interval~ 矜持 ~
※第2部2章は挿話(ダドリー側の話)なので、内容的には、こちらが1章の続きとなります。
ゲルに敷いた寝床の中、対象は毛布にくるまっている。
うつ伏せで寝入った前髪の下、まつ毛はピクリとも動かない。
室内の無人を素早く確認。明け方のゲルへと滑り込む。
ゆうべ番犬が使った寝具が、南の隅に積まれている。奴がゲルを出ていったことは、少し前に確認済みだ。日課の巡回に出かけたのだ。つまりは、しばらく戻らない。
ゲルの絨毯を土足で突っ切り、寝床の横で膝をついた。
うつむいた客の肩を引きあげ、抱きしめていた枕を取りあげる。薄くあけた薄紅の唇。腕に流れる黒い髪。仰向けた客の白い寝間着の襟のボタンを上から外す。
衣服のはだけた首筋で、銀のチェーンが朝陽を弾く。寝顔がむずかるが構うことなく、首のチェーンに指をかけ──
「何をしている」
ぎくり、と声を振り向いた。
……なんだか、いやに馴れた手つきだ。
こうした場合の作法に則り、俺は礼儀正しく懇願する。
「お、降ろせーっ! ここから降ろしやがれっ! こんなことして、ただで済むとでも思ってんのか!」
だが、俺を逆さ吊りにした縄を引っ張り、確認しているファレスは無視。
「……な? 降ろせって。頼むから」
ただちに猫なで声に変更した。
「お前、俺にこんなことしたら、物資が手元に届かなくなるぞ? それじゃ、そっちも困るだろ? 大体あれだ。今使ってるその縄にしたって、届けてやったの俺だしよ。──て、やいっ! ファレス! 聞いてんのかよ!──吊り目! 冷血漢! 人でなしーっ!」
体をくねって、もがき、蹴り出し、ミノムシのごとく体を振る。
作業の手をはたきつつ首尾を見るように離れたファレスに、俺は引き続き懇願する。
「何を勘違いしてるんだか知らねえがなっ! 俺は別にふしだらな真似をしていたわけじゃ──っ」
「ほう」
ファレスが三白眼で冷ややかに一蹴、人けない原野へ背を向けた。
構わず、すたすた去っていく。
逆さ吊りにした俺のことなど、知ったことではない顔で。
朝のなだらかな草原を、狭霧がゆっくり這っていた。
椀を伏せたような白いゲルが、ぽつり、ぽつりと沈んでいる。
「──あんの、冷血野郎がっ!」
ぶらん、と残ったこっちのことなど、立ち去るファレスは一顧だにしない。
夏草おい茂る朝の原野は、見渡すかぎり誰もいない。
いくら羊飼いが勤勉だとて、こんな朝っぱらから歩いてやしない。
小鳥さえずる早朝五時だ。
野草は夜露に青く濡れ、家畜もまだまどろんでいる。
誰かに助けを乞おうにも、人の姿などどこにもない──
「朝の新しい健康法か?」
がばっと声を振り仰いだ。
青草を踏む編みあげ靴。
支給品の野戦服。足を辿って視線をあげれば、薄茶の短髪、壮年の男。耳に小洒落た赤ピアス。その精悍な顔つきが、呆れたように首をかしげた。
「何やってんだ、調達屋」
ぐるぐる巻きで宙ぶらりんの俺は、ぶんぶん揺れて熱烈アピール。
「──バ、バパっ!?」
相手は誰あろう首長バパ。年寄りは朝が早いというが、朝の散歩にでもやってきたのか? いや、そんなこたァどうだっていい。
地獄に仏とは、まさにこの事!
「お、おう! あんた、いい所にきたっ!」
反動でくるくる回りつつ、目だけはバパに食らいつく。「早く木から降ろしてくれ! 頭に──頭に血が昇るーっ!」
「さては、ちょっかい出したな、お姫さんに」
バパがやれやれと腕を組んだ。
「えげつねえ真似するよな、副長も。いくら、てめえの領分たってよ。俺も何人吊るされたことか。なんだと思ってんだかねえ、他人の部下を」
朝の無人の原野をながめ「それにしたって妙だよなあ」といぶかしげに首をかしげる。
「まったく、あの連中も、なんで、こぞって行くかねえ。"ミノムシ"にされるとわかってて。客の番で張りついてんのは、天下無双の"ウェルギリウス"だぜ。あんなものに挑んだら、ただじゃ済まねえことくらい、承知しているだろうによ。いくら、このところ女日照りったって、普段はそばにも寄れねえで遠巻きにしている連中が──」
「おいっ! そこっ! しみじみ語ってる場合かよっ!」
ぶんぶん揺れて熱烈アピール。そんな傾向分析は要らねえよ!
