第98話 晴也の死闘 その1
朝8時、僕は春香が部屋をノックする音で目を覚ました。
昨日何時に寝たのかは覚えていないけれど、新しいアバターをネットにアップした後すぐに寝たはずなので、大体10時間くらいは眠れている計算だ。
数日ぶりのまともな睡眠だったので十分な時間だったかと言われると迷うところだが、多分大丈夫なのでのっそりと起き上がる。
「どうしたの……」
「今日家に舞ちゃんが来るから、早めにお風呂に入って。誰かさんのグッズが出来たから、サイン入りグッズの件で話があるって」
「……分かった」
スマホをチラッと見た時、なんか通知が凄い事になっていたようだけど見なかった事にして、言われた通りお風呂に入る。
その後、春香が選んだ人前に出ても恥ずかしくない格好に着替えて舞さんが来るのを待つ。
9時頃にインターフォンが鳴り、そのまま舞さんが家に入ってくる。
どうして急に今日来訪したのかは知らないけれど、ハイネスさんが来るなら先程一緒に伝えてきているはずなので、今日は舞さんだけという事だろう。
この人はテンションが高いのでちょっと苦手だけど、最近少しは女の子に慣れてきた……と思うので、なんとか頑張る。
「それで、昨日ファンクラブの皆からグッズの生産が一区切りついたと連絡を受けました。なので、本格的に販売の時期とその方法について話しておきたいなと!」
「……舞さんが運営してるっていうファンクラブ内で売ってもらっても良いんですけど、それじゃ色々と問題があるんでしたっけ?」
「はい。そうすると、私のファンクラブに入ってる子達しか買う事が出来ないので、かなりバッシングされると思います。なので、ホームページを作ってそこで販売するか、コミケのようなイベント会場で販売するしかないと思います」
コミケには参加したことが無いけれど、かなり大規模なイベントだと聞いたことがある。
なので、そこで売るのも確かにありだろう。
ただ、僕は人前に出たくないし、そもそもわざわざ出向いて貰うのだと地方の人が買えなくなる可能性がある。
それは、ちょっと申し訳ない。
「ただでさえ人気が出るとハイネスさんが言っていたので、ネットでの販売が良いと思います。ホームページの方は僕が作るので、そこで販売しましょう。価格は舞さん達に任せるので、後で教えていただければ」
「了解しました! 後、サイン入りグッズの件はどうしますか? 別にそれ用のグッズを作るのも良いでしょうし、コピーして出来るだけ沢山の人に渡るようにするというのも手ですが……」
「というよりも、今作ってもらっているグッズの中から何個かにサインをして、それを購入してくださった方にランダムで配った方が良いんじゃないでしょうか。ごく稀に、私のサイン入りのグッズが出てきます、とか」
また別に作ってもらうのは手間をかけてしまうので申し訳ない。
それに、コピーしてより多くの人へっていうのも、僕が芸能人という訳では無いので気乗りしない。
なら、僕の労力はどうでも良いのでグッズを買ってくれた人の中からランダムで配るという事にした方が良いだろう。
これなら個数制限もあるので揉めることは無いだろうし、仮に転売する人の手に渡ったとしても少量で済む。
正直、なんで僕のサイン入り公式グッズを求めている人が僕のフォロワーの四割強もいるのか理解不能なんだけど、それはこの際どうでも良い。
「ネクラさんの新しいアバターの人気がちょっとヤバいので、そっちの方面でもグッズを作ろうかと思ってたんですけど、ダメですかね?」
「……そんなにですか?」
「ご存じないんですか? 男の人の反応はイマイチですけど、女の子達の反応はかなり大変な事になってますよ?」
「……マジですか」
黒歴史の塊だった前のアバターよりは良いと思っていたけれど、女の人が苦手な僕からしてみればむしろマイナスに働いているらしい。
まぁ、それだけの理由でまた10万ちょっと使うのはバカバカしいので、あんまり酷くなければ変えないけどさ……。
「そういえば舞ちゃん、今まで自分で手作りしてたって言ってたよね? 今回も全部手作りなの?」
「いや、流石に全部私が作ってるわけじゃないよ? ただ、クオリティは全部同じだし、個数も結構余裕を持って準備したつもりだから大丈夫!」
「……そう。ほんとに、お金大丈夫?」
「大丈夫大丈夫! ネクラさんの為ならいくらでも使えるもん!」
それを本人の目の前で言うのはちょっとどうかと思うけれど、口を挟んでも良い事なんて無いので黙っておく。
ちなみに、サイン入りのグッズを出すのが正式に決定したのでハイネスさんや舞さんにサインをねだられても迂闊に承諾できなくなった。
まぁ、できなくなったっていうのは僕が勝手に思ってるだけだし、頼んでくるとは思えないけども……。
