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女性の叫び声とほぼ同時に、集団の中から二人の男が現れ、無礼にも俺の腕を掴んできた。
「おい、何をする」
と叫んだが、二人の男は黙って、強引に俺を引っ張った。そして訳が分からず呆気にとられている間に、最初に降り立った空間ほどではないにしろ、狭い小部屋に連れ込まれてしまった。
男の一人が俺の肩をぐっと抑えて、金属製の椅子に座らせようとする。
「止めろ、無礼者」
しかし言葉は通じていないようだ。男たちは顔を合わせて肩をすくめた。
「このがいこくじんがなにいっているかわかるか?」
「わかるわけないでしょ。おれ、えいごはずっとあかてんぎりぎりだったっんすから。……どうします?」
「まっ、なんとかなるだろ。いちおうにほんにきてんだ。かたことのことばぐらいわかるだろ。それよりみろよこいつのかっこう」
「ああ、こすぷれじゃないっすか。さいきんおおいらしいですよ。こういうのめあてでにほんにくるがいこくじん。……ちょっときせつはずれっすけど」
「すごいじだいになったもんだな」
二人の男の囁き合う声が聞こえたが、やはり意味は分からない。しかし、魔人族の知性をなめてもらっては困る。母音十二種類、子音三十五種類、単語数二億を誇る、崇高で流麗な魔人族の言葉に比べれば、知性が劣る人間の言語体系などたかが知れている。三十分も聞いていればだいだい理解できるようになるだろう。
それよりも気になったのは俺を連れてきた男たちの格好だ。二人とも真っ白なシャツの上に紺色の上着を着て、同じく紺色のズボンをはいていた。広場を歩いていた人間たちの格好と比べると、幾分格式が高そうだ。
ここは帝の御所だから、二人組の男は御所に仕える近衛兵に違いない。偉大なる魔人族、ファテルベルク家の次期当主がこっちの世界へやってきたことにいち早く気づき、帝が俺との謁見を望んで遣わしてきたのだろう。この狭い部屋は謁見の間の控室か?
そういうことであれば、おとなしく待たせていただこう。魔王の宮殿と比べるのもおこがましいほど貧しく乱雑とした部屋だが、これが人間なりの精一杯の誠意なのだ。
俺はお世辞にも座り心地が良いとは言えない硬い金属製の椅子に腰掛けた。するとこれまたファテルベルク家居城の壊れかけたダイニングテーブルよりもみすぼらしい細長いテーブルを挟んで若い男が座った。
俺と同じテーブルに着こうだなんて、近衛兵の分際で無礼な奴だ。兵士は兵士らしく、壁の隅でおとなしく立っていろ、もう一人の男のように。そう思いながら、俺の後ろに立っているもう一人の年老いた男を見上げた。
「……!」
男の表情に俺は驚愕した。男はまるで犯罪者を締め上げる獄卒のような凄まじい形相をしていた。
俺の前に座った若い男が、突然ドンと平手でテーブルを強く叩いた。
「どうして、じょせいようのといれなんかにはいったんですか! それにまだざんしょきびしいっていうのに、そんなあつくるしいかっこうまでして。さてはとうさつ、……まさか、ひわいなものをみせびらかしてたんじゃないでしょうね! どぅーゆーあんだすたんど?」
相変わらず、目の前の若い男の言葉は理解不能だが、声の感じと表情から、怒っていることは明白だった。おばあさまの怒った顔に比べれば全然怖くない。
むしろ俺の方こそ、怒りを感じ始めていた。
人間の王に仕える兵士とはいえ、所詮は下民、魔人族の足下にすら及ばない。そんな奴らが魔人族で最も高貴な家柄であるファテルベルク家、しかも次期当主に怒鳴りつけるなど、無礼千万。ここが俺の世界だったら、一瞬にしておばあさまの煉獄炎によって血一滴残らず焼き尽くされていることだろう。
だがここは寛大な心で接してやるのが、間もなくこっちの世界の支配者となる者の役目だろう。帝は早々と俺に禅譲することを決めたようだが、この兵士たちは帝の決定に納得がいかない反乱分子であり、一矢報いようと足掻いているだけなのだ。しかしこれは帝への忠誠心が高い故に他ならない。実に健気な話じゃないか。こういう連中こそ、一旦信服させてやれば、優秀な部下に変わってくれることだろう。
「……おいこぞう。きいているのか!」
背後に立っていた兵士が、俺の背中を掴んで激しく揺さぶってきやがった。
気が変わった。将来の王に向かって手を上げようなど言語道断! 今すぐ粛正してやる!
