第266話 仲直り
ハイネスさんの策略にまんまと乗せられてしまった事はともかくとして、今は手毬さんのご機嫌を取る事から始めなければならない。
こんな時、またたびでも買っていれば良かったと思わなくも無いんだけど、そんなもの使わずとも手毬が良い子に僕に懐いてくれたので、この家には彼女のおやつ程度しか釣れるものは無い。
それに、SNSで情報を集めた限りだと、本当に喧嘩した場合はそんな“物で釣る”ことはあまり推奨されないらしい。
というか、そもそも物で釣ってもあんまり寄ってきてくれないので、そんな時は時間を開けるか真摯に謝るしかないとの事。
「どうしましょうねぇ……?」
「どうしましょうね」
ハイネスさんはまるで見世物でも見ているかのようにニコニコ微笑みながら僕の隣に腰掛け、僕の顔を伺っている。
多分当人は「サッサと寝てほしいなぁ」とか思ってるんだろうけど、僕にとって手毬がどれだけ大きい存在なのかが分かっているからそう言わないだけだろう。
それに、僕らは今週末……いや、来週の日曜には福岡でイベントをしなければならないので、その為の用意もしなければならない。
当日持っていく物だったり、洋服を決めるだのなんだの、色々しなければならないのだ。
「あれ、そう言えばホテルってどうなってるんですか? ハイネスさんが飛行機と一緒に取ってくれるって言ってたので今まで確認してませんでしたけど」
「同室なのかって事ですか?」
「はい、そうです……けど......」
むしろそれ以外ないだろう。
一般的なカップルが、旅行なんかに行ってホテルを取る時別室にするのか。そう言われるとそんなわけないだろという答えが返ってくるはずだ。なにせ、カップルなんだもん。
部屋を分ける事は二人の時間を減らす事になるし、なによりお金の無駄だ。
しかしながら、僕らにとってはそこら辺も大きな問題として付きまとう。
仮に同じ部屋に泊る事がファンの人にバレでもしたら面倒な事になるし、僕なんかは同室に人が居たら普通に眠れる自信が無い。
そもそも寝るのかという問題はあるだろうけど、それとこれとは話が違う。
お金の面に関しては僕もハイネスさんもお金には困っていないので問題ないとして、ハイネスさん個人としては同室が良いと思っているのではないだろうか。
かくいう僕も、どっちかと言えば同室で構わない……というか、同室であってほしいなと望む節があるんだけど、別に別室だろうがあんまり関係ない気がしているのも確かだ。
「どっちだと思いますか? ちなみに、ホテルは会場近くの結構いいホテルを手配してます」
「……別室ですね」
その答えにハイネスさんは否定も肯定もせず、にこやかに微笑んだ。僕には分かるよ、正解だって言いたいんだよね。
会場近くのホテルと言ったのがその証拠だ。
僕のファンの人達がどのくらいイベントに来てくれるかは分からないけど、会場に近いホテルなら十中八九僕のファンの人だって利用するだろう。
僕らがそこを利用するのは会場へ移動する手間があまりかからないので、当日ギリギリまでゆっくりできるという事にある。
でも、それ相応のリスクも当然あるのだ。
「ホテル内でファンの人に遭遇する可能性が高い以上、同室なんかにはできません。別室にしておいて部屋に入ってくる事くらいは当日スタッフだったりチームメイトだったりの言い訳が出来ますけど、そうだとしても同室に泊るとなると憶測が出回る可能性がある」
「付け加えるなら、別室でも行き来するだけなら自由なので、同室に泊って目撃されるリスクを取るよりは安全だと判断しました。まだ、私達の仲を周囲に漏らすわけにはいきませんからね」
「ですよね」
なんとなくそんな気がしたので別に不思議ではない。
唯一、会場から遠い場所のホテルを取れば一緒の部屋にすることも出来たんだろうと推測するけれど、それだと僕に迷惑が掛かってしまう可能性を危惧したのだろう。
会場から遠いという事は、それだけ移動距離も多くなる。引きこもりの僕には、それさえキツイと危惧したのだろう。
「会場近くのホテルってわずかな情報からそこまで読み取りますか……。流石に、そこまで見抜かれるとは思ってなかったんですけどね……」
