3話5
すぐに、ガサガサ藪が鳴る。
──味方!
はっとエレーンは動きを止めた。
相手を探して、賊が見まわす。見るからにあわてた様子で。ならば、今の男の声は──
息を呑んで見つめる間にも、ひときわ大きく藪が鳴る。
旺盛に茂った草木の中、にゅっと布が現れた。
どうやら帽子のツバらしい。そして、華やかな羽根の先。──て、え゛?
何かをまたぎ越すように、ひょい、と貧相な足をあげ、ガニ股気味に降り立った。
それに続いて現れたのは、ふんぞり返った痩せっぽちの胸──。
(……。コイツか~)
額をつかんで、うなだれた。
大きな帽子のツバの下には、縮れた黒毛、口にはチョビひげ。肩の下まで伸びた編みこみ。毛先にジャラジャラきらめくビーズ。そう、時代錯誤なあの成りは──
しゅうう……と希望がしぼんだ脳裏に、極めて率直な感想がよぎる。
(どうせ来てくれるんなら、別の人のが良かったな……)
そう、まさに今この時、こうまでふさわしくない人物があろうか。
ひと呼んで部隊の「調達屋」、ジャック=ランバートその人は、居並ぶ五人の覆面に大儀そうに目をすがめ、散歩の続きの足どりで、ぶらぶら首長の横へと歩く。
ああ、返す返すもなんで今、よりにもよってこんなのが。
ど派手で毒々しいあの成りは、明るくのどかで真っ当な森には、決定的にそぐわない。いや、別にだからといって都会的なセンスがあるとか、そんな滅相もないことが言いたいわけでは決してないが。
日頃から妙で変な奴だが、なんだって怪しく森にいる?
静かな樹海の只中で、瞑想にでも耽っていたのか?
ヤモリのごとく貼りついて木陰に潜む趣味でもあるのか?
今日も根拠なく偉そうだが、コイツまさか強いとか? なにせ未曽有の緊急時、そのあたり、かなーり重要だ。
「──調達屋」
向かいの覆面から意識は離さず、首長が目だけを調達屋に向けた。「ケネルに客を届けてくれ」
「だ、だめよ、そんなの!」
エレーンはあわてて首を振る。「そんなことしたら、アドが一人に──」
「いいから、そいつと早く行け。ここは俺がどうとでもするから」
「だけど、アド!」
「助けが要るか?」
ビーズの髪の小首をかしげて、調達屋が首長を見る。
首長はじれったそうに吐き捨てる。「要るか」
くるり、と調達屋が振り向いた。
「だそうだ。さ、行くぞ」
むんず、とつかんで腕を引っ張る。
「……は!?──て、えええ~っ!?」
エレーンはあわてて踏ん張った。
「ちょ──!? なにっ!? なに言ってんのっ!」
なに、あっさり行こうとしてる! この状況わかってるのか!?
なんの躊躇も頓着もなく構わず引っぱる調達屋と、首長を交互に口パクで指さす。
「だ、だってだってだって──っ!?」
おのれチョビひげ。仲間じゃないのか!?
それにしびれ切らしたか、ぐい、と調達屋が引っぱった。「何してんだ。ほれ、行くぞ」
「嫌よっ!」
キッ、と睨んでエレーンは牽制。首長に向けて手を伸ばす。「やだ! やだ! やだ! アドぉーっ!」
「──な゛!? なに抵抗してやがる! こら、ふんばるな! とっとと来いっ!」
羽根つき帽子がぐいぐい引っ張る。
じたばた手を振りまわし、エレーンもこれに全力で抵抗。
「嫌だったら嫌 っ! 嫌~だあ~っ!」
ついでにあんたの変な香水の匂いも嫌だっ!