「なんでもいいから降ろしてくれっ! 早く! ここから! とりあえずっ!」
呑気にごちてるこのバパはイマイチ分かってないようだが、逆さ吊りのこっちにとっちゃ、この一分一秒が切実極まりない問題なのだ。
静かな原野を見まわして、ぶつぶつぼやいていたバパが「お? 悪りぃ悪りぃ」と腕組みを解いた。ちっとも悪いとは思ってなさげな顔つきで。いや、そんなことはどうだっていい。これで、やっと助か──いや?
なぜ、そこで立ち止まる?
足を止めてながめやり、バパがおもむろに腕を組んだ。
「そういや、近頃、寝酒が切れて──」
「わかったっ!」
問答無用で要求を即決。
「わかった! 何だってくれてやるから! だから早く降ろしてくれっ!」
「お、そうか、悪いな」と、バパが微笑み、近づいた。
腰から、無造作に短刀を抜く。
「じゃ、交渉成立な」
一刀のもとに荒縄を切断。
おお! さすが "レッドピアス" 音に聞こえた手並みは健在──!
ごいんっ! と派手に火花が散った。
泥水に突っ込んだ顔面を、俺は涙目で振りあげる。
「もちっと優しく助けろや!」
逆さ吊りの命綱、平気で断ち切る奴があるか。
「痛てえじゃねえかよっ! 死んだらどーする! あんたの助け方には労わりがねえよ労わりが!」
首長は首をひねって釈然としない顔。
「でもなあ、うちの部下でもねえんだし」
「──部っ!?」
意識がふっ飛び、思わず絶句。気を取り直して食ってかかった。
「部下でなくても、体支えるくらいはしろや! つか、あんたの理屈どっか変だぞ!? そもそも料簡が狭いだろ! あんた曲がりなりにも首長じゃねえかよ! 大勢を束ねる頭目がそんなことでいいのかよ! "人類皆兄弟"ってありがてえ言葉を知ら──!」
「うるせえなあ」
バパが迷惑そうに耳をほじった。
「こっちは助けてやってんのによ。暑苦しい顔でつべこべぬかすな」
「──あつくる……?」
なんて失礼なことを抜かすのだ、この生まれながらの美男子に。
「ま、良かったじゃねえかよ、お遊びで済んで」
言いつつ、バパが靴裏で転がす。
ぐるぐる巻きで転がった俺の横でしゃがみこみ、刀を縄に食いこませた。「あいつが誰だか知らねえわけでもねえだろが」
「──"ウェルギリウス" かよ。縁起でもねえ」
口をついた二つ名に、ざわり、と苦いざらつきが広がる。戦馬を駆り、戦場を端から睥睨する、禍々しくひるがえるあの長髪──。
ぶつり、と程なく縄がバラけた。
かがんだ肩をバパは起こし、立ちあがって、しみじみ見おろす。「ま、大概にしておきな。アドに知れたら厄介だ」
「──ああ。カーナの件かよ、例のガキ」
「さすが調達屋。察しがいいな」
「分からいでか。あの剛毅な"砕王"の、あんなツラ見ちまっちゃよ」
切れた縄を脇にどけ、俺はあぐらで短刀を引き抜く。
足首をしばった荒縄撤去に取りかかる。「あの時あんたも見ていたろう。妾の屋敷の裏路地で、泣いてるあの客見つけた時の。で、」
土くれ叩いて立ちあがり、泰然とした首長に探りを入れた。
「"レッドピアス" あんたはどっちだ」
さばさばバパは爽やかに笑う。
「お前さんも敵が多いな」
「つまり、あんたも客の味方か」
俺は腐って舌打ちする。「一体何がどうなっていやがる。普段は上の空のウォードまで、客に与するってんだから」
「ウォードが?」
バパが面食らって振り向いた。
珍しく本気で驚いたようで、意表をつかれた面持ちだ。思案顔で顎をなでる。「へえ。あのウォードがね」
「ああ。あん時ゃ、マジで驚いたぜ。とぼけた面して、あの野郎。いきなり、刃物で脅しやがって」
「脅すだけで済んだのか?」
「──ま、まあな。いつ刺されるかとヒヤヒヤしたが」
「なんで、一思いに刺さなかったんだろうな」
「知るかよっ!? 俺が! そんなこと!」
刺された方が良かったってか!?
「うっかり殺られねえよう気をつけろよ。相手がウォードじゃ、まるで予測がつかねえからな。備品が届かねえのは俺も痛いし」
て、備品の方が大事かよ!?
