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きんいろのつばさ  作者: 小糸
side KAI
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1

 


 ──今にして思えば。


 俺は彼女だから恋をしたのだ。

 まだ子供だから、それがどういうことかをわかってはいなかったけれど、本当に心から愛していたのだ。

 彼女を失った喪失はけっして埋めることが出来ない。

 もう本当の意味で人を愛することは二度とない。

 そのことが、今にしてよくわかる。





 ***きんいろのつばさ***





 多忙を極める日々。

 こなしてもこなしても減らない仕事、その合間に鳴り止まないあらゆる国からの電話。

 上司である魔女のような秘書の気まぐれで外に連れ出されたかと思えば、今度はいきなり来客のアテンドを頼まれて、へとへとになって帰りついた家で眠る時間をけずって楽器の練習をする。

 休日はコンサートに録音と、まさに休む間もない日々だ。

 ──気が付けば欧州こちらに戻ってまる四年。

 それはつまり、彼女と別れてからも既に三年が経過したことになる。


(こんなにも忘れられないとは……)


 まったくもって計算外だ。

 先ほど上司に渡された書類の束を指で弾き、かいは苦く自嘲した。


「カイ!」

「お、ジョージ」


 一階のだだっぴろいエントランスで偶然にも友人とすれ違った。きらきらするダークブロンドに輝く碧の瞳がダークな色のスーツによく映えている。

 まみえるのはひと月ぶりだが、その容姿がさらに西洋人に近く変化している気がして、界は首を傾げた。


「久しぶりだな。本社ここに用事か?」

「ウン。専務に呼ばれて」


 立ち止まって言葉を交わす。

 そう、と答えながら、日本語で喋るのは久しぶりだなと思った。


「ってかお前、髪染めた?」

「ノウ。染めてないよ。なんで?」

「や、前よりきらきらしてるから」

「やっぱそうかぁ」


 界の指摘にジョージは前髪を指先で摘んでため息を吐き出した。


「自分でもそう思ってた所なんだよな~。ヨーロッパ来てから何となく、肌も白くなっちゃったし」

「日照時間の関係じゃん?」

「多分ね。眼もほとんど碧色になっちゃったし」

「いいじゃねぇか。きれいだし」


 界が率直に賛美すると、ジョージも短くありがとうと答えた。

 微妙な間が生まれ、二人は素早くお互いの顔色を観察し合うと、自分たちが同じほど疲れているということを読み取った。

 そしてジョージが先に言った。


「ランチを一緒にどうかな?」


 たぶん彼が言わなくても自分の方から誘っていただろう。界は素直に嬉しくて笑って答えた。


「いいぜ。これから近くの支店に書類届けにいくとこだから、一時間くらいならいける」

「そういうことなら僕も用事はあとにしよう」


 界の嬉しそうな顔にジョージもまたくしゃりと破顔一笑する。


「別に急ぎじゃないみたいだし」

「だいじょぶかぁ? あんまり悠長にしてるとグレーテルが出てくるぞ」

「あの人は僕を気に入ってくれてるからね~。急なレッスンが入ったとでもいえばなんとかなるさ」

「っはは、色男の余裕だな」


 懐かしい軽口すら耳に快い。

 界は自分でも意外なほどに気持ちが高揚するのを感じながら、ジョージと二人、ドイツの一大企業であるヒルデブラントグループの本社ビルを後にした。



 先ずは支店ブランチに届けるように指示されていた書類を滞りなく届けてから、二人は大通りから少し離れたレストランに入った。赤いアーケードが特徴のカフェのような店だが、昔ながらのドイツ料理に定評がある店だ。

 季節は初夏を過ぎており、気温はだいぶ上がっているが、日本とは違って湿度が低いのでほとんど暑さは感じない。

 二人はそれぞれに手頃な食事を頼むと向かい合った。


「緋乃から連絡来た?」


 ジョージが微笑みと共に発言し、界は動揺を表に出さないことに全力を注いだ。たっぷり数秒沈黙を置いてから、ふうっと息を吐き出して答える。


「……言うと思ったぜ」


 界は喉から引っかかるような声を出しながら椅子の背に身を預けた。

 はぁと深くため息を吐きながらネクタイの結び目に指を突っ込んでゆるめる。


「ま、仕方ねぇな。お前が知らないわけはない」

「で? 連絡来たの? 来てないの?」


 御託はいいとばかりにジョージが繰り返すので、界は彼を軽く睨んだ。


「来てねえよ。当たり前だろ」

「でも、僕はこの間会ったよ。」

「え?」


 界は何を言われたのかわからなかった。

 思わずジョージを凝視すると、彼はますます笑みを深くして答えた。


「あいかわらず、嫌、なお一層綺麗になってたよ。大人っぽくなって。セクシーだったな」

「…………、」

「聞いただろ? 今度うちとの企画で、彼女の会社の役員が来社するって。で、秘書の彼女も同行すると」


 饒舌なジョージとは対照的に、まるで言葉を忘れたかのように全身を硬直させていた界は、ようやく無難なひとことを唇にのせた。


「き、いた、けど……」


 するとジョージはにっこりして頷いた。


「なら話は早いや。僕、君とやりたいって言ったから。よろしくね」

「──は?」


 意味がわからない。

 界が眉を潜めたところで、給仕が大皿に乗せたポークステーキを運んできた。

 ジョージは手を上げてそれを受け取る。ほぼ同時に別の給仕が界の鶏肉も運んできた。しかし、料理には目もくれず界はジョージに向かって身を乗り出す。


「おい、ちょっと待て。意味が……」

「いやだから。マーケティングには営業が必要だろ? でも適当嘘つきなだけの営業は信頼できないだろ? だから公私ともにわかり合ってる君と僕はよく組むだろ?

 それで今回も君を指名しただけだけど。何か問題が?」

「大有りだ!」


 バン、とテーブルを叩き、界は叫んだ。

 いつのまにか立ち上がっていた自分をジョージと周りの人間が見つめてくる。

 周囲の視線はすぐに離れて行ったが、親友のそれは揺るがない。

 彼はじっと界を見つめて、それから優しく「座って」と言った。


「カイ。座って」


 And then,Let’s talk.


 界はすぐには従わず、切り口上で訊きかえした。


「Talk what?」

「それは勿論、緋乃のこと」

「話したくない、と言っているんだ」

「仕事なんだよ。どうしたって顔を合わせる。もう別れたなら。心残りがないのなら、仕事に私情を挟んじゃだめだ」


 冷静な友人の言葉に界は言葉に詰まり、ようやくどさりと椅子に座った。

 そのまま髪を乱暴をかき上げ、額に手を置いて息を吐く。

 眼を閉じる。

 すこし、冷静さを取り戻して考えた。ジョージは正しい。


 確かに、仕事なら。もう過去の話なら。

 俺にNOと言う権利はない。

 それなのにこんなにも顔を背けたいのは、俺がまだ彼女を想っているから。


 ああ、嫌になるな。本当に。


「──好きなんだね。まだ」


 柔らかいジョージの声が、心の中を言い当てた。





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