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4話12

3話12


「──どうだった」

「ええ。馴染み深い物ですよ。バードが持ち歩く物より、純度が高い。《 リゲルズ・ドリーム 》──商売物の方ですね」

「"リゲル"──やはりそうか。こんな物を動かせる奴は、そうはいないな」

「しかし、御大自らお出ましとはね。どなたか一服盛られましたか。ご執心じゃないですか。それほど大事な方だとか?」

「気になるといえば、気になるな。なにせ大事な──」


「金蔓だ」



 天窓から降る夜が、ひっそり土間を照らしていた。

 戸口向かいの西の壁には、お定まりの小さな聖画。格子の壁に据えられた鉄鉤(かぎ)に、古い革袋が引っかけられている。壁には他にも、丸めたロープや使いこんだタオル。棚やら缶やら食器やら、生活感あふれる雑貨の類いと、簡素で小型の家財道具が、床に大雑把に寄せてある。

 すでに使っていた遊牧民のゲルに、後から割りこみ、借りあげたのだろう。無理に住人を追い出したようで、暮らしの名残りが至るところに見てとれる。南西の方角の壁際には、客用らしき寝具が一組──。

 怪訝に、ケネルは眉をひそめた。

 "それ"から目をそらさずに、肩から布袋(ザック)を、ゆっくり下ろす。

 星あかりのない暗がりに、闇が濃く、うずくまっていた。中央の土間と、寝床との間。

 利き手が、腰の刀柄を探る。北の寝床の枕側。空きっ腹をかかえた荒野の獣が、血の匂いを嗅ぎつけたか──。

 闇に、ふと、目を凝らす。

「……ファレス?」

 闇に紛れた寝床の横で、長い髪の傭兵が、ひっそりあぐらをかいている。

「どうした、火も熾さないで。寒くないのか」

 すぐに動き出せる立て膝でなく、珍しくあぐらの体勢だ。顔に落ちかかる長い髪で、表情こそは定かでないが、押し黙った腕組みで、険悪な気を放っている。

「どこをほっつき歩いていやがった」

 そして、開口一番、不機嫌な舌打ち。

 背をかがめ、ケネルは靴紐に手をかける。「悪い。ちょっと野暮用がな。もう出ていいぞ。俺が代わる」

「どこへシケこもうが勝手だが、さっさと済ませて戻ってこいよ! 女に引き止められでもしたのかよ!」

「静かにしろ、起きるだろ」

 ケネルは寝床の客を視線でさす。

 ファレスは尚も何事か言いかけ、だが、苦りきった顔で口をつぐんだ。冷えた絨毯をケネルは踏みしめ、部屋中央の土間へと向かう。

 鉄鍋に張られた水量を確かめ、かたわらのバケツを取りあげる。黒く盛られた燃料を、備え付けの火箸で拾い、(かま)の下へと放りこむ。

「ケネル。出ろ。話がある」

「──勘弁してくれ。今戻ったばかりだぞ。話があるなら、ここで聞く」

 (かま)の炎を手早く熾して、ケネルは靴脱ぎ場に立ち戻り、腕を伸ばしてザックを拾った。寝具の積まれた南の隅へ、それを無造作に放り投げる。

 土間の南に立ち戻り、膝に手を置き、あぐらをかいた。上着の懐に、嗜好品を探る。「で、何だ」

 ファレスが膝を崩して立ちあがった。中腰のまま、怪訝そうに目を戻す。

「……いつの間に」

 軽く舌打ち、やんわり、慎重に、上着を引っぱる。「おい──こら。放せ」

 上着の端を、白い拳が握っていた。寝床の毛布から引き出された手が。引けば引くほど、体を曲げてしがみ付き、ますます上着を奪われまいとする。

 ぷい、と彼女が寝返りを打った。

「──しょうがねえな」

 上着は彼女の下敷きだ。不自由な前のめりで、ファレスは上着から肩を抜く。

 上着を脱ぎ捨て、ランニングの腕をさすって、土間の向こうへ足を向けた。 

 赤々燃える(かま)の炉に、ケネルは薪をくべている。近場に大きな森があるから、焚き木の在庫には事欠かない。

 ケネルは煙草をくわえて点火した。

「で、こんな夜更けになんの用だ。動きでもあったか」

 顔をしかめて、ファレスはあぐらで腰を降ろす。「どうにかしろよ、あの客を。しょっちゅう消えやがるし、辛気臭くてしょうがねえ」

「どうにもならない、と言ったはずだ」

「──だが」

「だから、お前に預けたんだろう。お前くらいのものだからな。有象無象のちょっかいをきっちり排除できるのも。客の無軌道な行動に、確実についていけるのも」

「だが──」

「ここは静観が正解だ」

 一服ケネルは紫煙を吐き、後ろ手をついて、天窓を仰いだ。

「カレリアの情勢は、大きく動き出している。近年稀に見る大変動だ。ディールに仕掛けられてラトキエが起ち、それがクレストにまで飛び火して、今や、三領家を巻き込んで泥沼の様相を呈している。この国の役者(・・)の総入れ替えが、まさに行われようとしているんだ。言うなれば俺たちは、歴史的瞬間に立ち会っている、というわけだ。──お前も重々承知だろうが、この件に、俺たちは介入しない(・・・・・)

