4話7
ファレスをキャイキャイ仰ぎつつ、客の黒髪が遠ざかる。
「たく。言い出したら、きかないんだからな」
ケネルはやれやれと溜息をついた。「まったく。わがままなお姫さんだ」
今にして思い起こせば、あの日の無理難題が、ケチのつき始めだったのだ。
晴れた午後の司令棟。
ノースカレリアの天幕群で統領代理にねじ込んだ、あの「ディールやっつけて~ん」の一件。
一千を越す軍勢をたかだか数十で迎え撃て、とは無茶がすぎるも甚だしいし、そもそも食えない代理を相手に恐るべき度胸というべきだが、そして、それからなし崩しに、
「 トラビア行きたい。連れてってん 」 ※無料で。
↓
「 あたしが作ったサンドイッチ食べてん 」 ※ちょっと腐ってるかもしんないけど。
↓
「 あたしのこと、おんぶしてん 」 ※意味不明。
そのあげくに今回の主張だ。
『 ケネルぅ。あたし、温泉行きたあ~い! 』
「──て、なんで、いきなり温泉なんだよ」
ケネルはうんざりごちながら、隣で同じく客を見送る短髪の首長へ目を向けた。
「あんたが余計なことを言うから。これで半日、行程が遅れた」
バパが「なに言ってんだ」と振り向いた。
「今のはお前が焚きつけたんだろ?」
ケネルは「……俺?」と顔をゆがめた。
(一体、いつ? どうやって?)と内心戸惑い、首をひねる。
「何をカリカリしてんだか」
バパが苦笑いして煙草をくわえた。「お前、最近、少し変だぞ」
「どこが」
「あの子が絡むと、ムキになる」
バパはくわえた煙草の先に、片手で囲って火をつける。「どんな女に言い寄られても、ろくに構いもしなかったくせによ」
一服、紫煙を吐き出して、つくづくというように顔を見た。
「しかしなあ、ケネル。領主の嫁だぞ?」
「──あんた何を言っている?」
ゆらりと立ち昇ったケネルの怒気を、バパはかわして客をながめる。
「いいじゃねえかよ、温泉くらい」
客はファレスに連れられて、樹海の木陰へ向かっている。
「半日くらい、なんだってんだ。予定通りに着いたところで、トラビアで何があるでなし」
ケネルは勘づき、腕を組む。
「あんたか、客に吹きこんだのは。どうして、そういう余計なことを」
そう、客が知るはずもないのだ。こんな僻地の温泉のことなど。
いいじゃねえかよ、と笑って応え、バパが素早く片目をつぶった。
「人生たまには、息抜きって奴も必要さ」
「あんたの息抜きは、いつもだろ。まったく、あんたは話がわかるな」
「部下に人気があるのも、うなずけるだろ」
悪びれもせずにバパは笑う。
指で紫煙をくゆらせながら、思わせぶりに片眉をあげた。
「なんなら秘訣を教えてやるぞ? ま、覗きのことなら心配ねえって。はた迷惑な番犬が、ああしてぴったり引っ付いてる。それで誰が寄ってくってんだ」
「そう言うあんたが覗く気満々じゃないだろうな」
「ばかいえ。下手すりゃ半殺しだぜ。そんな割に合わねえこと、誰が」
ケネルも自分の上着を探り、煙草の入った紙箱を出した。
一本とり出し、口にくわえる。「敵わないな、あんたには」
「行かせりゃいいさ」
バパはくわえ煙草で蒼天を仰ぐ。
「どうせ、もう間に合わない」
火のない煙草をくわえたままで、ケネルは無言で原野をながめた。
顔をしかめて、煙草の先に点火する。
「だいたい毎日四六時中、むさい野郎に囲まれていりゃ、あの子だって息が詰まる。お前もとうに気づいてんだろ。あの様子、かなりキテるぜ」
「なんで、あんたが、そんなことまで知ってんだ」
ケネルは呆れて首長を見た。誰も知らないはずなのに、首長はちゃっかり知っている。そういうことが度々ある。
バパがチラと目を向けた。
顎を突き出し、にっと笑う。
「企業秘密だ」
む、とケネルは引きつり黙った。おまけに、けっこうガードも堅い。
客はファレスに連れられて、木陰の馬へと向かっている。
「ところで、あの奴さん」
賑やかな客を引率する、かの副長の長髪をながめて、バパがその目をわずかにすがめた。
「何を企んでんだかな」
「バパ。あんたもそう思うか」
ケネルも一服、目を向ける。
「素直すぎるな、ファレスにしては」
客の世話を押し付けるな、と再三苦情をねじこんでいたのに、こと今回の"温泉"については、文句の一つも言わなかった。
副長ファレスは客を連れ、自分の馬へと向かっている。
首長と二人でそれをながめて、ケネルは「妙だな……」と眉をひそめた。




