3話7
鳥のさえずりが、小さく聞こえた。
森はのどかで穏やかだ。あんなことが、あったというのに。
連れてこられた木陰の根元で、エレーンは呆然とへたりこんでいた。
後始末は、淡々と続いている。五人は覆面を剥ぎとられ、縛りあげられ、草原の中央に集められている。
皆、どこにでもいるような中年の男だ。
目付きは悪いが、これといった特徴もない。殴られたその顔が、ひどく腫れていることを除けば。
先の光景がよみがえり、エレーンは震える手で肩を抱く。
まだ耳の奥で鳴っている。せっぱつまった覆面の罵声が。殴られてあがる悲鳴とうめきが。体が叩きこまれた夏草の音が。
まだ、震えが止まらない。あんなに近くで乱闘を見たのは初めてだ。いや、あれはもはや乱闘でさえない。逃げ惑う者が次々捕らわれ、一方的に殴られていく。暴力に支配された、容赦のない圧倒的な光景。あからさまな敵意を持って、人が人を殴りつける図──。
賊はウォードの敵ではなかった。
ウォードの速さはすさまじく、覆面はいずれも、ただの一撃で草に沈んだ。
始めの覆面を殴り飛ばしてから、散り散りになった残りの賊が全員地面に伸びるまで、ものの五分とかからなかった。
その差は歴然、あれではまるきり大人と子供だ。
刃物をふるう五人に対して、ウォードは丸腰だったというのに。
誰も加勢はしなかった。
蓬髪の首長も、調達屋も。むしろ累が及ばぬように、樹の裏へ避難させられた。
木陰で、首長は乱闘を見ていた。その隣で調達屋も。
覆面五人が地面に転がり、顔をしかめてうめくに至って、初めて二人はおもむろに動いた。
五人の賊を引きずって、それぞれ広場の中央に集め、無造作に、手際よく縛りあげていった。
ちなみにその間、当のウォードは、さっさと木陰へ引きあげて、ぼうっと空を眺めていた。
もう興味を失った顔で。
額の汗を腕でふき、首長と調達屋が引きあげてくる。
この賊の処分について相談でもしているのだろう、何事か淡々と話している。普段と変わらぬ顔つきで。首長の左の上腕が、いつの間に処置をしたのか黒っぽい布で縛ってある。──いや、黒く見えるのは血液だ。
エレーンはうろたえ、首長を見た。
その顔つきは何事もないが、あんなに血がにじんでいる。いや、平気でいられるはずがない。絞れるほど出血している。負傷した位置が少しでもずれれば、首長の命は、きっと、
なかった。
どくん、と胸が大きく震えた。
キン──と耳鳴りが深部を貫く。のぼせた頭で立ちあがり、エレーンは賊へとふらふら歩いた。
座りこんだ地面から怪訝そうに目をあげたのは、中央にいたあの覆面。
「なっ、なんで、そんなことすんのよっ! あんたたちはっ!」
首長を斬った賊の頭を、激情に駆られて何度も叩いた。
手が萎え、力が入らない。それでも夢中で拳を振るう。
「あたしがあんたに何かした? アドがあんたに何かした? なのに、あんなひどいことを──!」
振りあげた手をつかまれた。
息を荒げて振りかえる。
「その辺にしておけ」
「──だって、アド!」
「もういいって。十分だ」
蓬髪の首長が苦笑いした。「さ、戻ろう」
「……だって、この人のせいじゃない」
エレーンは焦れて拳を握り、ふてぶてしい男に指をさす。
「みんな、この人のせいじゃない! この人のせいで、アドは怪我して──!」
「むしろ、あんたの方が効いたがな」
「……え」
あたし? とエレーンは己をさした。
自分が何をしたというのだ? 彼を害することなど何ひとつ──
はた、と思い出し、右肩を見た。
「──あっ、あの、ごめんなさいアド! でも」
そういえば、しがみ付いていた。調達屋と小競り合いをした時に。
そう、首長は右肩を元より痛めていたではないか。
背中にまわした首長の腕に促されて歩きつつ、あわてて首長を振り仰ぐ。
「あ、でも、違うの。アドの腕を痛くしようなんて、そんなこと、あたし全然──」
元いた木陰に辿りつき、首長が根元に腰を降ろした。
その前にエレーンはひざまずき、しどもど首長の顔を覗く。
「ご、ごめんね、そんなに痛かった? でも、アドが怪我をしてるのに、あの薄情なチョビひげが、早く来いって引っぱるし。でも、そしたらアドが一人になって、だから、あたしだけでも守らなくちゃって、あたし思って、だから──」
「守る、か」
首長が軽く息をついた。
「あの時にも、そう言ったな」
無精髭を叩くようにして、頬に手のひらを滑らせる。「どうして、そんなに、いつでも必死で、俺らを守ろうとするんだかな」
「あたし、アドの邪魔をする気は──けど──だって、あの時は──」
「"出てくるな" と言わなかったか?」
遮った首長の嘆息に、たまりかねたような怒気が伝わる。
エレーンはしどもど口をひらく。「だって──」
平手で、頭を抱きすくめられた。
「なぜ、あんな無茶をする!」
野太い叱責に、びくりと竦んだ。
首長の大きな懐に埋まって、うつ伏せた蓬髪を呆然と見る。「……アド」
「ウォードが来なかったら、どうするつもりだった」
首長の鼓動が速かった。
頭をつかんだ手のひらから、ぶ厚く硬い胸板から、かすかな震えが伝わってくる。
脱力したような重みがかかった。
「……勘弁してくれ。寿命が十年縮んだぜ」
エレーンは唇を噛みしめた。
首長の思いがけない動揺に戸惑い、胸が押し潰されたように苦しくなる。
「ご、ごめんなさい」
浅い息で、ようやく言った。
こみあげた熱で胸がつまる。「こ、恐かった……」
「もう大丈夫だ。な?」
大きな手がしっかりと、体を包んでくれている。
「……恐かった」
本音が口からこぼれ出た。
今更ながら怖気が走り、必死でこらえた涙があふれる。
「──恐かった! 恐かった! アドぉっ!」
抱きかかえた首長の首に、エレーンは強くしがみついた。




