わたしのはじまり
わたしは一番になりたかった。
世界中の、国の、町の、家族の、誰か一人の。なんでもいいから一番に、あの頂にいる、唯一無二の存在になりたかった。称賛も栄誉も独り占めして、わたしだけしかいないと、誰かに言ってほしかった。
わたしは、地を這う溶岩のように熱く流れ出るこの欲を持ちながらも、自らでさえ気が付かずに身体の中に押し込め蓋をして、そんな欲など持っていないような澄ました顔をして、頂ではない地位を甘んじて受け入れていた。
わたしが生をうけた家は、それなりに名は知れている、それなりに裕福な家だった。事業は祖父の代で本家から独立した新興ではあったが、上手くやっていた。結婚当初から父は、祖父から引き継ぎ始めたばかりの事業を将来任せる男子を欲し、母は周囲からの圧力を感じつつも、やはり一般的に男系男子相続の世の中の価値観に逆らわない人物だった。
両親が祝言を挙げた翌年の冬、両親の第一子であり、父方母方の祖父母にとっても初孫となる姉が生まれた。両親も祖父母も、男児ではないことに少しだけがっかりしつつも、初めての子で生まれた時から両親の良いところばかり受け継いだ姉の誕生を喜んだ。祖父によって曄子と名付けられた姉は、目に入れても痛くないほど一族から可愛がられた。
姉が生まれた一年後、母が再び身籠った。娘のことは可愛いけれど何としても男児が欲しい両親や周囲は、よく食べれば男児が生まれると聞けば珍しい牛肉を母に食べさせ、あの寺院に参った家は継嗣に苦労していないと聞けば馳せ参じお布施を惜しまなかった。母のお腹がかなり目立ったころ、叔父の学友の実家の知り合いの紹介という全くどうでもいい繋がりで、知る人ぞ知る千里眼の祈祷師という人物が呼ばれ「腹の子は男児で間違いない」と断言したことにより、一族の期待は最高潮になった。
その二か月後、わたしは産まれた。
母が産気づいたころからすでに始まっていた宴会は、わたしが産まれた知らせとともに水を打ったように静まり返り、祖父は既に決めていた男児名の命名書を破り捨てた。母は産婆から女児と聞いた瞬間ひきつけを起こし、父は翌日まで家に帰らなかった。
その後、どうにか一命をとりとめた産褥の母は額を床にこすりつけて、帰ってきた父と祖父母に詫び、父と祖母は「まだ若いから次がある」と言い、祖父は何も言わなかった。生まれてきたばかりのわたしは、これといった華やかな要素もない顔立ちだったからなのか一族をがっかりさせた罪なのか、産婆以外からは喜ばれず可愛がられることもなく、女中から指摘されたことで父によってあわてて「美弥子」と命名され、期限間際で役所へ届けが出された。
斯くしてわたし、松山美弥子の生まれた瞬間から一番にはなれない人生がはじまった。
それでも、幼いわたしはそれなりに平和に暮らしていた。
わたしが産まれた当初取り乱した父母は、姉に対して程ではないものの可愛がってはくれたし、習い事に関しては姉と同じようにしていた。祖母も時々、手遊びに作った刺繍やお手玉をくれたりしたけれど、祖父だけはわたしに対して話しかけたことはなかった。母はもともと丸顔だったが、わたしを産んでから頬がこけて、それでも目はぎらぎらとしていた。
思い返せば、家族とわたしの間には常に膜のようなものがあった。それはわたしが溶け込むことを阻むものでありながら、家族にも、わたしにさえも一見認識させないけれど、確かに存在していた。
五歳になった夏、わたしは朝から姉とともに叔父に遊んで貰っていた。
その日は別室に他の親戚も出入りしているようだったが、三人で書き取りをしたり双六をしたりして遊んだ。叔父は他の人と違い、わたしにだけ甘いところがあり、いつもほかの家族は姉が一番だけれど、わたしは、きっと叔父の中のわたしは一番だと思っていた。昼頃、別室からざわついた声が聞こえ、間を置かず従弟叔父が走ってきて障子を勢いよく開け「男だ」と叔父に告げた。
何のことかわからず叔父の顔を見上げると、彼は目を見開いて涙を流していた。少し成長してから分かったことだけれど、叔父は例の胡散臭い祈祷師を間接的に紹介した負い目があり、贖罪の日々をわたしと過ごしているに過ぎなかった。
弟が産まれたこの日、叔父はわたしという存在から解き放たれ、わたしはある意味で叔父の一番から、なんでもない人物になった。
弟は祖父によって恵一と名付けられた。
屋敷の一番広い座敷なのに、大きな大人たちが小さな彼の周りに集まって、嬉しそうにしていた。わたしはこの時初めて、祖父が笑っている顔を見た。女中に手を引かれ、姉と一緒に輪の中心に連れていかれた。初めて見た弟は、小さくてまだ赤くて皺くちゃだった。
姉は、弟ににじり寄り、皆に愛される笑顔で「小さくてかわいいのね。お姉さまよ」といい、弟の小さな拳を指で触った。わたしはどうしていいのかわからず、姉のその行動を見ていると、母が「可愛いでしょう」と声をかけた。母の声は優しく、いつもよりも柔らかい響きだった。それ以外の言葉は用意されていないと思った。
「可愛い」とまだ幼い声で言いわたしが微笑むと、周囲は満足そうに笑って何度も頷いた。両親も祖父母も、皆笑顔だった。わたしも笑った。このようにして、わたしは新しい中心を迎えたこの一族の枠の中に入ることに成功した。
それからわたしは、誰にとってもとりとめもない存在として、しかし枠の中に存在していた。姉とわたしは一見して平等に育てられていたし、小さな弟を可愛がった。目に見えて疎まれているわけでも、無視されているわけでも、嫌われているわけでもない。ただ、一番の娘である姉と、唯一の息子である弟の間で、ようやくぼんやりとした輪郭が認識されているようだった。この違和感は、わたしの知らないところでじわりじわりと山肌を侵食していった。
わたしが明確に自身の中に流れる欲を持つきっかけは、弟が生まれる前後の、幼いころだった。
私は、姉と一緒に様々な習い事をさせられていた。一族の事業は上手くいっているようだったし、両親はわたしたちの、正確には姉の将来に投資しようと考えていた。姉は分かりやすく華やかな見目の少女に育っていたし、努力家でしっかり者だと評されていた。
確かに彼女は、努力をしていたし、努力をする姿をわかりやすく大人たちに見せていた。二人で三味線の演奏をした際は、わたしの弾き間違えを注意するというしっかり者の面を見せたし、それによって「ふたりともよくできた」という評価を「妹の失敗を上手に助けることができた姉」という評価を得て満足しているようだった。わたしは、純粋にも「ふたりともよくできた」という評価だけで充分嬉しくて、しばらくその言葉を思い出すだけで何でもできそうな気がした。
わたしは、誰かから褒められるということが、嬉しくて気持ちがいいものだと知ってしまった。
だから、きっと「ふたり」ではなくわたしひとりが褒められたら、認められたら、どれだけ気持ちがいいのだろうと想像してしまった。この世にただひとりの一番を目指す人たちが大勢いるのは、人々がこの甘美を知っているからなのだと、わかってしまった。
だからきっと一番になれば、その甘美がわたしのものになると必然的に知った。渇望した。
同時に、この浅ましくも卑しい欲を誰かに気取られてはいけないと本能的に認識していた。わたしは、欲望が見えないように蓋をした。それはそこに確かに存在するのに、そこにはないものとして扱った。
初めての小説です。
気長に読んでいただけたら嬉しいです。