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誕生と終焉

「覚悟はできたか?」

廃屋敷に帰ってから半日休み、再び夜の帳が下りた。今夜は満月だった。冷たい月明かりに照らされたベッドの上で彼と向き合って、問いかける。

「ええ、お願いします、カルディア様」

アザレは神妙な面持ちで頷いた。俺はその返事に満足すると、サクラが贈ったワインの栓を開け、二つのグラスに注いだ。

「乾杯」

それぞれに持ち、グラスを軽くぶつける。香りを楽しんでから、黙ったまま二人でそれを吞み干した。サクラが『いつかその時』が来るまで取っておいたとっておきのワインは、今まで呑んだ中で最高だった。


「それで、吸血鬼になるためにはどうすればいいのですか?」

おずおずと聞いてきた彼の瞳は期待に輝いていた。ハーフとしての苦しみからようやく解放されるのだ。無理もない。俺は着ていた漆黒のコートを脱いで床に落とした。

「要するに、おまえが吸血鬼になるには俺が理性を保てればいいんだ。おまえの美味さに呑まれず、理性を保ったまま儀式を終わらせればいい。情けねえ話だが、今の俺にはそれは無理だ。俺には力がなかった」

アザレもジャケットを脱ぎ捨て、ブラウスの襟元をはだけさせる。白い首筋には、俺がつけた噛み跡がくっきり残っていた。

「では、どうすれば……」

俺は持っていたナイフを彼に差し出した。アザレは驚いたように目を見開いていた。

「これで俺の心臓を刺せ」

本能に囚われず理性を保つためには、他に意識を集中させればいい。彼の血に抗う方法は、おそらくこれが最適だ。とりわけ痛覚は、嫌でも刺激を感じる。ハーフであるアザレなら尚更だ。

「俺はもう長く生きすぎた。力が強いって言っても、昔に比べれば随分衰えてきてる。おまえなら、俺を傷つけることができるはずだ」

「そんな! だめですよ、そんなの! 僕ハーフなんですよ! そんなことしたら、あなたは……!」

ハーフは不死である吸血鬼を殺す能力を持っている。彼に心臓を刺されれば、間違いなく俺は死ぬだろう。

アザレは幼子のように首を振って涙を流した。嗚咽を漏らしながら、ひたすら「だめ」と譫言のように繰り返していた。

「吸血鬼になるんだろう」

俺は震える彼の手に、無理やりナイフを握らせた。手を取って、切っ先を自分の胸に当てさせる。

「あなたを犠牲にしてまでなりたかったんじゃありません! あなたを殺すくらいなら、吸血鬼になれなくてもいいです……!」

なおも抵抗する彼の唇を塞いだ。触れるだけの軽い口づけだ。アザレは涙に濡れた目を見開いて、胸を衝かれたように固まった。

「立派な吸血鬼にしてやるって約束しただろ。今更こんなことで諦めるんじゃねえ。これからおまえは吸血鬼になるんだ。吸血鬼ってのは他人を利用して、他人の屍を踏み潰して生きてく生き物だ。これしきのことでくよくよ泣いてるんじゃねえよ。強くなれ、アザレ」

端整な顔が悲しみに歪む。俺は構わず彼の首筋に舌を這わせ、早口で呪文を唱えて噛み付いた。じわりと口の中に鉄の味が広がる。無機質的な味が、次第に芳醇な香りを滲ませ、ねっとりと舌に絡みつく。

「カルディア様! やめてください!」

アザレが酔っていないせいか先日よりも少し味は劣るが、俺を呑み込むには十分だった。早くも理性が働かなくなってきている。俺はナイフを握った彼の手を包み、胸に押し当てる。

「い、いや、嫌です、カルディアさまっ!」

鋭い痛みに少し理性を取り戻したが、油断するとすぐに本能に囚われる。ナイフを握る手に力を込めてさらに肉を裂く。抉るようにナイフを動かし、痛みを広げた。

首元に埋めた顔を少し上げると、揺れている彼の片目がじわりと緋を帯びていくのが見えた。あと少しだ。もう少しで、彼を苦しみから解放してやれる。自然と目元が綻んだ。

「カルディア様……、もう、おやめください……」

力無く俺の名を呼ぶアザレに、最期だけでもと頬を撫でた。白い頬が血で赤く染まる。

「楽しかったぜ、アザレ」

「カルディア様……!」

涙に濡れたその瞳の緋が強くなってきている。元の灰色と混ざって自分のよりも少し燻んだ色のそれは、彼が吸血鬼になりつつある証だ。血に濡れた手で目元を拭ってやると、彼は一層顔を歪ませた。

俺は彼の肩を押してベッドに押し倒した。あと少し。再び首筋に噛み付いた。体を押し付けた弾みで、ナイフが深く刺さる。心臓まで切っ先が届き、強い疼痛が全身に広がった。

「あと少しなんだ……!」

口の中で小さく呟いたその瞬間、アザレの瞳が完全に緋く染まった。ああ、吸血鬼になったんだ。よかった。

しかし、ほっと安堵する暇もなく、意識が遠のいていく。指先の感覚がなくなり、視界がぼやけ始めた。最期に、こいつの綺麗な顔も見られないのか。そう思うと少し名残惜しかったが、彼を苦しみから解放してやれたという満足感と達成感の方が優った。感謝と謝罪を繰り返すアザレの声がどこか遠くで聞こえる。何百年も生きた人生の終焉に満足しながら、俺はついに意識を手放した。

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