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群馬県─上毛かるたから学ぶ群馬の偉人

群馬県



 関東地方



 県庁所在地:前橋市



 人口:1,940,533人 (2019年6月1日)2018年47都道府県中第19位



 面積:6,362.28㎢  面積21位



 県の木:クロマツ



 県の花:レンゲツツジ



 県の鳥:ヤマドリ



 県の魚:アユ




 ◇◇◇


 今回は、上毛かるたに登場する偉人についての紹介です。

 上毛かるたで偉人について書かれた札は次のものになっています。

 

 こ:心の燈台内村鑑三


 て:天下の義人茂左衛門


 ぬ:沼田城下の塩原太助


 へ:平和の使徒つかい新島襄


 れ:歴史に名高い新田義貞


 ろ:老農船津伝次平


 わ:和算の大家関孝和


 この7枚が偉人について書かれた札になります。

 中でも、内村鑑三、茂左衛門、新島襄、新田義貞、関孝和の5人は日本史Bの教科書にも登場するほどの人物です。


 内村鑑三。明治時代のキリスト教徒です。東大の教授でしたが、明治天皇への不敬罪で首になっています。日露戦争反対した人として知られています。


 茂左衛門。通称磔茂左衛門です。江戸時代沼田藩の人物です。当時の沼田藩主は真田信利さなだ のぶとしでした。あの、真田昌幸の子孫です。つまりは、真田丸で大泉洋が演じた真田信之の孫です。沼田藩の真田氏は信之が正室と側室に子供ができたことで複雑化しています。そのため、本家の松代藩の真田家と対立し、松代藩主になれなかった信利は石高が3万石のところを14万石と課題申告します。本家に見栄を張りました。しかし、石高が大きくなるとその分幕府への貢献が大きくなることになります。税金を多くとるようになり、農民は自分たちの食料すら手に入れることができませんでした。

 このことを幕府上層部に直訴したのが茂左衛門です。

 自分は処刑されてしまいますが、信利は改易信利の系統の真田家はその後断絶します。


 塩原太助。沼田城下とありますが、沼田城は関係ありません。江戸時代の豪商です。


 新島襄。同志社大学を設立した人です。この人もキリスト教徒です。群馬には新島学園という中学・高校・短大が存在しています。


 新田義貞。鎌倉末期から南北朝の武士です。鎌倉幕府の本拠地を直接攻め幕府を滅ぼした人物です。足利尊氏と共通の祖先をもつ同族であることからライバル関係にあると言われていますが、新田氏は鎌倉時代没落しており足利氏の配下に近い状況でありますが、義貞一代で新田氏の名を興隆します。しかし、南朝に着き最後は福井で戦死してしまいます。


 船津伝次平。明治の三老農の1人です。農業研究家として西洋の近代農業を日本へと伝えた人物です。上毛かるたがなければ現代まで知られることがなかった人物です。


 関孝和。江戸時代の数学者です。和算の大家とあるように和算の最盛期を導きます。円周率を世界で初めて16桁まで求めた人としても有名です。それだけ当時の和算というのは世界に引けを取らない素晴らしいものだったのです。


 ちなみに群馬と言えば伝説の博徒国定忠治がいてもおかしくなさそうですが、上毛かるたを作る際に検閲されたとかで入れられなかったそうです。


 では、今回はこのあたりで。

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