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変な夢を見た。
ぷくぷくとした赤ちゃんの天使がひとり、俺の肩に乗って遊んでいた。その子は何かとても嬉しそうにくすくすと口元を手で押さえながら笑ってて、俺の髪をつまんでみたり、かと思えば歌ってみたり。
くるくると渦を巻いたその子の髪には、真っ青に咲いた皇帝の花──。
「……ん」
アラームの音で目が覚めた。
時計を確認すれば六時半、さて迎えた出張三日目の朝であった。
(なんだろう。今の夢)
しばらくベッドから天井を見上げたまま界は思う。
可愛い赤ちゃん天使だった。ふわふわの肌も、澄んだ瞳も、俺の肩に載った重みもやたらとリアル。しかもあの花は、この間緋乃の手紙に入れたのと同じもの。
(???)
知り合いに子供はいないし、赤ん坊なんて縁のない生活をしているのだが……まったく変な夢である。
そんなこんなで何だかしゃっきり眼が醒めなくて、いつもより遅めに朝食会場へ降りて行ったところ、窓際で既に紅茶を飲んでいた親友に見つかった。
「カイ、眼ぇ真っ赤だよ!」
ぎょっとした様子でそう言った彼は、今日はピンクストライプのクレリックシャツを着ている。めちゃ似合うな……と寝ぼけた頭で思いつつ、界は彼の隣の席の椅子を引く。
「眠ぃんだよ、単純に」
「それにしちゃ異様に赤いぞ? また遅くまで仕事してたんだろ」
「有料チャンネル見すぎたかな……って嘘だよそんな眼で見んな」
眠いついでに冗談を言ってみたらジョージにナメクジを見る目で見られ、やめておけばよかったと後悔しつつ界は通りがかった給仕にコーヒーを頼んだ。
「言っていいことと悪いことがあるだろ。緋乃が聞いたら完全に引くぞ」
ジョージがため息交じりに新聞を広げて言う。紅茶にフルーツヨーグルトを合わせた彼は、見た目だけなら完全な紳士だが、しかしてその中身が自分の百倍はどエロいことを界は知っている。顔を引きつらせて言い返した。
「ただの冗談だっつーの。エロ魔人のお前に言われたくねぇわ」
やがてコーヒーが運ばれてきたので、まずは目覚めの一杯だとブラックで口を付ける。苦くて熱い液体を口に含めば、ようやく頭がしゃっきりしてきた。
「でもすごいじゃん、んなこと言いつつ既に仕事の三分の一終わったんだろ」
かさかさと新聞の音をさせながらジョージが言った。界はうーんと唸りながら答える。
「商談はな。でも使うと決まってるもの売っただけだから、大した金額でもないし」
「良く言うよ、一番高級ラインで全部決めたくせに」
「どうせ売るなら一番いい奴じゃないと意味ねーだろ」
「でも、その顔を見ると一番の獲物には接触できてないみたいだね」
ジョージの鋭い一言にたちまち界は嘆息した。そう、緋乃と連絡が取れない。
「電話が繋がらねぇ。昼間かける暇がねーから夜かけるんだけど、全然出なくて」
「折り返しは?」
「ない」
きっぱりと答えた自分の声にへこみそうになるが堪える。
ジョージがあー、と気遣ってくれた。
「ほ、ホラ。単純に忙しいだけかもよ? 秘書って激務なんだからさ」
「わかっている」
「あと……あ、そうだ聞こうと思ってたんだ。八神さんの見舞い、いつ行く?」
「──は?」
界は眼を見開いた。コーヒーカップを持つ手が滑りそうになり、慌ててテーブルの上に戻す。青天のへきれきだったのだ。
「なに? 八神さんが見舞いって……どういうことだ。入院したのか?」
「え? おととい倒れたんだってよ、僕たちと会った日の夜。聞いてないの?」
「聞いてねえよ!」
ジョージがすごくびっくりした顔をしていたが、それ以上に驚いたのはこっちだった。なんだそれ。
仮にも取引先の責任者であり、かつ同じプロジェクトメンバーの有事を、何故俺は知らされていないのだ?
