第1話 プリン騒動
ベッドから立ち上がった少年は、そのまま部屋を出て階段へと足を進める。
フローリングの冷たい床を裸足でぺたぺたと音を立てながら歩き、眠そうに大きなあくびをする。
現在の時刻は午前6時30分だ。
ゲームをひとしきりプレイした彼は、疲れた脳を休ませるため、冷蔵庫から大好物のプリンを拝借しようと考えているのだ。
学校には行っていないので着ている服も1週間前から変わっておらず、部屋から出たのはこの1週間で2度目だ。
風呂なんて入っていないし、用を足す為に部屋を出た回数を加えても2桁に届かないという引きこもりだ。
日常生活は基本的に自室で完結させているため、たまにしか部屋の外にでないのだ。
まぁ部屋を出ずにゲームをして寝るなんて生活は今に始まったことじゃない。
不健康なことに変わりは無いのだが、彼は問題なくゲームが出来ればそれで良く、今のところゲームに支障は出てないので問題があるとは思っていないのだ。
「これしか無いのか......」
分かりやすく落ち込んで肩を落とした彼は、もう一度冷蔵庫の中を確認して見間違いではないことを確認する。
彼の失望は、完備してほしいと言っているプリンが1つしかないことから来ている。
普通であれば1つあれば充分かと思うかもしれない。
確かに、彼もプリンを2つも3つも食べようと思っていた訳では無い。数的には1つで充分足りているのだ。
だが、そのプリンの上部には綺麗な字で「春香」と書かれていたのだ。
つまり、このプリンは彼の妹の物であり、自分の分が無いのだ。
まぁ、大好物のプリンだ。妹の分であろうと平気で食べるのがこの男だ。
後から部屋に怒鳴りこんでこようものなら、大人しくプリン代を渡せばいいとでも考えているのだろう。
実際、学校に行っておらず彼がゲームばかりしているのを両親が黙認しているのは、彼がそれ相応の金を稼いでいるからに他ならない。
月に平均で300万前後を稼いでいる子供をどうにかする術など、この男の両親は持ち合わせていないのだ。
それも、自分達が散々バカにしてきたゲームで稼いでいると言われたら、もう何も言えなくなるのも当然だった。
光熱費や食費はきちんと入れているので、嫌々黙認していると言った方が正しいのだが……。
そこのところ、この男は抜け目がなかった。
自由にしたいがために両親が反対、文句を言ってくるであろう部分を全て手を打っており、挙句の果てには褒められるべき事までやっているのだ。
こうしていれば自分の楽しみを奪われることは無く、一生暮らしていけると考えているのだ。
実際、今いきなり家を出て行けと言われても、彼は世を生きていける知恵と金がある。
さらに言えば、彼自身のネット上での知名度を使えば、ある程度助けを借りることは可能だろう。
むしろ、ゲーム関係で言えば助けを求められることの方が多いのだが、今は関係無いので割愛する。
罪悪感を微塵も感じることなく冷蔵庫の中からプリンを取りだした彼は、食器棚からスプーンを拝借し、そのまま部屋へと戻る。
この男にとって、この家の中で心が落ち着く場所は自分の部屋だけであり、自分の部屋以外の場所で食事をすることなどあり得ないのだ。
そもそも近年は、栄養ドリンクだけを飲んでいたとしても体調が悪くなるわけでないし、本業のゲームにも影響がでない。
せいぜい、たまに糖分を補給すれば問題無いレベルであり、その補給の時にだけ、彼は自分の部屋から出るのだ。
部屋に戻り鍵をかけ、ベッドの上に腰かけると、そのままプリンを食べ始める。
疲れた脳に求めていた糖分が加わり、長時間の疲れを瞬時に癒していく。
彼が生業にしているESCAPEというゲーム、神ゲーで飽きる事は無いのだが、その分頭を使うことが多すぎるのだ。
まぁそれが面白い点なのだが、6時間もぶっ続けでVR世界に入り浸っていると、どうしても感覚がおかしくなる。
VR世界では現実世界よりも体が軽くなり、普段運動をしない彼のような人間でも素早く走ることが出来る。
そんな感覚を長時間味わっていれば、現実世界に戻った時、VR世界との違いで少しだけ足元がふらつくのだ。
そのため、彼は1日8時間以上VR世界に行かないと自分で決めている。
それが、彼の感覚がマヒする条件下だからだ。
プリンを1分もしないうちに平らげた彼は、そのままスプーンを床に放り、カラメル部分が少しだけ残った容器をポイッとゴミ箱に投げ捨てる。
彼の部屋には、こうして溜まった食器やプリンの容器がいたるところに転がっている。
これだけ散らかっていても虫が湧かないのは、一部の天才たちが生み出した技術によるものだ。
豚小屋のような自室にすっかり慣れてしまった彼は、悲惨な自室の状態など気にする様子もなく、ベッドに仰向けで寝転がる。そして、いつものようにSNSの巡回を始めた。
彼が目を通すのは、決まってESCAPEの大会情報やゲーム内での自分の目撃情報、最近の話題などだ。
