1話6
「──まったく、なんで、あんなのが生まれてきちまうんだかな」
横臥した頭を片手で支え、首長は軽く溜息をついた。
それは、およそ二十年前、あの大陸北端の街、ノースカレリアで起きたのだという。
当時、まだ遊民たちは、街で市民と暮らしていた。
遊民たちを蔑視する市民たちとの間には、日々小競り合いこそあったものの、なんとか大過なく過ごしていた。あの事件が起きるまでは。
それは、暴徒と化した市民の手によるジェノサイド。
寝込みを襲われた遊民たちが、なすすべもなく命を落とした。辛くも生きのびた者たちも命からがら街を追われ、各地を放浪する発端となった。
後に「異民狩り」にまで発展したこの暴動のきっかけが、遊民ガライの行いだった。
それまで街の遊民を漫然と甚振ってきた市民たちの、遊民に対する危機感を、ガライが煽ってしまったのだ。正しくは、彼がひた隠しにしてきた、その並外れた怪力が。
ガライはその特異な力を、人前で揮ってしまったのだ。
荷馬車の下敷きになっていた、市民の夫妻を助けるために。
「突然変異というのかな。俺たち混血の同胞には、変り種が生まれることがある。──どんなふうに言えばいいのか、あいつらは根本的に違うんだ。これが同じ人間かと思うこともしばしばだ。桁外れだからな、連中は。動く速さも、腕っ節の強さも」
エレーンは戸惑い、首長を見つめた。首長はこの話をする前に、ケネルたちの名をあげた。つまり、あの三人も、ガライと同じ変り種ということ?
「ま、ウォードはあの通りだから、あんたももう気づいたろうが、あんたの盾の副長も、少しばかり毛並みが違う」
「へ? あの女男?──でも、あいつうるさいけど、それだけで別にどうってことは」
ちら、と首長が流し見た。
「奴は占いが得意だぜ」
「……え゛?」
あのガミガミうるさい粗暴さは、深淵を覗く神秘とは、かけ離れてる気がするが……
ガサ──と遠くで藪が鳴った。
音が次第に近くなる。ウサギだとかリスだとかの、小さな動物の類いではない。
お? と首長が片眉をあげた。
「やれやれ。やっとお出ましか」
体を起こしてあぐらをかき、気だるそうに項を叩く。
ザッ──! とそれが左の藪から走り出た。
特徴のある風貌の男。振り払われた髪先が、さらり、と舞って背中に収まる。
首長があくびで頭を掻いて、ちら、とそちらに一瞥をくれた。「脇が甘いんじゃねえか? 副長さんよ」
「──又あんたか」
ファレスが辟易と顔をゆがめ、つかつかこちらに歩いてくる。「ちょっかい出すのはよしてくれ。どれだけ捜したと思ってる」
「血相変えて飛んでくるなら、ぴったり張り付いていりゃいいじゃねえかよ」
ぐっとファレスが言葉に詰まった。
こめかみに汗を光らせて、無言で首長をねめつける。
形の良い眉をひそめて、苦虫噛みつぶして舌打ちした。「こんな所で何をしている。あんたの返答次第では──」
「見てわかんねえか? デートだろ」
は? とエレーンは首長を見た。
……でーと?
こそこそ首長と内緒話。
(いいから話を合わせとけって)
(やっ。でっもぉー!)