しかもジョージだけが知ってるって、余計どういうことなのだ。
「ヘンだろ。お前それ、誰から聞いたんだ」
「ノイマン氏……」
「なんで俺には知らされないんだ」
へらへらした取引先の営業マンの顔を思い出しつつ界は唸った。単純に不愉快だったのだ。
ジョージと俺のどちらかに連絡すれば済むと思ったのか? いやそれは扱いが雑すぎるだろう。
それか単なる送信ミス。いやそれもビジネスマンとしてあり得ない。
許せん、と思わず拳を握った時、界ははっと気が付いたことがあった。
「……待てよ。もしかしたら。わざとかもしれない」
「──え?」
どういうこと? とジョージが不可解そうに眼を瞬く。
界は友の眼をまっすぐ見据えて自分の考えを説明した。
「月曜の昼。高そうな料亭だったけど、あれ大和ファーマのすぐ近くの店だったよな?」
「ああ、言われてみれば……そうだね」
「気になってたんだ。あそこまで呼ぶんなら、会社に入れるか、飯食うにしてももっと安い店は五万とある」
「つまり」
「つまり、暗に忠告されてたんだ。大和ファーマに近づくなよって」
俺がな、と付け加えて、界はテーブルを指で叩いた。つまりあれは八神からのご丁寧な挨拶だったのだ。
お前は会社に近づくな、と。
「それってやっぱり……緋乃のことで?」
意味を理解したらしいジョージが控えめに言った。
界はたぶん、と頷いて見せる。
「他にないだろ。あー、頭来た」
「え」
「俺、ちょっと今晩遅くなるから」
「は?」
「後で内容教えるから、専務とグレーテルには黙っててもらっていいか?」
そう言うと朝食もそこそこに立ち上がり、界はレストランを後にする。
「いいけど……って、界!?」
慌てたジョージの叫び声が静かな会場に尾を引いた。
***
本当は電話なんてまどろっこしい真似は嫌だった。
大体遠距離が原因で別れたというのに、何で同じ国に居るいま、会いに行こうとしなかったのか。
一つ、緋乃の出方を窺っていた。
二つ、会いに行くなら彼女の会社だ、単純に遠慮していた。
(なのに……俺は一応わきまえていたつもりだってのに、八神さんとノイマンの野郎は)
一応ビジネスパートナーである、俺を何だと思っているんだ。まるで害虫か疫病神であるかのように。
軽くキレている界の仕事はたいへんさくさく捗った。怒りはエネルギーというのは本当である。
全ての仕事を五時台に終わらせると、そのまま電車に乗って大和ファーマの本社が建つ街へと向かう。
(もう遠慮しねぇぞ)
界は決意したのだった。緋乃に直接会いに行く。二回振られた男の決意を舐めないでほしいものだ。
絶対今日中に接触してやる! と静かな怒りに眼を光らせつつ界が大和ファーマ本社前までたどり着いた時──
「──ちょい待ち! 界、一人で行くな!」
横ざまに腕を引っ張られ、そのまま物陰に引っ張り込まれた。
誰なのかは顔を見るより前にわかっていたが、界はとりあえずその人物をじろりと睨んだ。
「おいこらジョージ! なんだよいきなり!」
「こっちのセリフだよ~。馬鹿、なんで真正面から行くんだよ」
「正面以外に入る道があるなら教えてほしいが!?」
「バカそういう意味じゃないよ、これ以上君も緋乃も立場わるくすることないだろって言ってんの」
ジョージがひそひそと告げた言葉に界は眼を瞬いた。
「……つまりお前、心配してきてくれたわけ?」
「あったりまえだろ。君と緋乃の結婚は、僕らにとっても長年の夢であるわけよ」
ジョージは答えながらネクタイを緩めた。よく見れば息を乱しているし汗もすごい。
もしかしなくても走ってきたのだろう、暑っついな、と汗に濡れた前髪を邪魔そうにかき上げながら界を見た。