俺は魔人族が魔人族たる証である、魔法を使うことを決めた。
世界にあまねく存在する精霊との契約により常識を超えた強大な力を発揮する、それが魔法だ。数いる知的生物の中でも、唯一魔人族のみが使用でき、これにより、魔人族は世界の支配者となれたのだ。俺が単身、異世界に渡り征服を企めるのも魔法が使えるからだ。魔法さえあれば、決して他族に負けることはない。
まずはこいつらを血祭りに上げ、人間どもに魔人族の恐ろしさを教えてやる。
魔力の増幅器である巻貝のイヤリングを摘み、呪文を詠唱する。
「太古より我らと歩みし炎の精霊よ、今ひとたび我に力を貸し、この者どもを焼き尽くせ!」
若い男へ向かって突き出した右手から溢れ出した無数の炎の帯が、縦横無尽に飛び回り、一瞬にして部屋にいた俺以外の生物は骨一つ残さず燃やし尽くされ……なかった!
代わりに、掌からはポンッと軽快な音とともに、わずかばかりの白い煙が吹き出しただけだった。煙は瞬く間に空気中に拡散して、すぐに消滅した。
二人の男は健在で、何事か? といった様子で俺の右手を見つめていた。
しかし、一番驚いたのは俺だ。
「……ば、馬鹿な!」
魔法が使えなかった?
もう一度、イヤリングをしっかりと掴み、呪文を詠唱する。……しかし、またわずかな煙が出てきただけだった。
「なにとつぜんまじっくなんてやりはじめるんだ、そんなことでおれたちがゆるすとおもうなよ」
年老いた男に頭を叩かれた。
「すじがねいりのこすぷれいやーっぽいですよ、このこ」
もう一人の若い男がニヤニヤ笑っていた。
しかし、反発する気分はすっかり失ってしまった。魔法が使えなかった事で頭が一杯だった。
本当だったら、俺の炎の魔法で、瞬きする暇もなく二人の男は業火に焼かれているはずだった。
何故魔法が使えない?
正確に言えば、わずかながらに火種は出たので魔法自体は使用できたのだ。問題は増幅器の方、これがきちんと働かなければどんな偉大な魔法も十分に力を発揮できない。
もしかして世界移動の間に壊れてしまったのではないか?
増幅器であるイヤリングを外して、じっと観察する。……しかし壊れているようには見えない。
じゃあ、一体どうして?
ここで、今更ながら最も重大な事に気付いてしまった。
「……マナは? マナはどこにある?」
魔力増幅の源であるマナ。俺の世界では空気と一緒に存在するマナが、どこを見渡しても微塵も存在しなかった。これでは増幅器が働かないのも当然だ。増幅器は空気中に存在するマナを吸収し魔法増幅の源としているのだから。
しかしおかしい。記録には、ご先祖様たちは様々な魔法を当時の人間たちに見せつけ「鬼だ鬼だ」と恐れ敬われた、と書いてあったのだ。だからこの世界でも魔法が使えるはず……。
しかし現に今は使えない。ということは、千年前にはこっちの世界もマナに溢れていたのに、いつからかマナが消失してしまった、ということになる!
なんてことだろう、魔法がこっちの世界を征服するための切り札だというのに。勇んで洞窟探検に出かけたら、突如出口が落盤、持っていた松明の火も消えてあたりが闇に包まれたような絶望感に襲われた。こんな状況で、どうやってこの世界の王位を手に入れればいいのだ? いやそれ以前に、どうやってこっちの世界で生きていけばいい? 魔法があれば何とかなるだろう、なんてたかを括っていたが、日々の生活という問題も急速に浮上してきた。
「お……おばあさま、聞いてないよ。こんな話……」
つい弱音が口から零れてしまった。
コンコンとノックする音が聞こえ、続いてゆっくりと扉が開く音がした。誰かが入ってきたらしい。しかし俺は、絶望でテーブルに突っ伏していて、入ってきた人間の顔を見ていなかった。
どうせ奴らの仲間だろう。
俺が魔法を使えないと知った連中は、仲間を呼んで一気に俺を亡き者にしようとしているに違いない。
魔法が使えなくては反抗しようもない。こっちの世界へ来てたった一時間で、野望が潰えるなんて。
おばあさま、ファテルベルク家に更なる泥を塗ってしまい、本当に申し訳ありません。俺がもう少し慎重に事を進めていれば……。でもおばあさま、もう少し事前調査をしてくれても良かったんじゃないでしょうか?
それにアンベルカ、お前の可愛い顔をもう一度見たかった。俺の代わりにファテルベルク家の栄光を取り戻してくれ。
とんとんと肩を叩かれた。
せめてファテルベルク家の次期当主らしく誇らしい立派な最期を遂げよう……。
俺は覚悟を決めて、顔を上げた。
目の前に、柔和な表情を浮かべた中年の男性が立っていた。
「大丈夫かい。えっと……レノンくん」
俺は耳を疑った。
中年男性が話した言葉は紛れもなく、魔人族の言語だったのだ。