ゲーム内での自分の目撃情報を探すのは、いわゆるエゴサーチと似たような感覚であり、自分が周囲からどう思われているのかを知るための行動である。
案の定「ヤバい」だの「動きがキモい」だの散々な言われように少しげんなりするが、稀に「神」や「天才」と言ってくれる人のおかげで、彼の精神状態は良好なものへと戻っていく。
そんな情報を目にして口角を上げていた彼を現実へと引き戻す叫び声が家中に広がった。
彼が住んでいるのは2階建ての一軒家だ。両親も当然健在であり、そこに妹を入れての4人暮らしだ。
しかし、朝の7時前にこんなうるさい声を発するのは、彼の知る限り1人だった。
ドタドタと階段を駆け上がる音が響き、自室の前でその音が止まったことにより、彼の予想が間違いでなかった事を告げる。
両親がここまでヒステリックならば、彼がいくら策を行使しようが、ここまで上手く事が運んでいるはずがないのだから。
「お兄ちゃん!? また私のプリン勝手に食べたでしょ!」
自らの妹が怒りに震えているというのに、彼は気にせず――というか、うるさそうに耳を塞ぎながらめぼしい大会が無いかを調べている。
こんな光景は1ヶ月に1度は起こる。そのため、一々相手にしていては面倒だと学んだのだ。
文句を言おうものなら、後で部屋の前に代金を置いておけばいい。今まではそれで解決していたのだから、今回もそれで終わるだろうと......。
しかし、今回に関してはその予想が外れてしまったのだ。
彼は気付いていなかったが、先ほど食べたプリンは数量限定の超レア物であり、目の前で激怒している少女が1ヶ月以上店に通い、ようやく手に入れたものだったのだ。
代金を払ってくれるならと今まで許していた少女だったが、今回ばかりはそうはいかない。
自分の努力の結晶を人に奪われ、その相手が反省も何もしていないのだ。今までの抑えていた怒りが爆発するのも当然であった。
「お兄ちゃん!? 起きてるんでしょ!? 早く開けて!」
「……」
「開けないなら壊すよ!?」
「……ふん。やれるものならやって――」
彼が言い終わる前に、自室の扉がもの凄い勢いで後ろへと飛んでいく。
そのまま窓に直撃し、微かにひびが入るが、彼が気にしているのはそのことではなく、たった今この扉を蹴破った少女だ。
「ちょ!? なにやってんの!?」
「自分がやれって言ったんでしょ!? てか、何この部屋! きったな!」
「春香には関係無いでしょ!?」
扉が無くなり、部屋の前でカンカンに怒っている少女の姿が露わになる。
通っている高校の制服を着て、校則ギリギリの短いスカート、腰まである茶色の髪は寝癖がついている。
彼女の名前は源春香。彼――晴也の1つ下の妹である。
しかし、温厚な性格の晴也とは正反対の性格をしており、短絡的で怒りっぽい。
そのため、両親を簡単に攻略した晴也でさえ、扱い方が分からず困惑しているほどの問題児だ。
「私のプリン食べたでしょ!?」
「……食べたから何? 食べた物を返せとでも?」
「そうよ! 返しなさいよ!」
「お金は返せる」
「そういう問題じゃないの!」
とても朝だとは思えないほど激情している自らの妹を見て、これではどうにも収まらないと判断した晴也は、妹からそのプリンがどういう物だったかを聞きだす。
彼にとっては数多あるプリンの中の1つであり、それがどんな物かなど興味も無かった。その為、ろくに味さえ覚えていなかった。ただ、糖分が欲しいということだけで摂取した物だったからだ。
しかし、自室の扉を吹っ飛ばして破壊した妹だ。
これ以上下手な対応をすると、病院送りにされかねない。怪我をすること自体は構わないのだが、入院することでしばらくゲームが出来ないのは勘弁願いたいのだ。
「じゃあ、そのプリンを僕が手に入れさえすれば、今回の件はチャラで良い?」
「それだけで済む訳ないでしょ!? 今後、私のプリンには手を出さないって誓って!」
「はいはい。誓う誓う」
「本当に次は無いからね!? それで? どうやって手に入れるつもり!?」
晴也がこの件の解決のために利用するもの。それは、自身の知名度だ。
曲がりなりにもESCAPEでは名の知れたプレイヤーである彼は、SNSのフォロワーもそこら辺の有名人より遥かに多い。
つまり、その人達に協力を要請すれば、この事態は即座に解決するのだ。
もちろん家族には自分の正体なんか話して無いので、気付かれる訳にはいかないのだが……。
「はぁ……。じゃあ、とりあえず2日貰って良い? その間になんとかするから」
「ふん! それでダメだったら、私が欲しい物リストに入れているやつ全部買ってよね!」
「今からそのリストを増やしまくるとかいうせこい手を使わないのであれば、それも検討して良いけどね……」
晴也がそう言うと、とりあえずは納得したのか、春香はその場を去って行った。
残された少年は、あまりに酷い自室のありさまを見て思わずため息をついたのだった。
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