3話1
昼の樹海の小道をひとり、ファレスは舌打ちで駆け抜ける。
「──どこへ行った!」
木立に怪しい気配はない。すでに場所を移動したか。
キラリ、とひらめいた樹海での反射。ああした光は見慣れている。次にくるのは、おおかた奇襲。
奇襲それ自体は珍しくもないが、今は部隊に客がいる。
後顧の憂いは速やかに断つ。妙な輩が踊り出る前に。
右手で、不自然なざわめきを確認。
だが、踏み込む足を、ファレスは止めた。
部隊のいる原野へと、舌打ちして引き返す。樹海の西は際限がない。その広大な先端は、商都カレリア近郊に及ぶ。その樹海の懐を奥へ奥へと分け入っているなら、闇雲に追うのは無謀だった。
だが、足を踏み出したその矢先、木立の先でひらめく反射。存外に近い。
濃淡ゆれる梢の道で、動きを止めて意識を凝らした。
気配をたぐり、獣道に分け入る。藪を掻いて進むにつれ、木立が徐々に明るくなる。
それから程なく行く手がひらけた。
豊かな木立のただ中で、白く平坦な鏡面が、きらきら日ざしを弾いている。森の中に湧き出た泉。その泉の左のほとりに、冴えない風体でたむろす三人。険しい顔つきの男たち。
「おい。そこで何をしている」
声をかけると三人が、ぎょっとしたように振り向いた。
おろおろ顔色を変えている。案の定、後ろ暗い相談らしい。
「 ウェ、ウェルギリウス!? 」
三人同時の発声に、ファレスは怪訝にすがめ見た。
「ほう。こいつは驚いた。俺を知っているとはな。だったら、いっそ話が早い。抵抗せずに質問に答えろ」
「く、来るな!」
二人の後列、長身のニキビが、威嚇するように甲高く吠える。
「連れがどうなってもいいのかよ!」
「──連れ?」
聞き咎め、ファレスは足を止めた。客はケネルが見ているはずだが。
見れば、脇に退いた中年の後ろに、布で口をふさがれた女。
あの客と同じ年頃か。まだ若い黒髪の娘だ。ニキビに手荒く引っ立てられて、苦しげに爪先立っている。もがく首にナイフの刃先。なるほど。あれが反射の正体。
危害を加える腹積もりで潜んでいたのは明らかだ。現に人質をとり、脅している。
だが、勘違いも甚だしい。人質はまるで見知らぬ女。それでこちらを脅そうなどと、お門違いもいいところ。だが、看過できない点もある。
客と人違いで捕らわれたらしい女は、ニキビの腕でもがいている。
黒の膝丈ワンピース、首には金の首飾り。だが、なぜ、樹海に町の女が? 街道からここまでは、徒歩で来られる距離ではないが。
──いや、あれは遊牧民か?
それならば納得がいく。付近の原野のそこここで、家畜を放牧する季節。水や薪や木の実を求めて、日常的に樹海にも入る。家畜の世話をするには不向きな、娘の成りがいささか妙だが。
「いいか、そこを動くなよ。一歩たりとも動くんじゃねえぞ」
動きを封じるように目を据えて、中年が紙を振り広げた。一読、しげしげと見比べる。
「こいつァ驚いた。本物かよ」
ナイフを構えた小男が、その袖を軽く引く。「おい、こんな細っこいのが、本当に五千トラストの賞金首かよ」
「照会してみりゃ、はっきりするさ」
中年がザックを漁って立ちあがり、捕り縄を下げて向き直った。
両端をつかみ、見せつけるようして横に張る。
「おい、そこで大人しくしてな。連れを痛い目に遭わせたかねえだろ」
「お前にゃ悪いが、いい金になるんでね」
「シケたこそ泥追っかけるより、よっぽど金になるってもんだ。隣国の大陸を横断するのは、ちっとばかりホネが折れるが、なあに、元はとれるってもんよ」
「へっへっへ。きれいな顔した兄ちゃんじゃねえかよ」
女に刃を宛がいながら、ニキビが嘲笑って舌舐めずりした。「こいつァ夜が楽しみだ」
「そろそろ、いいか」
腹を抱えてゲラゲラ笑う下卑た揶揄を遮られ、三人が面食らって振り向いた。
もたれた幹から背を起こし、首を回してファレスは踏み出す。
「御託は終わったかよ。まったくよく喋るネズ公だぜ」
草木が激しく打ち鳴った。
人が叩きつけられる激突音。宙を舞った女の髪が、さらりと揺れて、腕に収まる。
もぎ取られた人質の娘が、目を見開いて口元を覆った。
