道とオーク
あの巨大な魔猪以来出てくるのはスライムばかりで、イルジオはそれ以上霊剣の力を試すことはできず、ただ淡々と森を歩き続けていた。
そして日が真上まで登った頃、イルジオはようやく道らしき所へと出ることができた。
道と言っても木が生えていないだけで、特に舗装されているわけでもない。この先にある町もたいして大きなものではないだろう。
そう思いながらイルジオが歩いていると、常人離れした視力を持つ彼の視界にある魔物の姿が映った。
その魔物は、一見太った人間にも見えなくもないが、頭は人間のそれではなく豚を凶悪にしたような顔をしている。
イルジオが目を凝らすと、その丸太のような肥えた腕には何か抱えているように見える。
オークだ。それも人間を抱えている。
状況を察したイルジオは瞬時に駆け出し、いくばくもしないうちにオークへと迫った。
「疾っ」
イルジオは一太刀目でオークの足を切り落とした。
その鈍重な体を支えるモノがなくなったオークはバランスを崩し、抱えていた人間は宙に放りだされる。加速のままに一閃したイルジオは駆け抜けざま、オークの腕から放られ宙に浮いた人間を優しく捕まえ助け出した。
そしてブレーキをかけた足を軸にオークへと向き直り、反転したその勢いのまま、足を失い慣性のままダルマのように落ちてきたオークを切り飛ばす。
哀れ、オークは何が起きたかも理解できないまま首と胴が泣き別れした。
そんなオークの亡骸を一瞥し、オークが抱えていた人間を確認すると少女のようだったが、今は気絶してしまっているようだ。
「……ふう。咄嗟にオーク殺したけど大丈夫だよな。オークがこの女の子を拐ってたわけだし」
師匠の話によるとオークは繁殖のために人間の女性を拐って巣に持ち帰るらしい。
そもそもオークは魔物に分類される。核を持つというのが魔物の定義であるが、魔物は本能的に人間と敵対し、友好関係を築くことができないという。
「とりあえずこの人に話を聞いてみるか」
そう独りごちてイルジオは少女が目を覚ますまでの間、オークの死骸を処理するのであった。
*
――――迂闊だった。
オークに襲われた少女、ニクはどうしようもない脱力感の中、自分の行動を悔やんでいた。
普段のニクならばオークに後れを取る事などあり得ない。
そんな彼女がオークに無防備な姿をさらしたのは単純に魔力の枯渇、という原因があったからだ。
人は体内で魔力を練り、その自らの魔力で体を満たしている。
その状態が人にとっては“正常”であるため、そこから乱れた状態――――体内から著しく魔力が抜けたり、あるいはあまりにも自分と異なる性質の魔力を取り入れたりすると何らかの形で体に異常をきたすのだ。
ニクはこの日、森の調査をしていたところ異常な強さの魔物と遭遇し、それを追い払うのに大半の魔力を使い果たしてしまっていたのだ。
心身ともに疲弊していたとはいえ、自分の魔力の残量が底をついていたことに気づかなかったこと、あるいは単身での調査にもかかわらず心のどこかにあった慢心。
そんな自分の迂闊さ、油断がこの状況を招いたのだ。
朦朧とする意識の中、自らが招いたこの状況に対する危機感が募り、不安がニクの心を支配する。
魔力を練るのは体だ。
そのため極度に疲弊した体では魔力を練ることはできない。
魔法を使えなければ無力な自分。
導き出されるのはこれからおこるであろう最悪なできごとだ。
オークに攫われた女性の末路など想像するだにおぞましい、されどどうしようもないほどに明快で、希望の余地などない。
絶望が少女の心を奈落の底まで突き落とそうとしたその時。
少女のおぼろげな視界が衝撃に揺れ、同時にふわりとした浮遊感が体を襲う。
宙に浮いた物体は必然、落下という結果までが一括りである。それにもれず、浮遊した少女は地にたたきつけられるのだろう。
ニクは咄嗟のことにそこまで頭で理解していたわけではない。
しかし体は無意識にも衝撃に備え固まり、瞳もきつく閉じられる。
そんな体の反応に伴いわけもわからずに、しかしニクはただ根源的な恐怖を感じて、体をこわばらせた。
そんなニクの体を包んだのはしかし、待ち構えていたものとは反対な柔らかな、優しいものだった。
連続する恐怖から少女を救い出したのは一つの影。
何が起きたのかもわからず、それでもなぜか安心したニクは、自らを包み込むそれに身を委ねてふつと意識を手放した。
*
イルジオがオークの解体を終えてからしばらくして、気絶していた少女に反応があった。
「ん。ここは……」
「気がついたみたいだな」
イルジオの声に反応して少女は素早く臨戦体勢に入るが、声の正体確かめて不思議そうな顔をする。
「……人間?」
少女のつぶやきに、イルジオは笑って応えた。
「見た通りな。君がオークに抱えられていたから咄嗟に助けたけど余計なことだったか? もしそうならすまんな。オーク殺しちゃって」
イルジオのそんな冗談ともわからない言葉を聞いて、少女は更に不思議そうな顔をする。
「人を助けたのに謝るなんて、不思議な人……私はニク。助けてくれてありがとう」
「どういたしまして。俺はイルジオだ。よろしく、ニク。それで、ニクがオークにさらわれた経緯を聞いても?」
イルジオが尋ねると、少し考えてからニクは話し始めた。
「……ん。最近私達の村の人がオークにさらわれてる。私はその調査をしていて、その途中で巨大な魔猪に遭遇した。なんとか村の反対側の山の方へ撃退したけど、魔力切れになってその時オークに襲われた」
「なるほどね……」
たぶん俺が斬ったのはその魔猪だろう、と思うとともにようやく森から抜けてたどり着いた道の先にあるのは町どころか村だったんだなあ、とイルジオは少しがっかりしたのだった。