「大人しくしてろや!? あァん!?」
裏返った甲高い声で、苛立ってすごむ羽根つき帽子。
とはいえ、なんでか迫力ゼロだ。なにせ、かの武力集団にあって尚、断然見劣りするのがこの帽子。胡散臭さと奇妙さにかけては、天下一品、独走態勢。他の追随を許さない。
薄っぺらい胸板を突き飛ばし、エレーンは急いで駆け戻った。
「──アドっ!」
ぶつかるようにしてしがみつき、たくましい腕にすがりつく。
無精ひげの横顔が、一瞥、その手を軽く押しやる。「向こうへ行ってろ、大丈夫だから」
「やだ! アドと一緒にいる! あたしだけ逃げるなんて、できないもん!」
「──"できないもん"って……あのなあ」
言葉に詰まって、首長は苦笑。
ぐい、と腕が再びとられた。
なによ! と睨めば案の定、羽根つき帽子の調達屋。ちょこっと牽制を怠った隙に、また湧いて出たらしい。面倒くさそうにしているくせに、この帽子、存外にしつこい。
苛立ち任せに、振り払う。
ぐっ、と手応え。外れない。
意外にも、がっちりつかんでいる。ぶんぶん振りまわすが、ほどけない。
きぃ──っ! とエレーンは苛立った。この忙しいのに、マジで邪魔な奴だ!
「なあにすんのよっ! 放しなさいよっ!」
シッシと帽子を邪険に牽制。
調達屋はぐいぐい、それでも引っ張る。まるで気に留めた風もない。
ふんぬ──っ!? とエレーンも踏ん張った。
ひっし、と首長にしがみつく。もうテコでも放さぬ所存!
三人並列、硬直状態。
むう、と帽子の顔を見た。ならば、やむなし、奥の手だ。
バリッ、と手の甲を引っ掻いた。
ぎょっ、と引いた調達屋に、ぶんぶん爪を振りまわす。
「──こ、こら! よせ! 俺はお前の味方だぞっ!」
すっとんきょうに抗議して、帽子がひょいひょい逃げまわる。そう、まさに奥の手。研ぎ澄ました両手の爪。
だが、手やら顔やら引っ掻かれ、さすがに本気を出したらしい。ふんぬ、と一気に引っ剥がした。
両手を片手で帽子が引っつかむ。
「ちょっ!? なにっ! 放してよっ!」
首長が焦れて顔をしかめた。「──早く出せ。何やってんだ」
「おうよ。ま、頑張れや」
いともあっさり調達屋は応じた。見た目通り薄情な奴だ。
頬をさするしかめっ面に、エレーンは、ぐぬぬ、と拳を握る。
「あんた、まさか本当~に、アドを置いてく気じゃないでしょうねっ!」
「なんてこたねえって。早く行こうぜ」
「──あんたって人は~~~っ!」
ひょこひょこ揺れる帽子の羽根に、苛立って顔を振りあげた。
「あんた、それでも男なの!? 怪我人おいて逃げるとか、一体どーゆー神経よっ!」
確かにこのチョビひげは、さして強そうには見えないが、むしろ、その通りであるのだろうが、けれど、しかし、だからと言って(=いくらこいつが戦力外でも)怪我人見捨てて逃げていいのか?
──いいや! よくない!
「信じらんない! 卑怯者っ! よくも言えたわね、そんなことが!」
あいにく両手がふさがっているので、せめて罵声を浴びせかける。
だが、調達屋は足を止めない。ぐいぐい引っ張り、歩いていく。痩せっぽちでも男は男。腕力は普通にあるらしい。
ひょこひょこ帽子の羽根が揺れる。
「止まんなさいよ! 止まんなさいってば! こら! チョビひげ! こっち向けっ!」
二本の轍を地面に残し、ずるずる前傾で引きずられる。
背中で揺れる編み込みビーズを、むう、とエレーンは睨めつける。そうかい。ならば仕方ない。手は利かないが、
足なら自由だ。
甲が変な形にふくらんだ怪しい色の調達屋の靴を、もてる全力で踏んづけた。
……ん? と帽子が、一拍遅れて目線を下げる。
「あ゛―っ!?」
両手をあげて万歳三唱。
「──アドっ!」
ひるんだ帽子を突き飛ばし、息せききって駆け戻った。
ぐんぐん視界に近づく肩に、両手を広げて地面を蹴る。
守らなくちゃいけない、あの人を。
助けなくちゃいけない、あの人を。
今度はあたしが──!
それに気づいて、首長が蓬髪を振りあげた。
「──出てくるな!」
目をみはって驚いた顔。
自分の前から押しのけようと、あわてて腕を突き伸ばす。
首長が伸ばしたその手の先を、エレーンは辛くもすり抜ける。見捨てたりしない絶対に──。絶対に。絶対に。
絶対に!
「あんた、邪魔ー」
前のめりで走る胸下が、ぐっと何かに突っかかった。




