4話3
もえぎ色の葉先を弾いて、丸い雫がこぼれ落ちた。
原野の空は青く澄み、何事もなかったように広がっている。
一時煙るほど降り敷いた雨は、草木を潤しただけで降りやんだ。やはり通り雨だったらしい。
「──間違いねえのか、その話」
部隊から離れた樹海の端で、ファレスは飛報に腕を組んだ。「どういうことだ、今になって。連中の狙いはなんなんだ」
「わかりません。ですが、確かな情報です。鳥師からの話も一致していますし」
「──何を考えているんだ、連中は。あんな辺境、今さら落として何になる──」
ふと、それを見咎めた。
口をつぐんでワタリに目配せ。怪訝にそれへと目を戻す。
(なんのつもりだ。あの阿呆……)
額をつかんで脱力した。
報告しているワタリの向こうで、妙なものがうろちょろしている。
ワタリの身体の左右から、ひょいひょい顔を覗かせては(こっちこっちィ!)と手を振っている。
のほほんとした能天気な笑顔で。
ファレスは舌打ち、ガン無視した。
その手前に立っているワタリが、訳がわからず、ぱちくり瞬く。「……あの、なにか」
「いや、別に」
ファレスは一蹴。密かに苛々ゲンコを握った。
(たく! 何しに戻ってきやがった!)
相手の注意を引くことに失敗したと思ったか、客は今やぴょんぴょん飛び跳ね、両手を大きく振りまわしている。知らない男がそばにいるから、近寄ろうとはしないようだが。
客が頬に手を当てた。その口が無音で何かを伝える。
(なんの用だ!)
ファレスは苛々目で問うた。
客が発した最初の言葉は、口の形から、おそらく「や」
「や」から始まる何かの言葉?
わざわざ来たということは、まずいことでもやらかしたのか?
無音の口に、思わず見入る。「や」に続く口の形は──
続けて読解、眉根が寄った。
" やっほー♪ 女男ぉ! "……?
一気に沸点を超過した。
「もちっと向こうに行ってろや! あァ!?」
突如怒鳴られた手前のワタリが、ぎょっと顔を引きつらせた。
戸惑った顔で汗を拭き、しきりに首を傾げている。
客が口を尖らせた。「えー、だってえ!」
「だってじゃねえ! なんの用だ」
後ろ手にして、客がうつむく。
ふてくさって小石を蹴った。「別に、そうゆうんじゃないけどさぁ~」
つまり、 暇 潰 し だということか?
わなわなファレスは打ち震えた。
鬱陶しいことこの上ない。だが、なんとか心を落ち着かせる。そうだ。今、深堀りはまずい。こんなお喋りを下手につついて、ワタリにアレが知れたらコトだ。
あの 負け犬 呼ばわりが。
まして、ワタリは連絡員。
街道の町と部隊を結んで日々往復するだけでなく、情報を収集するために様々な場所に出入りする。つまり、活動範囲が無駄に広い。
そんな奴が知ったなら、十中八九無傷では済まない。むしろ死ぬほど尾ひれがついて、
あっという間に、知れ渡る──。
ぞっと背筋が凍りつく。
客がワタリを警戒し、あからさまに迂回し、駆けてくる。
ぴた、と腕に張り付いた。
「ねー、女男ぉー!」
ぶんぶん腕を振りまわす。
とっさにひるんで、ファレスは固まる。
反応のなさに焦れたのか、ぐるぐる周りを回りだした。
「女男ってばあ!……ねー……ねー! ねー! ねえっ!」
せっつくように袖を引き(早く行こうよ)の意思表示。
あっけにとられて見ていたワタリも、これにはさすがに困惑顔。
ちらと目配せ(どうします?)と問うてくる。
ファレスは盛大に溜息した。確かに、今は具合が悪い。よそ者にそばをうろちょろされては、業務にてきめん支障をきたす。
引っ付いた客を見おろして、部隊へ向けて顎を振った。
「済んだら行くから、あっちへ行ってろ」
「えーっ! だってえー」
