第182話 代償
おまるさんが狂気的にノートパソコンに何事かを打ち始めて2時間ほどが経過した頃、大きなため息をついて「終わったー」と呟くと、いつもご飯を食べるテーブルの方で手毬を撫でながら勉強をしていた僕の肩をトントンと叩いて来た。
この頃になると春香も起きてきており、昨日どこか元気のなかった態度がまるで気のせいであるかのように僕に宿題を手伝わせていた。
いつもなら僕に宿題のほとんどを任せて自分はドラマを見ている春香だけど、流石に来客のある前ではそんな事出来るはずもなく、僕に所々聞きながら真面目にやっていた。
「とりあえず今日執筆する分は早速終わらせました~! 凄くないですか!? 3万文字サッと書いたんですよ!」
「お疲れさまでした。ていうか、この短時間で3万ですか……?」
「はい! 褒めてください!」
小説を書いた事が無いので何とも言えないけれど、感覚的には2時間パソコンに向かって僕が打てる文字数と言えば……データをまとめている時だと1万文字行くかどうかだ。
僕の場合はそれに加えてグラフや表や、まとめている情報の精査を同時並行でやりながらになるのでもっと早く出来るかもしれないけど、小説は小説でストーリーを考えないといけないので、2時間で3万文字が異常なのは流石に分かる。
「こういう時なんて言うのが正解なんですか……?」
「おまるさん、お兄ちゃんにそういうの求めるのはたぶん間違ってますよ? この人、ほんとにそういう経験無いからかけてほしい言葉とか、言われないと分からないと思うので」
「いえ! 普通に、よく頑張ったね!って言ってもらえるだけで十分です! それだけでモチベに繋がるので!」
満面の笑みでそう言われても……そんな、どこか上から目線のセリフなんて僕は言えない。
というよりも、この場合適切なのは――
「新作、誰よりも楽しみにしてるので頑張ってください」
だと思うのだけど……。と思いつつそう言ってみると、それはどうやら正解だったらしい。
プルプルと震えながらうわ言のように何かを呟いたおまるさんは、ちょっと買い物に行ってくると家を出て行った。
「……なんか、失敗した?」
「さぁ……。ていうか、なんか言ってなかった? リアリティーがどうの……みたいな」
「……やめて、僕の中のおまるさんの像が音を立てて崩れてくから」
あの人、どうもテンションが上がった時になんちゃらの奇妙な冒険のセリフをそのまま口にする癖というか……そういう所がある気がするのだ。
そんなの、僕が知っているおまるさんじゃないというか、紅葉狩りの時に見たおまるさんはお姉さんで、今来てる人は実は双子の妹さんじゃないかって説まで僕は考えてるのだ。
ちなみに、僕が聞きとれた部分も春香と同じでリアリティーが云々って部分だけだったけど……僕も、あの作品は結構好きなのでその部分だけで誰のセリフなのか分かる。
それと、なんてことを言おうとしていたのかも……大体分かるのがまたやるせない。
「ある漫画家のキャラが言ってたんだよ……。『リアリティ』こそが作品に生命を吹き込むエネルギーであり『リアリティ』こそがエンターテインメントなのさ……みたいな事」
「……なんでお兄ちゃんもそのセリフ丸暗記してるの?」
「一番好きなキャラだから……。ていうか、あの漫画面白いんだよ? 春香も知ってるでしょ?」
「……ノーコメント」
こう言ってるけど、春香もその作品を好きなのは知っている。
実際、テレビで過去のシリーズを見返している場面を何度か見たことがある。前の家でだけど……。
そして数十分後、手ぶらで帰って来たおまるさんは「早速次のアイデアが~」みたいな事を言い出した。
窓の外から街の景色を珍しそうに眺めつつ、僕とどういう作品が好みなのかを淡々と、それでいて少しだけ楽しそうに語るおまるさんはいつもチームの会議に参加して、時々鋭い指摘を入れてくれるいつものおまるさんに見える……。
「そうですよね! ミステリーって言っても、謎解き要素なんてちょっとだけで良いんですよ! ギャグに振ってる作品も結構面白いですけど、それにちょっとの謎が加わってる作品とかすっごく面白くないですか? めっちゃ昔にドラマ化したミステリなんて、もう傑作ですよ!」
「あ~……僕も原作ですけど読みました。あれで謎解きに興味持ったところありますし」
「そうなんですか!? ネクラさんとルーツが同じで嬉しいです! 私はそれでミステリーそれ自体に興味持って、モリアーティーっていう漫画でダークな世界観に魅了されて!」
「あれも面白かったですね。特に、探偵じゃなく犯罪者側の視点で描かれている所がまた特徴的で」
みたいな、普段の雑談と変わらないような内容だけど、取材だと言われればまぁ分かる気もする……みたいな内容だ。