「でも、ちょい待ち。緋乃に早く会いたいのは分かるけど、やるならうまくやりましょう」
「って言うからにはうまい策があるんだろうな?」
「うん。実はね、前に緋乃から聞いたことがある。緋乃の直属の上司の人が、僕らSuitsのファンなんだって」
「上司って女?」
「いや男」
「それは……ありがたいような……微妙なような」
「こら言い方!」
落ち着いたジョージと話していると界も冷静さを取り戻してきた。
昔っからジョージは穏やかで、激情的なところのある界とは反対に怒ることがほとんどなく、とても賢い男だった。迸るような天才という感じではなく、エレガントで優美な秀才なので、一緒に居るとアクセルとブレーキのバランスが良く取れていろいろうまくゆくのだった。
「あ。見て!」
と、ジョージが密やかに叫んだ。界は彼が指さした方向を無言で見る。そして低く呟いた。
「……ビビり八神」
「顔怖いから。てか変なあだ名つけないで」
大和ファーマの入り口に、八神支社長が立っていたのだ。入院したと聞いていたが、顔色もよく、むしろ夏らしい淡色スーツを着ておしゃれをしているようにすら見える。
界はイラッとジョージに尋ねた。
「入院してたんじゃねぇのかよ? ガセ?」
「どうも過労だったらしいよ。大したことはないってノイマンさんからメール来た」
「だから俺はもらってねぇっての……」
ひそひそ言っていた界は、次の瞬間エントランスに現れた女性の姿に釘付けになった。
──緋乃である。
「ひ──」
反射的に呼びかけそうになった口元を、横から伸びてきたジョージの手が覆う。
緋乃は、白っぽいワンピースにジャケットという格好で、まだまだ明るい太陽の光に照らされて、一瞬透き通るようにも見えた。
入り口から焦ったように小走りで出てきたと思ったら、耳に携帯電話を当てている。界はぎゅっと心臓が縮むのを感じた。
(誰にかけてる?)
俺の電話には出ないのに、と思った瞬間、八神サンが彼女のことを呼び止めた。
先ずそこで額に青筋を刻む界であるが、しかしこれで終わりではなかった。
八神に話しかけられて立ち止まり、何やら戸惑ったような様子を見せる緋乃、そんな彼女の背後に今度はノイマンが現れて、あろうことか緋乃に背中から抱きついた!
「殺す!」
「ワー待って、頼むから堪えてぇ!」
吠える界、それを押さえるジョージがじたばたもがいている内に、他でもない緋乃自身がノイマンをぶっとばした。しかし結局その後八神とノイマンと何かやりとりをして、最終的にはとても嫌そうな顔で(ここ重要)彼等二人に連れられて行った。
界は無論、即追いかけようとしたのだが、ブレーキジョージに止められた。
「だから待って! ただ追いかけたら君ストーカー!」
「だったらどうしろと……っ離せこのヤロ」
「いいから、僕と一緒にこっちこい!」
ぜーはーと息を乱して必死な親友に説得されて、界は不服ながらも先ずは大和ファーマ社内に入ることになった。
***
受付時間にはギリ何とか間に合った。というか、本当ならアウトかもしれないところをジョージが王子の微笑で合法化したのであった。
要件もなんか適当なことをうまいこと誤魔化していたように思うが、界としてはもう何でもいい、とにかく緋乃に会わせてほしい、それだけだった。
「秘書課は14階だそうです」
「……お前誰と約束だって言ったんだよ?」
体よくパスカードを発行してもらってきたジョージと共にエレベーターに乗り込む。そして目的の階に降り立つと、そこには……
「いやぁあぁあ!! 本当に本物のSuits~~!!!」
身をよじらせて叫ぶ、巨大な男性が待ち構えていた。