踏み込んだ肩をファレスは起こし、ニキビに向かって振りかぶる。
吹っ飛ばされた地面から、ニキビがあぜんと顔を仰いだ。
仲間の二人も呆然と、何が起きたかわからない顔。いつの間にか場所を入れ替わり、ニキビを見おろすファレスの顔と、太い木根に両腕でもたれ、へたりこんだニキビのその顔を、口をあけて見比べている。じろり、とファレスは残る二人に一瞥をくれる。
その視線に弾かれたように、二人が藪へ飛びこんだ。
ニキビが四つん這いで、あわあわ続く。枝を踏みしだく気配の中に、忙しないわめき声が入り混じる。「だから、よそうと言ったんだっ!」「今更なんだよ!」「俺は、お前が言ったから──!」
転げるようにして逃げていく、その軌跡を注意深くながめて、ファレスはおもむろに踏み出した。
木漏れ日揺らぐ樹海の道をファレスは一人戻りつつ、先の懸念に眉をひそめる。
崖から海へ叩きこんだ、三人の賊が持っていたあのメモ。
散々方々へ持ち歩かれ、土ぼこりで薄汚れた紙面には、部隊の主要な顔ぶれの風貌。そして、ご丁寧に異名まで。つまり、三人は、
「──賞金稼ぎ、か」
しかし、解せない。「ノースカレリア防衛」で部隊の入国はバレたから、隣国の手配書が出回っても、さほど不思議はないのだが、通常、部隊に女は置かない。
だが、ニキビは「連れ」とはっきり言った。部隊に客がいることを、手配書の記載にはないことを、なぜ、賞金稼ぎが知っている──?
「……あっ!」
声に思考を中断され、ファレスは怪訝に周囲を見た。深い樹海で女の声?
両手の先を口に当て、目をみはった顔を認めて、進路を変更、ぶらぶら向かう。
「まだ、いたのか」
前髪のない広めの額、肩をおおう長い黒髪。人違いされた遊牧民の。
「そんな成りで放牧か?」
「あ、これは、あのっ──少し前に部隊の人が、迷惑をかけるからってお金をくれて。だから、それで、わたし服を──」
「で、俺に何か用か」
人質にされたにも関わらず、逃げずに残っていたのなら、戻りを待っていたのだろう。
胸の前で手を握り、おどおどしていた町着の娘が、意を決したように顔をあげた。
「お、お礼をしようと! わたし、あなたに!」
「──礼?」
拍子抜けして足を止めた。
娘は急いでポケットを探る。突き出した手には、数枚の紙幣。
「あ、ありがとうございました! 危ないところを。あ、あの、これを!」
「──要るか、そんなはした金。もうわかったから、さっさと帰れ」
ファレスは構わず歩き出す。一夜の遊興で消える額だが、貧しい羊飼いには大金だろう。
行く手に、娘が走りこんだ。肩から下げた布袋をさぐり、拳のまま片手を突き出す。
指をひらいた手のひらに、青々とした数枚の葉。
ファレスは面食らい、顔をしかめた。
「──受け取れるかよ。世界樹の葉なんざ」
それは、いわゆる万能薬。だが、自生する樹は稀で貴重、移植も量産もできないために、世間的には無名だが。
「でもっ!」
娘は頑として譲らない。どうあっても引かない様子で、もじもじ顔を赤らめている。なぜ、そうまで執拗に──?
その理由にようやく気づいて、ファレスは持て余して溜息をついた。
そうだった、と思い出す。近頃はずっと原っぱで、客も頓着しないから、すっかり、それを忘れていたが、出会った女は、大抵こうなる。
「そこをどけ」
立ちはだかった小柄な肩を、いくぶん強めに押しのける。
踏み出した足を、ふと止めた。
ふわり、と甘いこの香り。香水などに興味はないが、原料の方に覚えがある。
耳の奥で、梢が鳴った。
さわさわそよぐ北方の高木。青銅の卓と、銀のじょうろ。夏の木漏れ日。午後のお茶。広い額に長い髪。あの妾の館の庭の──。
「──これでもいいか」
見やった北空に呟いて、ファレスは視線をめぐらせた。木立がひらけた泉のほとり。夏日を浴びた下草が、お誂え向きに乾いている。
顔色を見るように、娘がうかがう。「あ、あの、これくらいしか持っていなくて。だから、その」
「欲しいものなら、ないでもないが」
ファレスは娘の肩を抱き、横から顔を覗きこんだ。
「礼をする気は、本当にあるか」