おまるさんがどんな作品が好きで、どんな作品に強く影響を受けていて、どんな風な作品を書こうとしているのか。それが、少しづつではあるけれど分かって来た。
春香は興味なさそうに僕の膝の上でスヤスヤ寝息を立てている手毬を横目で見ながら宿題をしているけれど、日本史に関しては苦手なのかまったく進んでいないらしい。
「お兄ちゃん、ちょっとこれ教えて」
「ん? あぁ……鎌倉幕府が成立した年ね。これは……語呂合わせで覚えておくと簡単になるよ。1185年……いいはこ作ろう鎌倉幕府って聞いたことない?」
「あるような……ないような?」
そう言うと、微笑ましそうに春香を見ていたおまるさんが「え!?」と驚愕の声を漏らした。
「ちょ、ちょっと待ってください! 鎌倉幕府って、1192年成立とかじゃなかったでした!? 語呂合わせで覚えるって言うのは同じなんですけど、私の時代はいいくに作ろう鎌倉幕府って教えられましたよ!?」
「確かに、昔は1192年で正解だったみたいです。だけど、数年前か十何年か前には、1185年には成立していたんじゃないかって説が出てきたんです。今では、そっちの方が定説になっていて、そちらが正解になってるんです」
「えぇ……。時代感じます……」
「あはは……。まぁそこら辺は複雑ですからね……。僕もほとんど暗記してるので、通り一遍というか、ネット上に書いてあるデータに基づく事しか言えないんですけどね」
「え、教科書は?」
「見たことないけど」
「……は?」
春香は、ぽかーんという効果音がふさわしいのではないかというほど感情が抜け落ちた表情を浮かべると、数秒後に我を取り戻したのか「ちょっと待って?」と口にした。
「教科書、見てないの?」
「日本史と世界史の教科書なんて見たことないよ? ネットで調べた方が確実な事書いてあるし、分かりやすくまとめられてるもん」
「......いや、テストの出題範囲って大体教科書何ページから何ページまでって言われてるじゃん。それどうしてるの?」
「日本史とか世界史って、大体出題される問題同じなんだよ。それに、探せば去年どんな問題がでたかくらいはすぐに分かるから、そこから出題範囲は予想できるし、ここら辺の問題が良く出てるなって情報が欲しければさらに前の年のデータを拾ってくれば――」
「もういい……」
はぁとため息を吐いた春香は、パタンと教科書を閉じると僕の膝から手毬を誘拐してソファの方へ移動した。
そしてテレビをつけると寝ていた手毬の頭に額をこすりつけてうーと唸る。
「……妹さん、大丈夫ですか?」
「さ、さぁ……」
「......ところでネクラさん、今の話本当ですか?」
「今の話……? まぁ、嘘は言ってないですよ? でたらめにヤマ張るよりも過去のデータ分析した方が確実じゃないですか。それに、教科書ってわかりやすく纏めてる気になってるだけの、ノート取るのがうまいだけの人って感じがして苦手なんです。実際、補足とか書いてない事がほとんどですし」
例えば、文面やグラフだけで説明されても分からないところがある場合、そこに補足として分かりやすい例が書いてあるなり、一言メモみたいなものがあるだけでだいぶ変わる。
教科書にはそういうのではなく、実践的な例題とか問題があるだけでそういう類の物は数える程度しかないのだ。
「僕がデータをまとめる時は、見返した時にナニコレ?ってならないよう、全てに補足入れますし、しつこいくらい説明文入れます。そっちの方が分かりやすいので。でも、教科書はサッサと説明して問題いこうとするじゃないですか。見ただけじゃ分からない人の気持ち分かってないですよ、あれ作った人」
「見ただけじゃ分からないから、それ補足する先生がいるんじゃないですか?」
「まぁそれはそうなんですけど、教科書音読するだけでちょくちょく補足入れていくだけなら、最初からネットで調べた方が効率よくないですか? 分かりやすい例題もあるし、補足もある。ついでに言うなら、教室と違って音楽を聴きながら勉強ができるじゃないですか」
「それで結果出してるから何とも言えないんですよねぇ……。大人としては、なんか違うって気がしてならないんですけど……」
複雑そうにははは~と笑ったおまるさんと、手毬が苦しそうに「にゃぁ……」と鳴いたのはほぼ同時だった。
春香、そんな事してるから手毬に嫌われるんじゃないかな……。
猫を吸うって言葉があるように、猫に甘えるのは良いと思うけど、その代償として本人に嫌われるんじゃ本末転倒だと思うけど……。
手毬は一応女の子だし、そもそも撫でられる時以外であんまりベタベタ触られるのは嫌いって事、知らないのかな……。
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やる気が、出ます( *´ `*)




