アッシュ
「やっと、見つけた」
今まさに獲物を頂こうとした瞬間、どこからかそんな声がした。気を取られた一瞬の隙を突かれ、あっという間に獲物は逃げてしまった。折角のディナーを邪魔され、顰め面で声のした方を見遣る。
アッシュグレーの落ち着いた髪色に、色素の薄い肌。女かと見紛うほどに目鼻立ちのきりっとした美しい顔。背丈はそこそこ高く、なかなかの上物だ。……と思いかけたが、残念なことに同族だ。緋く煌る彼の眼が何よりの証拠だ。
ここは吸血鬼の住む町、リーサルガッズ。今となってはもう少なくなってしまったが、かつては大勢の吸血鬼がこの町を牛耳っていた。しかし、ほとんどの吸血鬼はヴァンパイアキラーによって殺されてしまい、わずかに残った一族が人間に隠れて細々と暮らしている。
緋の眼をした者は吸血鬼。吸血鬼は殺せ。この町では幼い頃からそう教え込まれているのだ。
「何か用?」
至福の時間を邪魔された怒りを込めて睨みつけると、男は細い身体を折り曲げて、こうべを垂れた。吸血鬼にしては殊勝な振る舞いに違和感を感じつつ、男の言葉を待った。
「あの、餌を逃してしまったことは謝ります。ごめんなさい」
男は遠慮がちに小さな声で言った。改めて男の姿をじっと見つめると、その違和感の正体に気がついた。
「ハーフ?」
男の瞳は、片方だけが緋だった。もう片方は髪色と同じような深いグレーだ。普通吸血鬼は、先天的であっても後天的であっても必ず両眼が緋くなる。例外があるとすれば、吸血鬼と人間の混血か、あるいは吸血鬼になりきれなかった者。一般にダンピールと呼ばれる者だ。
俺の言葉に男は小さく頷いた。
「僕は昔、吸血鬼に襲われました。けど、吸血鬼になれなかった。どうしてかはわからないけど、僕を襲った吸血鬼は途中で逃げてしまって、僕は中途半端になってしまったんです」
捕食の最中に餌に逃げられる、という話は聞いたことがあるが、吸血鬼が自分から逃げるなんて聞いたこともない。リーサルガッズで吸血鬼の居場所が無くなった今、餌を食えるなんて滅多にない機会だ。そんなチャンスを自分から逃す奴がいるなんて、考えられなかった。
「で? 俺に用があるんだろ」
男の話は信用できないが、わざわざ俺を訪ねてきた理由は気になった。男は鋭い光を緋と灰の双眸に灯して言った。
「……僕を、完全な吸血鬼にしてほしいんです」
男は恐ろしいほど真剣な顔で、俺をまっすぐ見つめた。冗談とは思えなかった。
「こんな半端な身では、人間のように太陽のもとで生活することも、吸血鬼のように闇に紛れて生きることもできません。だからせめて完全な吸血鬼になれたら、って思ったんです」
彼の言うことは最もだった。ハーフなら吸血鬼の持つ力も半分だが、もう人間としての生活はできなくなる。ダンピールとして産まれた者はみな、完全な吸血鬼になることを望むのだ。
「お前、ハーフならヴァンパイアキラーにでもなれば」
ダンピールは吸血鬼を探知し、不死である吸血鬼を殺せる能力を持つ。それゆえにダンピールがヴァンパイアキラーになるケースもある。
「……殺しは好きじゃありませんから」
男はそう言って俯いた。これから吸血鬼になりたいって奴が、殺しが嫌いだと? 笑わせる。
「お前が吸血鬼になりてえってのはわかったけどよ。お前、吸血鬼のこと知ってんのか? 吸血鬼が餌に選ぶのは穢れなき乙女だぜ。この際男だとかはどうでもいいけど、あんた処女じゃねえだろ? 俺はメシは選ぶ方なんだ。血ならなんでもいいってわけじゃねえ」
正直男の容姿は好みだったが、処女だけは譲れない。処女の血の美味さといったら、他のものとは比べ物にならないほどなのだ。滅多にありつけるものじゃないが、一度その美味さを知ってしまうと病み付きになってしまう。かくいう自分も例に漏れず、俺は処女の血しか選ばない。
「他の奴当たれよな」
そう言って立ち上がろうとすると、男は行く手を阻んだ。両手を合わせて懇願する。
「他の人じゃ駄目なんです! あなたじゃないと……」
「何でだよ」
「あなたが最後なんです。他の人のところにも行きましたけど、全員駄目で……。リーサルガッズで一番力の強いあなたなら出来るだろうって言われて、あなたを捜していたんです」
そう言われて、悪い気はしなかった。この町中の同族から、一番が俺だって認められたということだ。他の奴が駄目だっていうのはよくわからないが、こいつを吸血鬼にさせることができれば、俺に箔がつくんじゃないか?
好みの男が自ら餌を差し出してくれる上に、今後の吸血鬼人生に箔がつくなんて、一石二鳥ではないか。処女の血じゃないってとこだけは頂けないが、まあその辺は我慢してやる。さっき餌を逃がされた礼もしてやらなくてはな。
「……じゃあ、一等美味いメシ食わせてくれよな」
男は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ありがとうございます! 僕はアザレっていいます。あなたは?」
「俺はカルディアだ。俺があんたを立派な吸血鬼にしてやるよ」
アザレの腕を掴んで、空高く舞い上がる。夜はまだ始まったばかりだ。せいぜい遊んでやろう。俺はそんな程度にしか思っていなかった。