 炉火のゆらぎに照らされたファレスの顔に目を向けた。

「事の相手は一国(・・)だ」

 黒鉄の鍋底を這うように、ちらちら赤く、炉火が揺らめく。

 壁に、床に、黒い火影(ほかげ)が、意志あるようにうごめき、踊る。煙った薪を見てとって、ケネルは火箸を取りあげた。軽く突いて、薪の向きを変える。

 再び炎が燃えあがり、鍋から湯気が立ちのぼった。干し草を焼くような甘い匂い。火中で燃える牛糞の匂い。

 蛙が、小さく鳴いていた。時間が重く(とどこお)る。膝で立ちのぼる紫煙だけが、ゲルの天上で拡散し、薄墨の静寂に溶けていく。

 ガサリ──と薪が、燃え尽きて崩れる。

「──助けてくれ、としか、言わねえんだよ」

 怪訝に、ケネルは目を向けた。苛立ちを微かに含む声。

 客が寝入った北の寝床に、ファレスは柳眉をひそめている。

「帰りの馬上(うま)で泣き出して、がむしゃらにしがみ付いていやがった。馬から下ろして歩かせた時にも、ここの長に顔出した時にも、助けてくれ、しか言わねえんだよ。でたらめで、闇雲で、しつこくて──客あれを寝床に押しこむのに、どれだけ苦労したことか。ちょっと、そばを離れただけで、ピーピー泣いてわめくしよ。この世の終わりかってくらいに盛大に。──うわ言みてえに言うんだよ。領主を助けてくれ、ってよ」

 呆気にとられて、ケネルは見返す。「──お前の前で(・・・・・)泣いたってのか?」

「周りに誰もいなくなると、いつまでもいつまでも泣きやがってよ」

 ファレスが柳眉をしかめて嘆息した。

(あれ)には何も見えちゃいない。(あれ)には何も聞こえちゃいない。何がてめえに降りかかろうが、みんな目の前素通りで、頭は"領主"でいっぱいだ。何も入る余地がねえ」

「ファレス、ここは静観だ」

 ケネルは先の言葉を重ね、天井に向けて紫煙を吐いた。

「この件に、俺たちは介入しない。あの一件(ノースカレリア)は緊急措置だ。泡くった客を放置すれば、何を仕出かすか知れたものではなかったからな。そもそも、この仕事(ヤマ)には依頼人がいない」

「十分承知だ。そんなこことはわかっている。だが──!」

「だが、何だ」

 ファレスが堪りかねたように振り向いた。

「よく平気だな。毎日毎晩、あんな修羅場を見せられて。てめえに神経はねえのかよ!」

 ケネルは苦笑いした。「──最近よく言われるな」

「たまんねえよ! ああいう(みじ)めったらしいのは! マジでうぜえよ! 胸糞悪りィ!──どうにかしてやれよ! どうにかよ!」

「それで、俺にどうしろと?」

「あるだろ、適当な方法が」

 煙草の腕を立て膝(ひざ)に置き、ファレスが嘲るように目を向けた。

舐めて(・・・)やりゃいいじゃねえかよ、(あれ)の傷」

 沸騰した(かま)の下、ゆらり、と炎がゆらめいた。

 壁に、床に、影絵が踊る。新たな煙草を、ケネルはくわえる。「俺に、(あれ)の服を引っぺがせ(・・・・・)って?」

「少しは収まるだろ、暴走も」

 わずかに乗り出し、ファレスはケネルに目を据える。「余計な事情に立ち入らず、面倒事を引っ張り出さず、小うるさい口をふさぐには、そいつが一番てっとり早い」

 ちら、と思わせぶりに一瞥をくれた。

「相手がお前なら、尚更だ」

 どこか苦々しくケネルは笑った。「実は俺も、そう思わないでもなかったが──」

 灰を軽く土間で落として、ぬっとファレスに顎を出す。

「拒否られた」

「……あ?」

「ぎくしゃくしてたろ、少し前に」

 ファレスは無言の上目使いで、記憶をさらっているようだ。

 ちら、と目を向け、顔をしかめて一瞥をくれた。

「最低の男だな。ケダモノ」

「──食えと言ったのは、お前だろう」

 白けた顔で、ケネルは返す。

「にしても、お前を袖にするたァな」

 持て余した顔でファレスは舌打ち、寝静まった客の寝床を見やる。「つくづく分かんねえな、女ってのは。普段はあんなに無闇やたらと引っついてんのに」

「俺じゃ務まらないらしいな、領主の代わりは。だが──」

 炉火へ吸殻を投げ捨てて、ケネルはやれやれと腰をあげた。「もう必要ないようだ。大した副長だよ、お前はまったく」

「……あ?」とファレスが振り向いたまま固まった。

 訝しげに腕を組み、顔をゆがめて考える。自分が褒められたその理由を。

 さて、寝るか、と歩きだしたケネルを「──て、おい待て」と呼び止めた。

「結局どうすんだ。ほったらかす気か? (あれ)は、まともとはほど遠いぞ。捨て置きゃ、ますます暴走して、その内、崖から落っこちるか、最悪、神経が(やら)れるか──」

「心配ない」

 投げ広げた寝床の上へ、ケネルは枕を放り投げる。「手は、もう打ってある」

「──なんだよ、"手"ってのは」

 あくびまじりに寝具にもぐり、上掛けを引っかぶって背を向けた。

「今にわかる。明日にもな」


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