喪主初体験 -1
父の闘病記とは違い、少しだけ気楽に書けました。
父について書いているのは同じですけど。
これからお身内を見送ることになるかもしれない方にとって参考になる事があれば幸いです。
皆さん如何お過ごしでしょうか。
少し前ですが父の闘病記として長々と書かせていただきました。
今度はその後日談といいますか、葬儀から四十九日/納骨まで何があったか、何が面倒くさかったかなどを書かせていただきます。
諸兄諸姉の中にはもしかすると、これからお身内の方を見送られる方もいらっしゃるかもしれません。
拙文の中に何か参考になりそうな事がありましたら幸甚でございます。
最初は闘病記の続きとなる「父の遺体が病院から葬儀業者さんまで運ばれた」ところから始まります。
なるべく短くまとめたいと思っていますけど…はてさて。
一度帰宅し普段着に着替えまして、以前から会員契約をしてありました葬儀業者さんに向かいました。
ちなみにこの会員契約ですけど大まかに二種類あるようです。
「家族全員」をひとまとめにして対象とするものと「家族それぞれ」を対象とする契約がありますけど
「どちらかを自由に選択できる?」
「業者さんによってどちらか決まっている?」
その辺りは私はよく知りません。ちなみにウチは「家族それぞれ」の方でした。
で、これらの契約はどう違うか。
家族全員を対象とする場合は誰が亡くなっても権利を行使出来ますけど、どなたかが亡くなって権利を行使したらまた最初から会費(毎月三千円とか五千円とかね)の掛け直しとなります。
一方でそれぞれを対象とする契約は会費×加入者の人数となり、その分は高くつきます。
諸兄諸姉が三十代四十代なら家族全員を対象とする契約で良いと思います。
まだご両親も五十代六十代でしょうから、天寿を全うなさるにはまだ早いでしょう。
ですが諸兄諸姉が五十代以降となりますとご両親もそれなりにお年を召されているかと。
つまり「去年と今年」とか「二~三年の間隔」で続けてお亡くなりになっても不思議ではない、という事になってきます。
もちろん「それ以上の間隔を空けて」という場合も当然あるでしょう。
ですが「家族全員が対象」ですと、去年に会員権を行使したら今年はまだ会費が貯まっていませんので小さくない負担となるでしょう、間違いなく。
もし加入なさるなら家族の構成を考慮してから、でしょうか。
会員特典としての割引きもあります。結構な割引き額でした。
元々の金額がふっかけてきているのかもしれませんけど。
ですがトータルで数十万円の値引きでしたので下手な金融商品よりお得かもしれません。
これだけでも今回拙文を読んでくださった価値はあると思いますよ(笑)。
さて
既に母と弟は到着しています。
建物の入り口から「異邦人家 控室」と表示されている部屋に入ります。
布団に横たわる父は病院で見たのと同様に少し口を開いていて、今にもイビキをかきそうな感じです。
思い出しましたけど、顔に白い布を掛けていなかったなぁ。病院でも掛けていませんでした。
あ、あと額に着ける三角形の布?幽霊とかが付けてる三角形のやつ。あれも最後まで着けませんでした。
あれって何か決まりとかあるんでしょうか?
宗教宗派によって、とか。
それとも最近ではやらなくなったとか?
