存在に気付いたのか、ネクラさんの方を見ながら黄色い歓声を上げている。
ちょっとだけ……いや、かなり不愉快だけど、ここはグッと堪え、自分はあくまでもネクラさんのチームメイトとして、この場に来られない妹のライの変わりであると言い聞かせる。
本来私の位置にいるべきなのは妹であるライだけど、あの子は真面目に学校に行っているのでそこまでの余裕はないとSNSで発表している。
その件もあり、周囲の私に向けられる目は敵意に満ち溢れた物ではない。
「こ、コロさん……?」
「はい、コロです~。いやぁ、覚えててもらって嬉しい限りです!」
多分今ネクラさんの頭の中では、疑問符が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返している事だろう。
先程までこの件の黒幕だと思っていた人が急に目の前に現れ、自分の破棄したはずの推理を裏付けるような登場をしたのであれば当然だ。
しかし、一度自分の中でケチをつけた推理は、その人自身の頭が良ければ良いほど、簡単に復活させることはできない。
もしやと思いつつも、他の誰でもない自分が違うと結論付けたのだから、その決定は簡単に覆せないのだ。
「今回はマイさんに誘われまして、やってみないかという事でバイトリーダーの地位を授かりまして~」
「……僕はまだ何も聞いてませんよ?」
「なんでここにいるんだって顔されてたので!」
「……」
コロさんはこういう、変なところでネクラさんを揺さぶる作戦に出たようだ。
私は、この人のバッグに入っているだろうカカオ豆から作られた個体の包みを想像しつつ、さっさと打ち合わせに入ろうと口にした。
ここで間違っても渡させるわけにはいかないし、コロさんとしてもここで渡す予定では無いだろうから、私の言葉に従って当日の流れを説明し始める。
「ネクラさんとハイネスちゃんには当日の8時頃に来てもらって、現場の最終確認に立ち会ってもらいつつ、ステージの軽いリハだけ行います。あ、立ち位置とかそんな軽い物なので、身構えないで良いですよ?」
「……あの、そのステージとやらで僕が何をさせられるか聞いてないんですけど、何する気なのか聞いても良いですか? 心の準備が……」
「あれ? 聞いてないんですか?」
白々しくそう言ったコロさんはおかしそうにコロコロと笑うと、まるで何でもない事のようにポンっと爆弾を投げた。
「軽い挨拶と、トークイベントのような物をしてもらおうかなって。あ、でもそんなに重々しい奴とかじゃなく、普段の配信みたいなノリで大丈夫ですよっ! そっちの方が喜ぶ子多いので!」
「……? あんなたどたどしいトークで喜ぶ人がいるとは思えないんですけど……」
ほら、やっぱりネクラさんは自分の魅力を欠片も分かっていない。
変に喋り慣れてる人だったり、女の子慣れしている人に自分から近寄りたいと思う女の子は意外と少ない。
自分じゃなくても良いじゃん……とか、浮気の心配が常に付きまとうから、推しにすることはあってもガチ恋にまでなる人は少ないだろう。
その点、ネクラさんはそういった事にまるで耐性が無い。
仮に浮気をしたくともそんな勇気は無いだろうし、言い寄られてもきちっと断れる強い精神力と誠実さを持ち合わせている事なんて、今までの態度から見て見ても明らかだ。
このイベントに来てくれるお客さん達は、当日スタッフも含めてコアなネクラさんファンと、転売目的の人くらいだろう。
「ネクラさん、その不安はとりあえず心配しないで大丈夫です。むしろ変に気負わず普段通りの姿でいてくれた方が助かります。ですよね、コロさん」
私が微笑んでそう言うと、コロさんはもちろんと大きく頷いた。
ネクラさんはまるで分ってないみたいだけどそれはそれで可愛いのでこの場では流す。
それよりも、私ですら知らない唯一の懸念事項についてここで問いただしていた方が良いだろう。
「転売対策は、どんな方法を取るつもりですか?」
せっかくネクラさんが自分から言い出してファンの人達に喜んでもらうために開いたイベントなのに、転売目的という不純極まりない理由で参加する人にグッズを買い占められるといった事は避けたい。
そんなことをすればファンの人から袋叩きに合うだろうけど、それを気にしない人もいるだろうしね。
私としては、公式グッズは出来るだけ本当にネクラさんの事が好きな人の手に渡ってほしいし、ネクラさんの意向通り、あまり財布を傷めずに購入してほしい。
日頃から貢ぎ足りないと言ってるファンの子達にはそれは酷な事だろうけど、他ならぬネクラさんからの願いなので聞き入れて貰うしかない。
「あ~、それね! 色々考えたけど、購入制限と販売ブースへの立ち入りの時に、ファンなら分かって当然の問題を出すって事で妥協した。それを抜ける人は、もうしょうがない」
「妥当……ですね」
逆に、それ以上の対策は取れないだろう。
あまりガチガチに転売対策を進めると、なぜか手のひらを返した転売ヤーによってネクラさんへ批判の声が行ってしまう恐れがあるし、純粋な好意で来てくれているファンの人に申し訳ない。
ファンなら分かって当然の問題というのも、恐らくはそれなりの難易度になる事だろうしね。
「試しに出してみてください。ネクラさんも気になってるでしょうし」
「……え? あ、あぁ……まぁ……」
ネクラさんはどうやらそれどころではないらしいけど、今は放っておいて大丈夫だろう。
それよりも、その出される問題に興味がある。
「良いですよー? 『ネクラさんがネットの世界に初めて姿を現した時のSNSの投稿は?』」
なるほど。この上なく良い問題だろう。
これは、ファンの人と転売目的の浅い人達ではかなり解釈にズレがある問題であり、その手の人を炙りだすにはもってこいだ。
転売目的の人ならこの問題にノータイムで『ランクマッチの勝率画面』と答えるだろう。
しかし、ネクラさんが初めてネットの世界に投稿した物は、意外にもゲームの事でもなんでもなく『クレーンゲーム極めてみようかな……』という物だったのだ。
現時点では削除され、当初あげられていた自分だけが分かるようなゲームのメモすらも消去されているので、本当のファン以外は知る由もない。
仮に会場にいる人に聞こうにも、転売対策だと言うことは明記されているので、その手も使えない。
ネットで検索しようにも、この問題は浅い人が纏めているようなサイトには載っていない問題で、しっかりネクラさんの事が好きじゃないと分からない問題だ。心配はいらないだろう。
「僕でも知らないようなことを……。それ、答えられないファンの方もいるんじゃ……」
「いませんよ。ね?」
「ハイネスちゃんの言う通りです。これくらい、常識です」
「あ、はい……」
申し訳なさそうに肩を落として顔を俯かせたネクラさんがとてつもなく可愛かったのは、もはや言うまでもない。