「だってじゃねえ! ケネルのところへ行けと言ったろ」
「あ、でも、行ってみたけど、ケネルは──」
「何度も同じことを言わせるな!」
むっ、と客が口の先を尖らせた。
文句タラタラの不満顔。だが、覆らないと見てとるや、
「だったら、いいもん! 女男のばかあ!」
ぷい、と黒髪を振り払った。
小柄な身体をひるがえし、元来た道へと駆けていく。
報告を終えた連絡員が「では、これで」と歩き出した。
部隊へ立ち去る部下の背を、眉をひそめてファレスは見送る。
「北カレリアへ行軍する部隊あり、か」
確かにこれでは何をおいても、馬を飛ばしてくるわけだ。
休憩中の部隊へ向けて、思案にくれて引き返す。
ともあれ、ケネルの耳には入れねば。ついでに客も引き取れば、一石二鳥で用が済む。
連絡員の報告は、寝耳に水の情報だった。
──クレストの領土ノースカレリアへ、行軍する部隊あり。
だが、この北上部隊、一体どちらの兵なのだ。ラトキエの兵か、それともディールか。
軍服の色はどちらも青。同じ軍服の兵隊だから、見た目だけでは区別がつかない。
ラトキエが反撃に転じた時節、ラトキエと見るのが妥当だが、丸腰だったラトキエが軍を持っている説明がつかない。
そうだ。そもそも、そこからしておかしい。
急襲されたラトキエに、軍を抱きこむ余裕など、どこにもなかったはずなのだ。
仮に、北上部隊をラトキエとするなら、編成可能な構成は、ラトキエの私兵と、商都に割り振られていた警護兵。そして、商都急襲の後、ラトキエに寝返った国軍の一部。
だが、これでは数が足りない。金の勘定ばかりしている商人の街の領民が、武器を取るとは考えにくいが──
ふと、思案の目をあげた。
「ああ、ネズミを活用したか」
職業軍人以外の者で、荒っぽい真似ができるのは、あの連中くらいだろう。
場末でうごめく賞金稼ぎ。
華やかな領家とは無縁のようだが、その実、密接なつながりがある。
賞金首を受け渡す行政側の窓口が、国の治安維持を管轄し、首都を擁するラトキエなのだ。
つまり、賞金稼ぎの連中は、ラトキエの下請けと言ってもいい。なら、使い立てるなど造作もなかろう。むしろ荒事の腕前だけなら、正規の兵より上かもしれない。おあつらえ向きのこの一派を、ラトキエが見逃すはずもない。
とはいえ、それでも役者が足りない。
敵対中の勢力は、ほぼ一国分の軍隊だ。寄せ集めの戦力の規模で、対抗しようなど無理がある。
ならば、北上部隊はやはりディールか。
先の商都からの撤退劇がラトキエを欺く芝居なら──撤退したと見せかけて商都の南方に潜んでいたら。
北から戦力を調達できれば、ディールは南北の戦力でラトキエの部隊を挟撃できる。それこそディールが密かに描いたシナリオなのではなかったか。
南にいる本隊が、北の友軍の合図を待って時間稼ぎをしているというなら、反撃に出たはずのラトキエが、なぜか商都の近郊に未だに兵をとどめている、不可解な現状の説明もつく。
そして、こたびの敗走の芝居で反勢力をあぶり出し、この機に根こそぎ一掃する。それがディールの狙いなら、北方くんだりまで遠征し、クレストを膝下に置こうとした、あの奇行も頷ける。
カレリアには兵が少ない。
まして、大規模な政変に担ぎ出せるような余力はない。
領民に害を及ぼさず、北方の戦力を調達するなら、あのクレストはうってつけだ。折しも祭の開催時期で、どさ回りの旅芸人が大挙して幌馬車を連ねている。
だが、ディールの遠征は失敗に終わった。
挟撃の北側に配置すべく、クレストから民兵を調達するどころか、遠征部隊まで失った。
なのに、事情を知らない本隊は、商都の南に部隊を潜ませ、予定通り合図を待っている。
ならば、孤立無援で取り残された、北の残兵はどう動く?
