1
昨夜、パート勤務している父親の病院にて夜勤を勤めたのち、家に帰って沙絵は眠った。あんまり寝すぎても体内時計が狂うので夜勤明けの仮眠は二時間程度にしている。
そういうわけで午前中の10時位に頭を押さえながら起き上ると、折よく海外に住む友人から電話がかかってきた。
始めはねぼけまなこだったが、彼の話を聞くうちに、沙絵は完全に覚醒した。
「やっだ、やるじゃんジョージ! それで、あの子たちうまくやったの?」
何が起きたのかというと、ドイツに出張している親友と、同じくドイツで働く親友の元カレを、これまた別の友人がデートさせたらしい。
身も蓋もない言い方をすると、ぐうぜん再会しちゃった緋乃と界をジョージがもう一度くっつけたくてはめたのだ。
「多分。今日の界を見たらうまく行ったんだと思う」
電話の向こうでジョージが甘い声で笑う。あいかわらずイケボだよな~、眠くなりそう、とか思いつつ沙絵はさらに突っ込んだ。
「どうなってたの? 機嫌よかった?」
「いや、そのパターンじゃなくて、物憂げに遠くを見てため息吐いてた。僕を殴ろうと思ってたけどその気力がなくなったって」
「あらぁ。恋する界くん再びだわね」
沙絵はくすりと微笑んだ。大学時代を思い出す話だ。
かつてまだ恋人同士になる前、界は緋乃に切実な片想いをしていたのだ。それはもちろん緋乃もだが、界は特に、なんていうか、緋乃以外目に入ってません的な一途さが見ているものの胸を打つほどだった。
「でもさー、不思議。カイくんってもてるじゃん」
「うん。こっちでももててるよ」
「だよね? 美しき東洋人って感じだもん」
欧米人と遜色ないほど背が高く、高い鼻に形の良いアーモンドアイ、すっきりとした輪郭。五か国語に堪能だし仕事もできる。何よりチェロの腕は天才に近い。
そんな彼は学生時代からそれはもてた。
沙絵の知り合いも半分以上彼に憧れていた記憶がある。もちろん沙絵も嫌いではなかったが、なんていうかそれは美しきハリウッド俳優を愛でるような気持であり、お付き合いは想像できなかった。たぶん性格が合わない。
いやまぁそれはどうでもいいとして。
「外人の女性って、イメージ的に率直にベッドに誘ったりしそうだけど。実際どう? 界くん誘われてる?」
「こっちの恋愛事情って三種類なんだよね。同じ人種じゃないと恋愛対象じゃない人と、カッコ良ければ人種違っても構わない人と、違う人種がむしろ好きって人と。界の場合は東洋人好きな女性とか、確かにアタックはよくされてるね。まったく相手にしてないけど」
「そう、そこが不思議なの!」
沙絵は声を上げた。
短パンの足元であぐらを掻き、手にしたコーヒーに唇を突ける。
「……普通の男だったらフリーの時に誘われたらベッド行かない? 付き合う気分じゃないけど欲を満たしたいってときはどうしてもあるでしょ」
「ん~まぁ~ねぇ~」
「でも界くんは緋乃と別れて三年も! 経ってるのにそういうことをしてる気配がないと」
「ないない。絶対ない。そんな暇ないぐらい働いてるし、会社でゲイとか言われてるくらいだから」
「ゲイ~~!」
ジョージの言葉にぶっと沙絵は噴出してから、とにかくね、と呼吸を整えて言葉をつづけた。
「緋乃は確かにきれいだし、可愛いけど、その理屈で女を選ぶならあのこである必要はないと思うのね。金髪美人でいいと思うの」
「うん。そうだね」
うなづくジョージは相変わらずの女の子好きである。最近彼女ができたらしい。
相手がだれか突き止めねば、と思いつつ、沙絵は受話器の向こうに言った。
「けど界くんはそうじゃない。つまり、緋乃そのものが好きってことでしょ?」
「うん。彼女だけをね。ずっと想いつづけてる」
「でも本人にその自覚はなくて」
「そこがね~~~~めっっっっちゃ苛々する!」
ぷはぁと息を吐くように叫んだジョージ。沙絵は微妙に受話器から距離を置いた。
「彼さ、ヘンなとこにブレーキついてんだよね。大学の時を思い返してもわかるけど、緋乃を口説き始めるまで意味わかんないぐらい時間がかかったでしょ」
「あ~かかったねぇ。三年生になるまでむしろ嫌いって言ってたし。小学生かよ! って思ってた」
「僕も。でもさ、実際口説きはじめるとすごいじゃん」
ジョージの言葉に沙絵はだまって頷いた。確かにすごかった。
別にめったやたらにデートに誘うとか連絡するとか、そういう意味のすごいではなくて、なんというか静かだが情熱的に愛を囁く感じだった。
「あの時界くんって中身外人なんだなって思ったのよ。やり方がなんかロマンチックで」
「そうそう。僕、もしかして女の子の口説き方知らないのかなーって思ってたから、びっくりした。でも見ててわかったのは、恋じゃなくて愛だったんだよね」
くっくと喉声を上げて笑ってから、ジョージはとにかく、と話を戻した。