「ま、ウォードにはくれぐれも気をつけるこったな」
バパは真顔で腕を組む。
「奴には理屈が通じない。敵と見なせば、ただちに敵だ。他人を固有の存在として、未だに認識してねえからな。空や地面やそこらの草木と"ヒト"との境界があやふやで、ヒトも草木も一緒くただ。それについては調達屋、お前も承知のはずだろう」
「──まあな」
だからウォードは、なんの気なしに排除する。
そこらの雑草を引き抜いて、日照りの道に打ち捨てるように。
どれほど他人が酷い目に遭おうが、奴は痛痒を感じない。
俺は苦々しい思いで舌打ちする。
「やりにくいったら、ありしゃしねえ。こっちの邪魔する奴なんぞ、これまで一人もいなかったのによ。それがなんでか今回に限って、雁首ならべて凄みやがって。あんなひよっこ同然じゃ色香にあてられたでもねえだろうに、ケネルは恐ええし、ファレスは吊るし、あのボヤっとしたウォードまでビシバシ脅してきやがるし。アドは奴の娘絡みで、あんたはあんたで……」
はたと気づいて、バパを見た。
「そういや、なんで 客側なんだよ」
俺か? とバパがまたたいた。うーん、と空に首をひねる。
「ま、俺は女性の味方だからなあ。大体、まだ死にたかねえしよ。しかし、雇い主も雇い主だよな。お前に積むような札束があるなら、そいつで何なりと誂えりゃいいのに。まして相手は元庶民だぜ。そうまでガツガツしなくてもよ」
「それが、そうでもねえんだよなあ?」
ふふん、と思わせぶりに俺は見た。
ほう? とバパが興味を示して片眉をあげる。「というと?」
「こいつは他言無用だぜ」
かの首長を出し抜いた優越感に浸りつつ、視線を走らせ、声をひそめる。
「いいか。ここだけの話だが、客が屋敷から持ち出したってのが、曰くアリアリの代物でよ。聞いて驚け。こいつがなんと、あの、世に言う"夢のい……」
間近な凝視にふと気づき、わたわた飛び上がって引っこんだ。
「き、企業秘密だ!」
危ねえ危ねえ冗談じゃねえ。
そう、気づけば目の前に、興味津々バパの顔。
こいつはいつも何食わぬ顔で、さりげな~く水を向けてきやがるから質が悪い。
「なんだ、残念」
バパが笑って肩を引いた。
そう言うわりには、大して残念そうでもないのが小憎らしい。
「ま、悪いこた言わない。諦めな。相手は"戦神ケネル"だぜ。奴にヴォルガで挑まれて、勝てる自信でもあるのかよ」
「──いいか、よく聞け」
俺は舌打ち、胸を張る。
「俺を誰だと思っていやがる。
"依頼の品がこの世に在るなら、なんであろうが調達する"!
ひと呼んで奇跡の"調達屋"とは、まさに、この俺さまのこ── !!!」
「じゃ、精々頑張んな」
あっさり、バパが背を向けた。
その背で手を振り、歩き出す。「骨くらいは拾ってやるから、潔く散ってくれ。ああ、仕事の後任、仕込んでおけよ。支障が出るのは困るからな」
「……。あんたは本当に冷てえな」
「そうか?」とバパが振り向いた。
値踏みをするようにしげしげと、俺が吊るされた樹を仰ぐ。
「お前を仕留めるつもりなら、今のは絶好の機会だが」
ずさっ、と俺は、血の気が引いて飛びのいた。
「じゃ、バパ。そゆことでっ!」
背を向け、そそくさ歩き出す。
「じゃあな、バパ、助かったぜ。俺はもう行くからよ」
背に冷や水ぶっかけられて、どぎまぎしつつも、ただちに離れる。
確かに今のは小遣い稼ぎにはもってこい。なにせ、俺は賞金首。隣の国では結構な額の。
片やバパの腕前たるや、誰もが認める極めつけ。ウォードの世話を任されるほどの。
ふと、ヒリつく手首を思い出し、舌打ちして眉をしかめた。
鬱血した手首には、見るも無残な数本の赤線。
「……おー痛て。吊り目の陰険野郎が」
俺さまの黄金の指先が、駄目になったら、どーしてくれる。
「まったく正気の沙汰じゃねえ。ちょっと忍び込んだくれえのことで、逆さ吊りにまでするかよ普通。ケネルの野郎もケネルの野郎で何気に脅してきやがるし! 猫にマタタビくれてやったみてえに、どいつもこいつも腑抜けやがって!」
「おいおい、まさか、本気で言ってるんじゃねえだろうな」
声を怪訝に振り向けば、首長が腕を組んでいる。
「"猫にマタタビ"とは言い得て妙だが、そんな青臭い理由だけで、連中が動くと思うかよ」
「だったら一体なんだってんだ」
決まってんだろ、と大儀そうに続け、曰くありげに目を細めた。
「おおかた魂胆があるんだろうさ」
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