挟撃の体制を整えるべく、捕虜をクレストから取り戻す──そう動こうとするのではないか。
そも不意打ちされたラトキエには、クレストを攻める動機がない。
クレストにかまける余裕があるなら、急務であるトラビアへ戦力を割り振ろうとするだろう。
ならば、やはり、北上部隊は、ディールの部隊の再来か──。
「──引き返す、か?」
いや、ケネルが「うん」とは言うまい。
ノースカレリアがどうなろうが、元より関知するところではないのだ。むしろ領家に肩入れするなど、こちらとしてはあり得ない話だ。まして相手は、因縁のあるあのクレスト。
今回クレストに与したのは、異例中の異例の珍事。
客の要請に応じたのは、あくまでケネルの一存だ。
クレストの領土、ノースカレリア。
街には現在、八十名からの隊員が居残っているが、残留組を取り仕切るギイが、クレストに付くとは考えられない。壊走兵の総数は、残留組の人数を上まわるからだ。そうかといって、あの街の住人に傭兵の相手は無理だから、ディールは次こそ目論みを──悲願の民兵調達を達成することになるだろう。
ファレスは苦々しく空をながめた。
この同じ空の下、片田舎の戦後の街が、今ものどかに憩っている。街へ向かう部隊のことなど、誰も何も知ることなく。
部隊の集合場所まで戻ると、野戦服の大群が樹海の木陰で寛いでいた。
耳慣れた低い賑わいの中、視線をめぐらせ、ケネルを捜す。その腹に乗っかって罵りつくしているだろうあの客も。
「……。どこだ?」
ファレスは舌打ち、見まわした。
なぜかケネルが見当たらない。普段なら苦もなく見つかるのに。
やむなく端から見てまわる。
その妙な光景で目を留めた。
木陰の部隊の中ほどが、ちょっとした人だかりになっている。
ケネルの顔がそこにあった。防水シートに手をついて、足を投げて話している。その賑わいの中心で。
「……どうなってんだ?」
ファレスは怪訝に首を傾げた。
二人の首長とウォードを除けば、常なら誰も寄り付かないのに。
しかも、雰囲気が浮わついている。
「バードの女でも来てるのか?」
何をあんなに集っているやら。
人だかりに近付くにつれ、中の様子が見えてきた。案の定、誰かいる。ケネルの手前に、ほっそりとした旅装の人影。あの顔は──
「クロウ、か?」
ファレスは面食らって見返した。
駐留地ではまず見ない、珍しい顔がそこにいた。
街道の町に常駐し、情報の受け渡しを担う鳥師だ。あの鳥師の名前はクロウ。
だが、あの色彩は──そこだけ明るいあの服の、客の姿は見当たらない。
「──ここじゃねえのか」
拍子抜けして、つぶやいた。
ケネルのそばではないのなら、懇意の首長のところだろうか。
ならば、と蓬髪の首長を捜す。
だが、どうしたわけか見つからない。大抵すぐに見つかるのに。
居場所が遠いか、埋もれているのか、こうなると大群の中、一人を見つけるのは容易くない。
ファレスは苛々と舌打ちした。このところしばらくは、ケネルや首長を捜すのに、手間どったことなどなかったのに──。
すぐに理由に思い当った。
客がそばにいないからだ。
相手の姿を捜そうとせずとも、苦もなく見つけられたのは、近くにアレがいたからだ。
あのけたたましい音源が。
つまり、音源自体が消え失せた?
「──また、うろちょろしやがって!」
ファレスはうんざり嘆息し、部隊を苛々と見まわした。




