旅立ち
––––ゼリアド暦1500年
ヒルズ大陸西部シュトナズィ山脈––––
まだ日も上りきらないとある日の早朝。
"嵐の山"と呼ばれる秘境の頂上に剣を交える二つの影があった。
互いの剣がぶつかるたび、その衝撃の余波で山が揺れ、獣は駆け回り、鳥が飛び立っていく。
やがて二つの影はどちらからともなく距離を取り、一呼吸の後、その戦いで一番の踏み込みを行なった。
––––ドンッ!!!!
一際大きな音が空にとどろいた後、やがて山は静まり返り、二つの影が剣を下ろし言葉を交わした。
「ようやくそこそこの腕前にはなったな、イルジオ」
山を揺らすような戦いの後とは思えないような涼しい顔をして、齢五十程の男が言った。
「馬鹿言うなよ、やせ我慢のくせに。あのまま続けてれば俺が勝ってた」
どこか誇らしげに青年–––イルジオが応えると、師匠らしき男は本当に余裕があるのかあるいは師の威厳を保とうとしたのか、やれやれとでも言うかのように肩をすくめた。
実際のところ、勝負は引き分けといったところだろうか。お互いの技量は凄まじく、勝敗はつけ難い。師匠である壮年の男は、外見上疲労の様子は見えないが、果たして。
この男、師の威厳に変にこだわって無理に取り繕うようなところがあるのである。
「今日でお前が成人だからな。華を持たせてやったまでだ。……ところで、お前はこの後どうするんだ?」
この後、というのは今日だけの話ではないだろう。普通、成人したものは独り立ちをするものだ。
親の元から。あるいは師の元から。
「とりあえずは世界中を回ってみるつもりだよ。一応、目標というかやりたいこともあるし」
師のやせ我慢は聞き流し、イルジオは今後の展望について答える。
「昔、色々話してくれただろ。不可思議で強力な武器、魔宝刃の話。あれを探してみようかと思って。まあ本当にあるのかはわかんないけど」
魔宝刃とは何千年も昔の遺物であり、その刃にそれぞれ異なった力を宿すとされるものだ。
宿すとされる、とはいってもその存在を知る者はほとんどおらず、存在は知っていても“魔宝刃”という名称を知らなかったりもするらしい。
ならばなぜ師匠は知っているのかという話なのだがそのことについては語らなかった。
そしてイルジオは昔その話を聞いて以来興味を持ち、できるならそれらの魔宝刃を集めどんな力が眠っているのかが知りたくなっていたのだ。独り立ちしてからの目標も決めておきたかったためイルジオにとってはちょうど良かったというのもある。
そんなイルジオの答えを聞き、少しも動じることなく師は腰に下げた剣を外し、差し出した。
「ならば、これを持っていけ。教えていなかったがこれは、そのお前のお望みの魔宝刃だ」
確かにイルジオは師がいつも身につけている剣が魔宝刃だというのは初耳だったが、初めて魔宝刃の話を聞いてからなんとなくそれがくだんの不可思議な力を持つ剣なのではないかと勘付いていた。
イルジオは戦いにおける直感はもちろん、普段からやけに鋭い勘を備えていた。そうでなくとも魔宝刃について語れる時点でとてつもなく怪しかったのだが。
しかしイルジオの勘と食い違うことがあり、疑問に思っていることがあった。
「でも俺はこの剣の不可思議な力なんて見たことないんだが」
「それはだな…………魔宝刃を扱うには魔宝刃に持ち主として認められる必要があるのだ。そして私にはその資格がなかったようだ」
「資格、ね。ならこいつの力はわからないのか」
「いや、詳細は分からんが一つ手掛かりになるものはある。それはこいつの呼び名だ」
「呼び名? 名前、てことか?」
「名前とは別だが、こいつは形無きツルギ、無形剣、あるいは幻の剣、と呼ばれることがあったらしい」
「ふーん。で? 師匠は俺がその力を引き出せると思ったのか?」
イルジオの疑問の声に、突如男の纏う雰囲気が変わった。戦いの雰囲気、しかし先ほどのよりも濃密な、“死”の雰囲気だ。