さて…
ここからは箇条書き風とさせていただきます。
どうにも上手く纏まらないもので。
・告別式までは暇だったな
一言で言えば「喪主は動かなくて良い」ですね。正確に言えば遺族は、でしょうか。
実務は業者さんが全て準備/対処してくれました。
例えばですけど、火葬埋葬許可書の申請なんて何も言わなくてもしてくれたりとかね。
言われてみれば当たり前だけど忘れていた、なんて事は他にも沢山ありそうです。
役所へ行ったり、仕出しの手配をしたり、お寺さんに連絡をしてお通夜や告別式を行う日時の調整をしたり…。
業者さんを使わなければ凄く忙しかっただろうなと思います。
もちろん業者さんに頼めば安くないお金が必要ですけど今回私達は決めるだけで良い。
なので楽でした、というか暇でした。
ですのでスマートフォンかタブレットと充電器の持ち込みをお勧めします。
・決めることがたくさんある
線香をあげてから寛いでいましたら控室に業者さんが来られました。
担当者さんからはこれからの予定の説明と決めて欲しい事の説明がありました。
手配の都合で「早めに決めて欲しい」事と「明日でも問題ない」事があります。ですので
「どんな祭壇にするか」
「棺はどれにするか」
「盛り籠は幾つになりそうか」
などパンフレットを見てその場で決められることは即決しました。
けど、その時点では確定しにくい項目は少し待ってもらうなどして、出来る事からコツコツと?です。
祭壇や棺は一番安価な物にしました。
参列者は身内や同じ町内の方しかいませんので見栄を張る必要はないし、棺なんてすぐに燃やしてしまいますから。
これがどこかの社長さんとかですと遺族にとって見栄の張りどころ(?)なので、あまり安い物って訳にはいかないかも。
・立飯とはなんぞや?
私はよく知らなかったのですけど立飯とは
・お通夜や告別式に来てくださった方にお渡しする会葬御礼
・告別式の朝に身内等で摂る簡単な食事
です。
要するに立飯という言葉は使われるタイミングにより意味が変わるって事ですね。
地域差とかあるかもしれませんけど。本当、知らんかったわ。
会葬御礼としての立飯はその日のうちに来てくださる方もいらっしゃるので、ざっくりとした人数を数えてその場で決定しました。
また何処かから話が伝わって後日自宅へ来てくださる方もいらっしゃいます。
そういったときの為に少し多めに、となります。
だって足りないってのも、ねぇ。
食事としての立飯をネットで調べましたところ、山口と岡山でのしきたりなんだそうです。
私の知る限りでは巻寿司とお吸い物ですね。
そして食事としての立飯とは故人と食事を共にする最後のひと時なんだとか。
こちらはお通夜の後に必要数を担当者に伝えました。
かなり前ですけど
「そもそも立飯とはなんぞや?」
と自問自答したことがあるのですけど
「お通夜や葬儀の合間に摘む軽食ではないか」
と思いました。今でも思っています。
そもそもですが「立飯」と書きます。立ったままで摂れる食事。つまりファーストフードではないか。
昔は自宅でお通夜も告別式も行なっていました。
父方の祖母のお通夜や告別式も伯父の自宅でした。
業者さんはいません。
だから皆で手分けをして必要な物品を手配したり家の中を片付けたり…ですので人が出たり入ったりします。
要するに、落ち着いて食事をする時間は取りにくい。
なのでそれぞれが少し時間のある時に、あるいは何かをしながらでも摘める食事として立飯が広まったのでは。
その時には私もコンビニを何軒も廻り、おにぎりその他を買い占めました。
買ってきたおにぎりなんかをお盆に置いておいたら手の空いた人が適当に食べてましたね。
気づくといつの間にか無くなっていました。
・そんなん知らんわ
私が知らなかっただけかもしれませんが、翌日のお通夜の後に食べてもらう通夜振舞いという食事の決定もありました。
色々三人で考えましたけど結局は寿司を十五人前(五人前×三つ)頼みました。
でもまさかお通夜で寿司とは考えてもみませんでしたねえ。
精進料理をイメージしていましたので。
・何かを口にしていたなぁ
父が亡くなった夜もですが、お通夜の後も暇を持て余してしまいまして常に何かを口にしていました。
持ち込んだパンやサンドイッチ、ポテチその他のスナック菓子。
お茶も烏龍茶と麦茶の2Lペットボトルを一箱ずつ持ち込みました。
斎場から戻り撤収するまでに確か二本ずつ飲んだかな。
ああ、業者さんの用意してくれていたお茶も飲みましたね。
タバコなんて言わずもがな、です。
業者さんの通用口とは別に建物に二つある出入り口。
その間に灰皿がありましたので暇になったり夜間に消えていた線香の火を灯した時にはタバコを吸いに行っていました。
第一回目はこの辺りで。
これは思ったよりも長引きそうな予感がします(汗)。
投稿までに思っていたよりも時間がかかりました。
四十九日/納骨までなんとかまとまったので少しずつ投稿させていただきます。