乙女心は中々複雑。
「ま、そうカッカしなさんな」
構わず首長は、苛立ったファレスを仰ぎやる。「お手々はしまっておいたからよ。勝手に悪さをしねえようにな。ああ、念のため言っておくが」
くわ、と大きくあくびして、森のかなたを顎でさした。
「うちのじゃねえぞ、あっちのは」
「──わかってる!」
ファレスも苛々舌打ちで返す。「たく。頭がしょぼくれると、すぐこれだ!」
「アドの所には、怒鳴りこんでくれるなよ」
首長が腰をあげながら、ファレスにそつなく釘をさした。「ちょっと取りこんでんだよな」
「たく! いつまで遊んでんだ、あの赤毛は。カーシュが睨みを利かせてりゃ、少しは大人しくしてるだろうによ!──にしたって、これじゃあ中々見つからねえ訳だぜ。こんな所に、隠れやがって」
忌々しげなファレスの顔を、ぽかん、とエレーンは仰ぎ見た。隠れた覚えなど、さらさらないが。首長が寝転がってしまったから、それに合わせて座っただけだ。
ピアスの首長と対峙して、ファレスは渋い顔つきだ。
並び立って話す横顔を、エレーンは交互に盗み見る。ちょっと入れない雰囲気だ。いつにも増してファレスがピリピリ。今、ちょっとでもなんか言ったらば、絶対、怒鳴り飛ばされる……
ふと、ファレスの顔をしげしげと見た。
首長に聞いた先の話。確かに顔こそきれいだが、とてもそんなふうには見えないが。
(……占い、ねえ)
こんな気の荒い粗暴な奴が?
無理やり型に押し込めた姿が、むくむく脳裏に涌いて出た。
薄暗いテントの中、小ざぶとんの水晶を覗く、ローブ姿の占い師。どうせ、机に足を投げ、態度悪く喫煙しながら──。
「──なに見てんだ」
ファレスが鬱陶しげに顔をしかめた。
はたと己の凝視に気づいて、あわあわエレーンは片手を振る。「あっと──んー。ううん! 別にっ?」
「そもそも、なんで、ここにいる」
叱責の矛先が飛んできた。
「勝手にうろつくな、と言ったはずだな」
エレーンはわたわた引きつり笑い、服を払って、ただちに起立。「や? ちょっと、追加の用がっ?」
「たく! 何度言ったら、わかるんだ」
ファレスがたまりかねたように睨めつけた。
「俺に断りもなく消えるんじゃねえ! 森には獣がうろついてんだよ! てめえが標的だってのに、ぷらぷら能天気にうろつきやがって!」
「──うるせえなあ」
首長が顔をしかめて耳をほじった。「いいじゃねえかよ、どこも食われてねえんだし」
「食われてからじゃ、遅せえってんだよっ!」
たちまちピリピリ、ファレスが噛みつく。首長が辟易としたように顔をゆがめた。
「そうガミガミ言ってやるなよ。気をつけるって、次からは。散歩も、お前と一緒に行く。な、それでいいだろうが」
「いいから、あんたは黙っててくれ!」
ファレスは突っぱね、まくし立てる。
「甘やかすと、つけ上がる! これが初めてじゃねえんだからな!」
がさ、とかなたで藪が揺れた。
次いで、ガサガサ草木が揺れる。
生い茂った青葉の先で、辺りを見まわす黒い髪。あれは──
「あっ!」
わたわたエレーンは手を振った。
「こっち! こっち! ケネル! ここ!」
ケネルがしきりに首を傾げて、辺りを見回しながらやってくる。
怪訝そうに顔を見た。「……呼んだか?」
あくびをかみ殺していたピアスの首長が、ふと、目をあげ、振り向いた。
つられてそちらに目をやれば、大木の下に人影が一つ。
影のようにひっそり張りつく、さらりと薄い茶髪の男。あの重たそうな革の上着は、彼も馬群の一員らしいが。
首長が気負いなく手をあげた。
「ザイ。ここだ」
長い前髪から覗く目が、確認するように一瞥をくれた。
ザイと呼ばれた茶髪の男が、無言で上着の懐を探り、にこりともせずに踵を返す。
「──ありゃ」
首長が困ったように苦笑いした。
構わず立ち去るザイの背へ、やれやれと足を向ける。「相変わらず、つれないねえ」
ファレスの脇を通りすぎ様、前を見たまま耳打ちした。
鋭くファレスが振り返る。
面食らった顔つきだ。
「ねえ。バパさん、なんだって?」
だが、眉をひそめて見送ったまま、ファレスは口をつぐんだままだ。
首長はザイに追い付くと、何事か彼に話しかけ、風道の方へと戻って行った。