「舞さん、私の新しいアバターの件はとりあえず置いておいて、どっちの方が皆さんに喜んでもらえますかね? 質……つまり、直筆じゃ無くても良いから量があった方が良いのなら、サインをコピーして貰うとかの方が良いかもですけど……」
「そうですねぇ。そこまで来ると完全な好みの話になるのでどうも言えません。ただ、あんまり世の中に出してしまうとレア感という物が薄れる可能性があります。私としては、ネクラさんのサインはそれ相応の価値......レア感があってしかるべきだと思うので、少ない方が良いですね」
「……春香は?」
「なんで私に聞くの」
「僕は分かんないし、春香はその……ファンだったらしいから」
恐る恐るそう聞くと、春香は深いため息をついてしばらく腕を組んで考えていた。
そして、再び深いため息をついてから話し始めた。
「私個人の意見としては量が合った方が良い。別でグッズを売るのか、既存の物にオマケみたいな形で入れるのかは知らないけど、量があった方が私の元に来る可能性が高くなるから。ただでさえネクラ公式グッズなんて買えるかどうか分かんないんだし、少しでも確率を上げたい」
「……両極端だね」
「でも、春ちゃんの意見と私の意見がかなり大まかな物になると思います。なので、ネクラさんが決められた方が良いと思います。初の公式グッズですし、どんな形を取ろうとも喜ばれると思いますよ」
どっちにしてもメリットとデメリットが存在する気がする。
僕個人の意見としては、せっかく舞さん達が作ってくれたグッズなので多くの人に買ってもらいたいけど、芸能人という訳でも無いのだから自嘲するべきだとも思っている。
「そういえば、販売の方式はどうするんですか?」
「......方式、と申しますと?」
「商品は全て個別で売るとか、全てワンセットにするとかです」
「あ~、お任せしますよ?」
お任せしますじゃないんだってば。
そこら辺が面倒だからグッズに手を出して無かったのに、そんな事を言って突き放さないでほしい。
まぁ、本人は突き放している気などこれっぽっちも無いんだろうけど。
「じゃあ、各種個別で売るのと同時に、全部セットでも売りましょう。それで、僕のサイン入りのグッズはその中からランダムに出現するという形を取る事にしましょう。セットだけから出るとか、個別の物からしか出ないとかではなく、どちらからも出る感じで」
「了解です! じゃあ、それで値段も決めますね!」
「お願いします。それで、全部で何個くらい生産されたんですか?」
「小さいぬいぐるみが40万で、タペストリーが1種類20万ですね」
全部で100万個ってこと? 何をやってるの?
いや、僕のサイン入りのグッズを欲しがっている人が400万人くらいいるので少ないのかな?
いや、それでもなんでこの短期間でそんな馬鹿げた数のグッズを生産出来るのか。
それとも、最近の技術ではそれくらい朝飯前なのだろうか。
「じ、じゃあ、それの1割に僕がサインを書きましょう……。予約はそれが終わってからという事で」
「はい! じゃあ、今度サインをお願いするグッズをこっちに配送しますね!」
「お願いします……」
何でいきなり10万ものグッズに僕がサインをしなきゃならんのか。
いや、自分のせいだっていうのは承知してるよ? 出来るだけ多くの人に貰ってほしいから、1割っていう比較的高そうな確率を指定したんだしね?
たださ、100万個もあるとか思わないじゃん!?
(絶対腱鞘炎になる……)
ただ、1割以下にするとほとんどサインがでないっていう事態になりかねないし、それで炎上するのはゴメンだ。
そもそも、僕の労力はどうでも良いっていう話をしたばかりなので取り消せないし。
(引きこもりだから2週間もあれば全部書けるかなぁ……)
その前にサインとはどういう物なのか調べて、自分なりにアレンジして、書き方も練習してってしないといけないから、予想以上に時間がかかるかもしれない。
「あ、それともう一つお聞きしても良いですか?」
「......なんでしょう?」
「ネクラさんは、これからも現実でイベントなどを行う気はない、ですよね?」
「……まぁ、基本的には無いですね。顔バレすると、色んな人に迷惑をかけそうなので」
まだプライベートを完全に捨てる気は無い。
というより、一人が好きなんだからプライベートが無いと、僕は死ぬ。
「そうですか。ファンクラブの皆が期待していたので、一応聞いてみただけです。じゃあ、グッズの件はこれくらいで」
「あ、はい。色々ありがとうございます……」
「いえいえ! 元々、私の我儘から始まった話なので当然ですよ!」
そう言うと、グッズの話し合いは終わり、舞さんと春香は一緒に家を出て行った。
部屋に戻った僕が再び呼び出されるのは、それから4時間後のお昼過ぎだった。
次は日曜の19時あたりに更新します。
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