佩いていた予備の剣を抜き、獰猛に嗤う。
「それは――――――これから確かめる」
咄嗟に構えたイルジオを襲ったのは、今まで師が見せた中で最も速い踏み込みとそこから生み出される強烈な一撃。
今の一合でイルジオは悟る。
――――殺す気だ。
ならば遠慮はいらない、とイルジオは今までの師との稽古で初めて殺すつもりで斬りかかる。
否。もはやこれは稽古ではない。これはただの純粋な、死合いだ。
お互いがお互いを殺す気の打ち合いは苛烈さを増していき、それぞれの体に傷が刻まれていく。だが徐々に、イルジオが劣勢に追い込まれていく。
それは技量の違いではなく、生温い――――とは言っても大陸では最も過酷な可能性のある――――稽古では磨ききれなかったもの。即ち、くぐり抜けた死線の数の違いに他ならない。
そして決着は一瞬で着く。
僅かな、そして致命的な隙を突いて師はイルジオの剣をかち上げる。
がら空きになった胴は切り裂かれ、無惨にも臓物をまき散らす――――かに思えた。
事実イルジオは剣を掲げた状態、さらに弾かれた反動で片手で剣を握っている。イルジオがその片手を振り下ろすよりも速く、袈裟に切り裂かれるだろう。
イルジオが握るのが魔宝刃でなければ、だったが。
なぜ魔宝刃に認められたのかはわからない。しかしイルジオは確かに認められ、その力の一端を引き出した。
イルジオは直感的に手首を捻り、上方から見下ろすように剣先を相手に向ける。
イルジオの持つ剣がふわりと陽炎を纏うかのようにぼやけた次の瞬間。
イルジオの師は咄嗟に首を捻りながら体を傾け、転がりながらその“攻撃”を回避していた。しかし彼が受け身をとって立ち上がった時には喉元に剣突き付けられていた。
「…………それが魔宝刃の力か。危うく死ぬところだった」
そう言う師の無表情も心なしか常よりひきつっており、内心冷や汗を流しているのではなかろうか。
「なるほど、無形剣というのもうなずけるな」
師を危うく殺しかけておいてそんなことを宣うイルジオに、恐ろしものを見るかのような目を向けつつ疑問をぶつけてみる。
「試したりせずに最後の瞬間にいきなり使っていたが、どんな力か、というのはどんなふうにわかるんだ?」
「使ってから、かな。いやー、勘で切っ先向けてみたけどあんな力だったとは」
あれがぶっつけ本番どころか、何が起こるか自分でも把握していない中での行動とは我が弟子ながら信じられない、と戦慄しつつ先ほどの現象を思い起こす。
回避行動は死を感じたが故の咄嗟のものであったが、自らの目はその凶刃を横目に捉えていた。
イルジオは突きを放ったわけではなかったが、その刃は確実に己の頭のあった空間を貫いていた。
倍ほどの長さまでと変化したその剣身が。
「形の決まっていない剣、か」
そうつぶやく師の言葉に乗るように、イルジオは戦いのことから魔宝刃のことへと話題を転換させる。
「そういえば魔宝刃て世界に七つだか八つだかしかないんだろ? よく手に入れたよな。まあ師匠なら持っててもおかしくはないと思ってたけど……あ、それで名前はなんていうんだ? 呼び名とは別であるんだろ?」
「霊剣レムナント。それがこいつの名だ」
「レムナント、か。他の魔宝刃はどんな力でどんな奴が振るっているんだろうか……」
初めての死を感じる戦いを経験して、イルジオは今までにない昂ぶりを感じ、魔宝刃だけでなくその所有者にまで思いを巡らせた。
力ある魔宝刃の周りには力ある者が。
イルジオの魔宝刃探しの理由に好奇心とは別の理由が加わったのであった。
「それじゃあ、荷も前からまとめてたし、もう行くとするよ」
「ああ。精々死んでくれるなよ」
「当たり前だろ。それじゃ師匠……お世話になりました」
「……達者でな」
そうして、とある剣聖の弟子――――後に剣帝と呼ばれる男と魔宝刃の物語が始まったのであった。