「そんな彼だから、また口説くまでには時間がかかるだろうね」
「え~~~だって緋乃いつ帰ると思ってるの? 来週よ?」
「まあ、でもさ。僕らは仕事でまた会えるし」
「え?」
沙絵は何言ってんのジョージ、と思って眉を潜めた。また会えないよ。
すると受話器の向こうでジョージも「え?」と不思議そうな声を出した。どうやらわかってないらしい。
大問題だ! と沙絵は焦って彼に伝えた。
「ジョージ、待って! わかってる? 緋乃は、もうそっちにはいかないわよ。あの子はただの秘書なのよ?」
「え、でも、僕らは今度のイベントでチームを組んで一緒に仕事を──」
「仕事をするのは緋乃の上司とあなたたち! 緋乃がするわけじゃないわ。緋乃は、上司の補佐。今回そっちに連れて行かれたのだって通訳ができるからでしょ? 界くんがいるなら通訳の必要なんてないじゃない」
それに大前提として、緋乃は八神の個人秘書ではない。
沙絵が聞いた話では、大和ファーマ秘書課では誰がどの上司を担当するか年単位で変えているらしい。それを八神が特別に緋乃を気に入り、勝手に個人秘書的扱いしているだけだ。
「でもさ、八神さんは事務処理できなくて緋乃に頼ってるって言ってたよ。それって緋乃がいないと仕事できないってことじゃん? じゃあこれからも連れてくるでしょ」
ジョージは説得力の無い意見を展開したが、沙絵は肩をすくめてため息を吐いた。
「なによそのへっぽこな上司~。知らないわよって話でしょ。緋乃が希望するなら別だけれど、あの子は内勤者。他の同僚との役割分担だってあるでしょう。そこまで長く何度も会社を空けれるわけないよ」
そこまで説明すると、ジョージはようやく事の重大さをわかったらしい。
ワオとかなんとか呟いて、呆然とした声を出した。
「……じゃあ、もしかして、水曜までに何かアクション起こさないと」
「そうよ! 界くんはまた緋乃に逢えなくなる」
するとオーマイガーとジョージは叫んだ。
なめらかな発音だったが、沙絵はなんかうぜぇと思った。
***
電話が切れたのち、沙絵は少し考え込んだ。
良くやった! とジョージをノリで褒めてしまったものの、果たして本当にそれでよかったのだろうかと。
確かに沙絵もあの二人にはまた寄り添って欲しいと思っている。
お互いをまだ忘れられていないのが明白だから余計にそう思うわけだが、それはあくまで本人たちが望む場合だ。
大体問題が無かったら別れていないだろう。
それを、いくら友情だと葵の御紋を振りかざしても、私たち周りがつつくのは許されることではないのかもしれない。
(……ほんとうに、頑張ってたからね。二人とも)
あれだけ深く愛し合うふたりに、遠距離恋愛は辛かっただろう。
しかも国内ならいざ知らず、海外である。
だが二人は弱音を吐かなかった。我慢して、努力して、勉強して、働いていた。
連絡を怠らず、何かあれば話し合い、会いに行くためにお金を貯め、向き合うことを決して怠らなかった。
緋乃はいまでもずっと自分を責めているが、沙絵に言わせればあれ以上にできることはなかったと思う。
少なくとも、自分ならあそこまでもできなかった。
沙絵としては、緋乃の親友として、界に言いたいことは山ほどある。
最愛の恋人がいて、チェリストになる夢を追いかけ、実際叶えて。そこに一流企業で働くスペックが加わるとか、もうなんか何でも出来すぎてほんとうに貴方ゼイタクよと思っていた。
人は、欲しいもの全てを手に入れることはできない。
だが界はそれができてしまう力を持つ。そしてできると信じているのだ。
(緋乃はたぶん、そういう彼に辛くなったんだろうな)
恋人がいて、夢も叶えて。仕事も充実して。
じゃあ私は? と、女なら思ってしまう。手に入れられたあとの私は、どんどん前に進む彼の、何になってしまうのだろうと。
緋乃がそう思っていたとは言わない。これはあくまで沙絵の意見だ。
だが。
──女は男に選ばれたいのよ
仕事じゃなくて君がいいって。夢をあきらめても傍にいたいと。
たぶん無意識に言ってもらいたいと望んでいる。
だが緋乃は良い子で、いつだって自分のワガママを通すよりも界を支えることを選んだ。だからこそ身を退いたのだ。
界がそのことを理解しているかどうかは今もってわからないが。
「緋乃は、元サヤ望まないかもしれないなー……」
沙絵ははあと呟いて、若干冷めてしまったコーヒーを啜った。難しい、と思う。
あれだけの大恋愛を自ら終わらせた傷は大きいだろう。
遠距離も男性ももういやだと緋乃が臆病になってしまっていても、誰を彼女を責められまい。
でも。やっぱり緋乃と界くんには、想いを貫いてほしいとも思う。
沙絵は考えた。
なんていうかあの二人の気持ちは『本物』だと感じている。
ジョージが言っていたように、恋じゃなく愛なのだ。