「僕が選んだならともかく、ハイネスさんが自分の欲を優先して僕を気遣わないなんて選択肢はしないだろうなって思ったんです。そうであれば、事前に確認してくれるんじゃないかと」
「あはは。完敗ですねぇ」
別に会場から遠いホテルを取って無理にでも同室にしてもらっても全然かまわなかったのだが、そういう細かな気遣いはハイネスさんらしいと思わざるを得ない。
これはある種の信頼と言ってもよく、ハイネスさんは「自分が任されたんだから自分の欲よりネクラさんの利益を……」という心持ちで動いた事だろう。
なら、今回僕が考えるべきは誰よりも僕の事を理解してくれているであろうハイネスさんが、僕の為にと考えてどう行動するのかだけで良い。
さっき言った通り、無理やりに会場から遠いホテルを取ろうとする手段は僕になんの確認も取らずにする事ではない。少なくとも、ハイネスという少女はそれを絶対に認めない。
僕に確認は取らずとも、さっきの隣の部屋云々の時みたいにチラッと探りは入れてくるはずだ。今回はそれらしい物が無かったので、そう判断したに過ぎない。
「手毬ちゃんとの仲直りは良いんですか? 私の事を分かってくれてるのはもう十分すぎるくらい分かったので、そっちを優先してください」
「……そうは言ってもですねぇ」
ホテルの話をしながら猫部屋の前まで移動し、さっきから扉を少しだけ開きながら中で退屈そうにキャットタワーの上で寝ころんでいる子猫を見つめつつ、僕はどうすれば良いのか考える。
手毬さん~と小声で呼んでみても露骨にプイっとそっぽを向かれるので、その度に僕の少ない精神ポイントみたいなものがゴリゴリっと削られる思いを味わっている所だ。
その度にハイネスさんが苦笑しながら「そうですねぇ」とか口にするところを見てると、この人にも明確な解決案のアテは無いんだろう。
巷じゃ化け物だの神だの色々言われているけれど、僕なんて家の子猫一匹にすら叶わない無力な学生でしかないんですよ。
「一旦出ましょうか」
「ですね」
こんなところでこうしていても仕方ないので一旦猫部屋の扉を閉めてリビングへと戻ってくる。
窓の外の夕焼けに燃える街並みを見ながら、一度大きくはぁとため息を吐く。
これじゃ、本当に仲直りできるのはイベント後になるかもなぁ……。その時、手毬の記憶から僕という存在が完全に抹消されていれば、僕はこれから生きていけないかもしれない。
そんなことを思いつつガックリと肩を落とすと、そのタイミングをどこかで見ていたかのようにポケットに入れていた携帯がブルブルと震えだす。
憂鬱だけど、チームメイトからの緊急の電話かもしれないし一応画面を確認する。
「知らない番号か……」
こういう時、電話に出る人と出ない人でかなり意見が別れるだろう。
特に僕みたいな、ネットの世界で多少なりとも名前が広まっている人は、どこかから自分の携帯番号が流出したのかと疑わないといけない。
なので、こういう時は相手の電話番号をネットで検索して、どこかしらの企業や個人名が出てきた場合のみ出る事にしている。
いや、そんなところから電話が来たことは無いし、知らない番号から電話がかかって来たのもこれが人生で4度目くらいだけどさ。
「ネクラさん、この番号……」
どうやらハイネスさんも僕と同じタイプの人らしく、僕が検索をかける前にネットで番号を検索してくれていたらしい。
その検索結果が表示されているハイネスさんの携帯画面を見た僕は思わず目を疑い、次いですぐにスピーカーにして電話に出る。
「も、もしもし……?」
「もしもし。突然のお電話失礼いたします。こちら、ネクラ様の携帯電話でお間違いないでしょうか」
「そ、そうですが……」
なんで僕がこんなに挙動不審なのか。その答えは――
「こんな形でのお電話は無礼だと承知の上で、まずはお詫び申し上げます。ESCAPE日本支部の公式運営チームです」
そう、僕の携帯に電話をかけて来たのはESCAPEの公式運営会社。その問い合わせホームとして電話番号登録されているはずの番号だったのだ。
ねぇ、一個言って良い? なんで君ら、僕の携帯番号なんて個人情報持ってんの?




