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親友

廃屋敷の古びたドアを開けると、そこにアザレの姿はなかった。目を覚ますのが早かったか。思わず舌打ちが出そうになったが、慌てて思い直した。おそらく彼はあまり遠くへ行けない。もうすぐ陽の昇る頃だし、あれだけ血を抜かれたんじゃ貧血になってしまうだろう。案外近くにいるのではないかと思った刹那、背後から声がした。

「カルディア様、おかえりなさいませ」

声をかけられるまで全く気配を感じなかった。吃驚して振り返ると、アザレが柔らかな笑みを浮かべて立っていた。

「あんた、俺を怒らないのか? 俺はお前を吸血鬼にしてやれなかったんだぜ」

訊くと、アザレは少しだけ瞳を翳らせた。

「僕はあなたを信じると言いました。それに、あなたは十分僕に尽くしてくれました。吸血鬼になれないのは、やはり僕に原因があるんじゃないかと思うんです」

ひたむきな姿に当てられて、俺は思わず顔を背けた。

「……いや、お前に非はねえ。俺が悪いんだ」

「どういうことですか?」

首を傾げるアザレの手を引いて、ソファに座らせた。ぼろぼろに破れているカーテンを閉め、彼に向き直る。秘密にすべきではない。彼に真実を教えねばならない。そう思うが、なかなか言葉が出てこない。いやに口が乾く。

「……あの、どうしたのですか?」

アザレは心配そうに俺を見上げていた。その瞳は微かに揺れている。庇護欲の掻き立てられる姿に、胸を締め付けられる。俺は小さく深呼吸をして、彼に真実を伝えた。

「僕が美味しいから駄目……ってことですか?」

「まあ……そんなとこだ」

真実を知ってもアザレは衝撃を受けた様子はなく、呆気に取られたように固まっていた。少し頬が赤かった。

「だって僕、処女じゃないですよ? ハーフにされたときに喪いましたから」

「何故かは俺にもわからねえんだ。家系とかが関係してるのかもしれねえし……。お前、出身は?」

「僕はこの町出身じゃないんです。ここからずっと南下した先にある、アールヴヘイムという小さな町です。そこで兄と妹と3人で住んでいました」

世界地図を頭に浮かべたが、最後に見た地図は何百年前だったろうかという別の疑問が湧いてきた。頭を振ってそれを払い、さらに問いかける。

「親は?」

「15年前、亡くなりました。あまり覚えていませんが、確か父は領主様に仕える騎士だったと思います。母は……えっと、昔修道女をしていたと聞いた覚えがあります」

聖職者か。だとしたら清らかな血を継いだというのも頷ける。この町に聖職に就けるようなところはない。リーサルガッズは山奥の辺境に位置しているが故に、他の町から来る人は少ない。だからこの町に聖職者がいること自体稀なのだ。今まで聖職者の血を味わったことのないリーサルガッズの吸血鬼たちがアザレの血に沸き上がった理由に、ようやく合点がいった。

「お前の血が美味いのは、まあこの際どうでもいいんだがな。問題なのは俺がそれに耐えきれねえっつーことだ。お前をハーフにした奴もだが、俺みたいな相当力のあるやつじゃねーと呑み込まれちまうみてえだ。俺でさえギリギリ保ってる程度だがな」

苦虫を噛み潰すように言うと、アザレは不安そうに眉根を寄せた。お前がそんな顔をする必要はない。すべては俺が力不足なだけなのだ。そう伝えたいのに、変なプライドが邪魔をして言葉が出なかった。

「……やっぱり僕は吸血鬼になれないんですか?」

泣きそうな声でアザレが言うと、喉のあたりが焼けるように痛くなる。俺はそれを抑え、いつもの笑みを浮かべてみせた。

「いいや、ひとつだけ方法はある。試してみる価値はあると思うぜ」

不安の色を滲ませていたアザレの顔色がぱっと明るくなった。ソファから立ち上がって俺に駆け寄り、俺の両手をとって彼は嬉しそうに急いて言う。

「そうなんですか! ぜひ試させてください!」

「そう焦るんじゃねーよ。それにはいろいろ準備が必要だし、何よりもうすぐ夜が明ける。吸血鬼になる前に人間に見つかっちまったら元も子もねえだろ?」

アザレはハッと我に返ったように目を丸くして、少し頬を赤くしてはにかんだ。

「そ、そうですよね! はしゃいでしまって恥ずかしい……」

あどけない姿に笑みがこぼれる。俺は少し背伸びして彼の頭をくしゃりと撫でると、手を引いてベッドに寝転がった。抱き枕代わりのように彼に抱きつく。

「俺は寝る。お前も寝られるうちに寝とけ。今夜は夜通し働くからな」

「僕、さっき起きたばかりですよ。もう眠れません」

胸の中でアザレがもぞもぞと身動ぎする。もう眠気はそこまで来てるのに、睡魔を邪魔するアザレが鬱陶しかった。

「俺の呼吸に合わせて、心臓の音を聞け。そうしたら、眠れるさ……」

言っているうちに、いつの間にか意識を手放していた。自分のよりもずっと高いアザレの体温が心地よかった。



目を覚ますと、腕の中で眠っているはずのアザレが居なかった。気怠い体を起こしてカーテンを開けると、満月間近の少し欠けた月が輝いていた。

「お早うございます、カルディア様」

背後でドアの開く音がしてアザレの声がした。振り返ると、その手には上物のワインが握られていた。

「……どこでそんないいやつ手に入れたんだ?」

訊くとアザレはポケットから一枚の紙切れを差し出した。

「屋敷の外に置いてあったんです。カルディア様宛のメッセージと一緒に」

「は? 誰から……」

紙面に目を落とすと、見慣れた筆跡で俺とアザレの名前が綴ってあった。それに続けて『After leave it』の文字。差出人は書いていなかったが、それが誰なのかは一目瞭然だった。

「誰からなんです?」

「俺の……友人だ」

やはり彼は俺がやろうとしていることを察している。それでも彼は何も言わず俺の考えを尊重してくれている。口も態度も悪いが、なんだかんだ言っても根は良い奴だ。彼になら何を任せても心配ないだろう。

「後で飲む。そこに置いといてくれ」

アザレが瓶をテーブルに置くと、さっきまで手で隠れて見えなかったラベルが見えた。このワインはサクラの生まれた年に作られたワインだった。彼が『いつかその時』が来るまで決して開けないと言っていたワインだ。彼は何を思ってこのワインを贈ったのだろう。『その時』というのは、いつだったのだろう。

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